なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(240)

          船越通信癸横苅亜 。横娃隠鞠12月13日  
  
・6日(日)の礼拝には聴覚障がい者のOさんが出席しました。Oさんは今までにも何回か船越教会の礼拝に出

席していますので、今回はTさんが手配してくれて、私が説教原稿をご本人に礼拝前に渡すと共に、その説教

原稿をデータとして入れてあるパソコンをHさんに操作してもらい、私が話す順序に従って、パソコンに文章

を出してもらいました。前回までは私の原稿だけでしたので、原稿だけではどの部分を今話しているかご本人

には分かりませんので、今回Tさんのご配慮によって、少し改善することができたように思われます。私とOさ

んとの間は、私の発言を紙に書く筆談で対応しています。言葉におるコミュニケーションについては、視覚障

がい者以上に聴覚障がい者の方には、さまざまな困難があるようで、その壁を私たちが取り除く努力をしてい

かなければならないのですが、さまざまな集会で手話通訳やパソコン筆記を準備することも、教区の集会でも

限られています。その点考えていかなければならないと思います。

・この日の礼拝には、Oさんの他に西中国教区某教会牧師のお連れ合いのKさんが出席してくれました。Kさん

の実家がが横須賀にあって、これまでもこちらに帰ってこられる時には船越教会の礼拝に出席してくれます。

この日はKさんからいただいた、西中国教区の牧師で酪農家の方のところで作っているケーキを懇談の時に皆

でいただきました。牧師で酪農家という方がいらっしゃるということを初めてお聞きしましたが、天幕づく

りをしながら伝道したというパウロのことを想い起しました。これからの宣教は、経済的に牧師給を出すこ

とのできない教会が、特に地方では多くなっていくと思われますので、別の仕事を持って、そちらで稼いで

牧師をするというタイプが増えていくのではないかと思われます。それは、ある意味で原始キリスト教への

回帰でもあり、中世以降の国教化したヨーロッパキリスト教からの脱皮という面ももっているように思われ

ます。ボンフェッファーは牧師が公務員のようなドイツのような組織の教会ではなく、イギリスに始まった

人が集まって自主的につくる自由教会の形態に心惹かれたのも、同じような問題意識からではなかったかと

思われます。そういう意味で、日本におけるこれからの教会は、身軽な信徒の集まりを中心として形成され

るようになっていくのではないかと思えてなりません。6日の日曜日には、礼拝後のお茶の会に続いて役員

会がありました。

・8日(火)には、新教出版社からコイノーニア31『対話か戒規か 聖餐をめぐる日本基督教団への問い

かけ』の再校原稿が送られてきました。編集委員の一人の方と再校の校正を希望する一人の寄稿者の方に再

校原稿を送り、校正をお願いしました。このお二人の校正に私も校正して新教出版社に送り返すことになり

ます。今回は1週間で校正を済ませたいと思っています。

・9日(水)には、夏以来になりますが、久しぶりに私の個人的な集会で3人の方を迎えて鶴巻集会を行いま

した。最初礼拝のような集いをして、私が聖書の話をします。その後いろいろ質問やそれぞれの考えを出し

合う対話の時間を持ちます。その後、連れ合いには申し訳ないのですが、連れ合いが食事の用意をしている

とき、私たちは鶴巻温泉弘法の里湯に行って温泉に浸かります。その後食事を囲み雑談をして、この時は午

後9時に散会しました。

・11日(金)午後船越教会に移動し、この日の夜には聖書研究会がありました。出席者は私を入れて3人で

す。ヤコブの手紙2章14節以下の「行いを欠く信仰は死んだもの」という箇所を扱いました。70年の頃、私が

神学校を出て牧師の働きを担うようになった頃ですが、パウロの「信仰義認論」に対して、社会的な実践を

大切にするキリスト者に対して、伝統的な信仰に立つ人から「行為義認論」という批判が投げかけられたこ

とがありました。その時には「信仰か行為か」という二者択一的な、ある意味で不毛な議論があったように思

います。ルターはヤコブの手紙を「わらの書簡」と呼んで、ヤコブの手紙を重んじなかったそうですが、ルタ

ーとしては修道院時代に戒律を守ろうとして守れない己に出会い、苦しんでいた時に、そのような自分から、

人はただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われるというパウロの信仰義認論によって解放された

という体験があったのではないでしょうか。その体験の重さからすると、行いを重んじているヤコブの手紙の

言葉にルターは違和感を覚えたのかもしれません。信仰は、イエスを主と告白することですから、当然その信

仰にふさわしいあり様としての生き様=行為が信仰者には求められるのではないでしょうか。その意味では、

信仰か、行為かという問題の立て方そのものがおかしいと言えるのかも知れません。まして信仰が、主イエス

への服従を含むとするなら、行為を度外視した信仰など考えられません。

・12日(土)午後2時から蒔田教会で教区核問題小委員会主催の「福島原発避難者の裁判」福島原発かなが

わ訴訟原告団団長の村田弘さんの講演会があり、私も出席しました。この日の村田さんのレジメの題は「な

ぜ裁判なのか~原発事故5年、『棄民』に抗して」でした。あれほど大きな東電福島第一原発事故が起こった

にも拘わらず、未だに被害の実態の全容把握、原因の解明、責任の所在について、ほとんど明らかになって

いない現状に、村田さんは、安倍政権は東京電力と一体になって事故の収束を急ぎ、原発事故で被害に遭っ

た人々を見捨てる「棄民」政策を進めているのではないかと言うのです。そういう問題意識から「『棄民』

に抗して」と言っているのではないかと思います。村田さんは、どなたかの言葉にヒントを得て、「棄民」

政策を進める安倍政権と東京電力に対して「苦難の連帯」で闘っていくことを提唱しています。原発被害者

辺野古の新基地反対闘争をしている沖縄の人々も「譲れぬ『命』と『尊厳』」の故に、正義と道理を求め

てその闘いをしているのです。フクシマ・沖縄・戦争法案が一体となって、安倍首相は民衆を置き去りにし

て自らの国家観を押し付けているように思えてなりません。「崩壊を止め、再構へ・・・声を上げ続けるこ

と、聴き続けること、そして・・・」という村田さんの思いを共有したいと思いました。