なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(487)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(487)復刻版を掲載します。2009年1月のものです。

 
       黙想と祈りの夕べ通信(487[-16]2009・1・18発行)復刻版


 昨年暮れから私のところに知人からパレスチナのガザの状況を伝えるメールが立て続けに入って

きました。数時間おきに現地にいる大学教授の方が、イスラエルの攻撃によって停電しているガザ

から、自家発電を利用し、パソコンで全世界に発信しているメールです。英文で入ってきたものを

京都の方が日本語に訳して私の知人のところへ送ってきたものを、その知人から私の方に転送され

てきたものです。転送・転載歓迎とありますので、1月4日と11日のこの通信に載せました。ガザ現

地の悲惨さが、送られてきた写真によってもよく分かります。イスラエルは即時停戦すべきです。

怒りを覚えます。怒りといえば、最近読んだ本の中に、日本人である我々には、原爆を落としたア

メリカへの強い怒りがあるだろうか。我々がその怒りを強く持っているとすれば、韓国人、中国人

反日の怒りも分かるのではないかというのです。日本によって侵略され、韓国人、中国人がどん

なに苦しんだか、その痛みが分かるはずだというのです。怒るべきことに怒らないから、他者の怒

りもわかないのではないかと。なるほどと思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。思わぬ形で自分が関わっていたNPO法人

の代表を引き受けるようになっている。そのNPO法人は重度の障がい児をもつ母親支援の働きを中心

にしている。その支援のための働き手は看護士かヘルパーである。自分は保育士なので、重度の障

がい児の家庭に行って直接に支援の働きはできない。その支援活動が、自立支援法ができて、利用

者の負担が増し、支援を頼みにくくなったことと、資格を持った働き手も少なく、利用者のニーズ

に応えられないこともあって、働き手へのボーナスも出せない状態である。今までは出来るだけ無

理してでも出したいとやってきたが、ここにきて難しくなった。大切な働きをしているので、何と

か道が拓かれるようにと祈っている。祈りが行動になる。それが本当の祈りではないか。自分は人

材を探すために、どれだけ真剣であったか反省している。自己宣伝にならないようにとの自分に自

分でブレーキをかけてきたところがあるが、それって本当に祈っていることになるのだろうか。本

当の意味の祈りが足りなかったのではないか。この支援活動の他にも、性差別に関わっているが、

本当に痛んでいる人のことを考えてどれだけ祈って関わっているかを問われていると思う。祈る事

それは行動する事それが私の課題であるように思う。

 また別の人の発言がありました。今年の年賀状の中に従姉妹の娘からのものがあった。そこには

うれしことが書いてあった。実は20年も前になるが、その頃近所の方が藤沢の教会で洗礼を受け

た。その教会の牧師が熱心な方で、息子が今で言う不登校で苦労していた上記の従姉妹のところへ

一緒に行ってくれて、家庭集会のような形をとって祈ってくれた。そのとき娘が受洗をしようとう

いう気持ちになったのか、それにその牧師も対応してくれようとしたところ、椅子がパタンと倒れ、

状況が一変した。その従姉妹には娘が二人いて、従姉妹もその二人の娘も同じ女学校出身である。

年賀状をくれた従姉妹の娘は、その文面に書かれていた近況報告からすると、受洗につながるので

はなかと思った。話は別になるが、三浦綾子塩狩峠を読みたいと思って、長い間読めなかった。

図書館でこの月曜日に借りてきて、一気に火曜日にかけて読んだ。読み終わったとき、はっきりと

今までとは違う思いで、振り返ることができた。


        「たった一人であることを見出す」   1月18日


 人は誰もが一人ぼっちです。私と全く同じように感じたり、考えたり、行動する人は、どこにも

いません。私たち一人ひとりがユニークであり、私たちが一人ぼっちであるということは、このこ

との別の側面です。問いかけは、私たちが一人ぼっちであることを一人ぼっちの寂しさとするか、

たった一人のかけがえのないものとするかなのです。一人ぼっちの悲しみ(ローンリネス)は苦し

いものですが、たった一人(ソリチュード)というのは平安に満ちています。一人ぼっちの寂しさ

から、私たちは必死に他の人々にしがみついてしまいます。それに対して、たった一人のかけがえ

のない存在であるという認識は、他の人々をそれぞれ独自の存在として尊敬し、一つのコミュニ

ティーを作り出します。

 一人ぼっちであることを、たった一人のかけがえのない存在であるという認識へと成長させ、一

人ぼっちの寂しさにしないようにする葛藤は、私地の生涯にわたって続くでしょう。それは、誰と

共にいるのか、何を学び、どのように祈り、どのような時に助言を求めるかといった、自覚された

選択を必要とします。賢明な選択によって、私たちはそれぞれがたった一人のかけがえのない存在

であることがわかります。この自覚の中で、私たちの心は愛の内に成長出来るでしょう。

 
                (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)