使徒言行録による説教(77)、使徒言行録21章1-17節、
・先ほど読んでいただいた使徒言行録の記事は、ミレトスでエフェソの長老たちと別れたパウロらが、
エルサレムに着くまでの旅の経路が記されています旅行記事であります。
・1節、2節に、<わたしたちは人々と別れを告げて船出し、コス島に直行した。翌日ロドス島に着き、
そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した>と記されてい
ます。この冒頭に<わたしたちは人々と別れを告げて>と記されていますが、ここで<別れを告げる>
と訳されています原語は、単なる別離を語る言葉ではなく、友の抱擁から自分を引き裂くというほど
の強い表現で、イエスが弟子たちから一人離れてゲッセマネの園で祈られた場面にも、ルカはこの動
詞を用いています(22:41)。「生木を裂く思いで愛弟子たちから離れる」(玉川直重)という趣旨で
あると言われます。別離を語る言葉として、この動詞(アポスパオー)を用いているのは、新約聖書
の中ではルカだけであり、しかも、これを、弟子たちのもとから離れてゆくイエスとパウロのみに用
いているのは、もちろん単なる偶然ではないでしょう。ミレトスにおけるパウロの別離は、死を覚悟
した門出でありました。そしてルカは、同じく死を前にして、弟子たちから一人離れて祈るイエスの
姿との対比を、ここに見出したのでしょう(高橋三郎)。
・ミレトスにおけるパウロとエフェソの長老たちとの引き裂かれるような別離の後、船で75キロ南に
あるコス島に直航し、次の日は南東100キロの距離にあるロドス島に着き、次の日は東方90キロのパタ
ラ港に入ったと言われています。おそらく使徒言行録の著者ルカは、自分のメモによって、その一つ
一つの寄港地に思いを寄せながら、この旅路を辿っているのでしょう。このパタラまでは沿岸就航の
小型船に乗ってきたこの一行は、パタラでフェニキア行の大型船に乗り換え、南東に直進しキプロス
島の南を通過し、650キロの海路を進んでティルスに入港しました(21:3)。そして積荷が陸揚げさ
れる期間を利用して、「弟子たち」(つまりキリスト信徒)を捜し出し、そこに七日間泊まったとい
うのです(21:4)。おそらくティルスの信徒たちとパウロらはかつて面識があったというわけではなく、
初対面だったと思われますが、彼らは同信の友として主にある深い喜びを共にしたことでしょう。
・さてこのティルスにおいて、その信徒たちは<“霊”に動かされ、エルサレムに行かないようにと、
パウロに繰り返し言った>(21:4)と言われています。つまりティルスの信徒たちは、聖霊に基づく助
言をパウロに繰り返し語ったというのですから、この信徒たちのパウロに対する進言は、強い説得力
が伴っていたに違いありません。けれども、実はパウロ自身もまた、「御霊に迫られて」エルサレム
行きを決意していたのです。20章22節以下のミレトスにおいてエフェソの長老たちに語ったパウロの
告別説教の中で、パウロ自身の言葉としてこのように語られています。
・<そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起
こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊
がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし自分の決められた道を走りとおし、また、
主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれ
ば、この命すら決して惜しいとは思いません>(20:22~24)。
・このパウロの決意をティルスの信徒たちは動かすことができず、やがてその港からパウロらを送り
出さねばなりませんでした。<彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そし
て共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし>(21:5,6)と記されており、名残を惜し
む人々の姿が生き生きと描かれています。
・ティルスから40キロ南にあるプトレマイスにおいて、彼らの船旅は終わりました。ここでも同信の
友を訪ねて一日滞在した後、翌日50キロの道を歩いて、カイザリアに赴き、カイサリアに留まって伝
道していたステファノをはじめとする7人のギリシャ語を話すユダヤ人の宣教者の一人であるフィリ
ポの家に行き、そこで泊まりした。パウロらがフィリポの家に泊まっていた時に、ユダヤからアガボ
という預言者がやってきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って、<「聖霊がこうお告げ
になっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡
す』>(21:11)と、預言者の象徴行為を行ったというのです。するとまた、パウロの同伴者たちは
その土地の人と一緒になって、「エルサレムに上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」(21:12)
というのです。ティルスで起こったことが、またカイザリアでも起こったのであります。しかしパウ
ロは、<「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名
のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」>
(21:13)と答えて、きっぱりとこの問答に決着をつけました。そして彼をひきとめてきた人々も
<主の御心が行われますように>(21:14)と言って退くほかはなかったというのであります。
・「数日たって、私たちは旅の準備をしてエルサレムに上った」(21:15)とルカは記しており、彼ら
にはカイザリアの弟子たちも数人同行し、キプロス島出身でエルサレム在住のムナソンという信徒
の家に泊まれるように案内してくれたというのです。このように、多くの人が敵対者による危害が
予想されたパウロのエルサレム行きを心配していたにも拘わらず、反面ルカはパウロを支える人も
いたことを伝えているのです。パウロがどんなに強い決意をもってエルサレム行きを望んだとして
も、パウロを支援する人がいなければ、それも不可能だったでしょう。パウロに対する敵意が渦巻
くエルサレムにもムナソンのような人物がいたということも、不思議な導きを感じます。
・それにしても、なぜパウロはこれほどまでしてエルサレム行きにこだわったのは何故でしょうか。
パウロがエルサレムへの出発に先立って、コリントで書いたと思われますローマの信徒への手紙の
15章30節から32節のところに、このように記されています。<兄弟たち、わたしたちの主イエス・
キリストによって、また“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのため
に、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。わたしがユダヤにいる不信の者から守られ、エル
サレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜
びのうちにそちらに行き、あなたがたのもとで憩うことができますように>。
・このところに、<わたしがユダヤにいる不信の者から守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕
が聖なる者たちに歓迎されるように>と記されています。この<エルサレムに対するわたしの奉仕>
ということでパウロが考えていたのは、エルサレム教会へ献金を届けることだけではないと思われ
ます。<エルサレムの信徒との間に、主にあるつながりを再確認し、これを固くするためであった
と察せられ>(高橋三郎)ます。しかし、両者の間には、その福音理解において、深い亀裂がありま
した。エルサレム教会の中心的なユダヤ人キリスト者は、キリスト信徒といえども、旧約律法を守
り、割礼を受けねばならないという主張を取り下げることはできませんでした。一方パウロにおい
ては、福音による律法からの自由こそ、その宣教の中心でありました。その点では、一歩も譲歩で
きなかったに違いありません。これほど重大な主張の相違があるにも拘わらず、なおも主にあって
一つであることが、果たして可能でしょうか。
・先日私は日本基督教団の教師委員会から面談を求められて、面談に伺いました。教師委員会とし
ては、戒規免職処分を受けた私が悔い改めたかどうかを確認するための面談だったようです。その
面談での話し合いの中で、教師委員のある方が、「贖罪論をはじめキリスト教教義の一致がなけれ
ば、一つの教会として一緒にやっていくことはできない」とおっしゃいました。聖餐についての考
え方が違う私のような者は、教団から出て行ってやってくださいということだったのかも知れませ
ん。それに対して、私は教会の一致はイエス・キリストによって既に与えられていて、その信仰に
よって違いがあっても一致をめざしていくのが教会ではないかと申し上げました。イエス・キリス
トは一人しかいないわけですし、キリストの体としての教会も一つなのですから。
・エフェソの信徒への手紙4章2節以下にこのように記されています。「一切高ぶることなく、柔和
で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を
保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかる
ようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼(バプテスマ)は一つ、すべて
のものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべ
てのものの内におられます」(4:2-6)。
・エフェソの信徒への手紙は、パウロが書いた手紙ではありませんが、パウロの名で書かれた手紙
で、パウロに強く影響されている手紙と言えます。そこにこのように書かれているのは、これがパ
ウロの信仰と言えるのではないでしょうか。パウロは、エルサレム教会の信徒たちとも、旧約律法
の遵守や割礼についての考え方を異にしていましたが、主において一つであるという確信をもって
いたのではないでしょうか。パウロはエルサレム行きを決意する前に、コリントでローマの信徒へ
の手紙を書いて、パウロがローマの教会の援助を得てイスパニヤ(スペイン)伝道の志をもってい
ることを伝えています。ローマの信徒への手紙によれば、パウロの非ユダヤ人、つまり異邦人伝道
は、異邦人が救われることによってユダヤ人が反省して、ユダヤ人も救われることでありました
(ローマ9-11章)。パウロは、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリ
ストから離され、神に見捨てられた者となってもよいとさえ思っている」(ローマ9:3)と語り、同
胞であるユダヤ人への強く深い思いを記しています。
・このようなことから考えて、パウロは最後にもう一度エルサレムを訪ねて、エルサレム教会の人々
と主にある一致を確認してから、ローマへと向かおうとしたのではないでしょうか。パウロには、ロ
ーマに向かうために、エルサレム教会との関係を修復して、今後の支えにしようと考えて、エルサレ
ムに行ったのではありません。キリストの教会は一つでなければならないという信仰と共に、自分を
憎み退ける人々に、なおも和解を呼びかけようとする、愛の表明でもあったのではなかろうか。たと
え福音理解は異なっていたとしても、主にあって一つであることの信仰的な事実に立って、他者であ
るエルサレム教会の人々を自分の敬愛する仲間として、パウロは信じていたのではないでしょうか。
・このようなパウロの生き様は、私たちにとっても見失ってはならない大切な信仰者の生き様では
ないでしょうか。現在の教団の現実は、残念ながら福音理解の違いが対立となっているところがあ
り、残念です。違いは違いとして認めて、お互いが一つをめざして忍耐深い対話を積み重ねていく
教団となっていくように、パウロの生き様に倣って、私たちも和解の福音に従って歩んでいきたい
と思います。