なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(508)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(508)復刻版を掲載します。2009年6月のものです。


       黙想と祈りの夕べ通信(508[-37]2009・6・21発行)復刻版


 去る日曜日のGさんの説教に関連してのお手紙を教会員の方からいただきました。「G牧師の聖書の一

節の引用は、“こんな人、こんな人たち”をも迎え入れるイエスの行動をいぶかるファリサイ派の律法

学者に対する、イエスの“無条件”の心を示したもの。ならば、紅葉坂教会のあり方が何故否定される

のか、になります。」と。G牧師の説教から、このような反応が寄せられたことを、私はうれしく思い

ます。開かれた聖餐式の執行と私の教師退任問題の根底には、教会とは何かという根本的な問題につい

ての考え方の違いがあるように思えます。私は一貫して「開かれた聖餐は、教会の礼拝に集うすべての

人とともに、この世で最も小さくされた者のために全存在をささげられたイエスの出来事を想起する教

会的行為だ」と申し上げてきました。Gさんの説教もこのイエスの出来事を指し示すものでした。教会が

一つの宗教集団と化すのではなく、常にイエスに帰って、イエスのめざした神の国の現実に希望と喜び

を見出す群れでありたいと願います。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。先週の黙想と祈りの夕べで報告し、前回の

通信にも記事になった京都教区の一教会のことを、正確でないといけないと思い、京都教区の常置委員

の知り合いに問い合わせてみた。その方が常置委員会で私から聞いたことを話したら、議長は知らず、

常置委員の一人の方が、それはうちの教会のことではないかと、以下のように言われたという。学童保

育を開くために教会規則を教団に出したら、教団の雛形と色々異なるので、返されたということで、そ

の教会では教会規則を教団の雛形に合わせてもう一度出すとの事。その教会が開かれた聖餐をしている

から承認されなかったということではなかった。他人の話を鵜呑みにし、つい怒った勢いでここで話し

てしまったを訂正したい。確認することに気がついてよかった。今回に限らず自分の感情が先になり、

思い込みや邪推で不正確に伝えてしまうことがある。相手のマイナスになり、事実と違う形で伝わっ

て、その相手が傷つくこともある。情報は正確かどうか確認する必要があり、最初のところに遠慮せず

に確認することの大切さをつくづく思わされた。

 続いてもう一人の方の発言がありました。日曜日には沖縄の話と礼拝の説教を聞いて、豊かに感じた。

火曜日には北村先生が農村伝道神学校の戦争責任シンポジウムで、資料を使って丁寧に話してくれた。

その中で戦時下に自分がいたら、当時の人たちと同じ事をしただろうと言われたことが心に響いた。未

来をつくっていくために過去を学ぶのではないか。権威にすがるということは、豊かな交わりがないの

かも知れない。イエスが人間の一人一人を大切にされたように、生き難い世の中で豊かなものを感じら

れたらと思う。

 また別の方の発言がありました。私の祖父は26歳で日露戦争の初期に戦死した。父は母一人子一人で

育った。以前その祖父の記念会をするというので、いろいろ調べた。岡山の教会の資料に祖父の出征の

ときに教会で祈祷会がもたれており、また戦死したときも教会で祈祷会があった。何を祈ったのだろう

かと、いろいろ想像させられる。遺品の中にボロボロの新約聖書があった。26歳で死ぬまで聖書を読ん

だのだろうか。どこに立っていたのだろうかと考えさせられる。

         
          「真実に向って成長する」     6月21日


 言葉にして語っていることをあますところなく実践する時にのみ、私たちは語ることが出来るのでしょ

うか。語る言葉と行動が全く合致していなければならないのだとしたら、私たちは絶えず沈黙していな

くてはならないでしょう! しばしば私たちはまだ愛を充分に実践することが出来ないのに、神の愛を

宣べ伝えるように求められることがあります。そんな時、私たちは偽善者なのでしょうか。もはや自分

たちの言葉が回心へと導くことがなくなった時にのみ、偽善者といえるでしょう。理想や夢の通りに、

完全に生きている人など一人もいません。けれども、深い確信と謙虚さをもって自らの理想やビジョン

を言い表すことで、私たちは自らの語る真実に向って少しずつ成長していくのではないでしょうか。人

の生き方は言葉よりもはるかに雄弁であるということが分かっている限り、私たちの語る言葉は、とる

に足りないものであり続けるということを信じられるでしょう。  


                (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)