なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(93)

      使徒言行録による説教(93)、使徒言行録27:1-12、

・今日は新しい年の最初の日曜日です。たまたまクリスマスの時期でしばらく休んでいました使徒言行録の

今日の箇所、27章1節から12節は、2年間のカイザリアでの獄中生活を後にして、パウロがいよいよロ

ーマに護送されることになりました、その船出の記事になります。2015年の旅立ちの日曜日に、パウロ

のローマへの船出の記事が説教のテキストになったということは、偶然とは言え、何らかの意味を感ぜざる

を得ません。

・2015年がどういう年になるのか。平和で、すべての人の命と生活が護られ脅かされない世界の実現か

らしますと、少なくとも私たちが日常、生活していますこの日本の国は、平和とは反対に戦争のできる国造

りに拍車をかけていくように思われます。昨年12月14日の衆議院選挙の結果成立しました政府は、安倍

首相の掲げる経済優先のアベノミックスを受けて、諸外国に日本の武器を輸出する道を開き、その武器輸出

ODAのような経済援助をするという方向を打ち出しています。これは明らかに平和憲法9条の違反に当たる

と思われますが、安倍政権は憲法改悪を視野に入れながら、戦争に関係する軍需産業の振興にも手を付けるほ

ど、なりふり構わず経済優先政策に走り出しています。「日本をもう一度強い国に」という幻想を振りまきな

がら・・・。

バブル崩壊以降、日本の社会は新自由主義的な経済政策により、働く人の立場が極端に軽んじられてきた結

果、経済的な格差が広がり、貧困層がどんどん拡大しています。地道に働き、自由と責任をもって自分で考え、

他者と連帯し、平和と人権を大切にする社会を生み出そうとする人々の努力よりも、この閉塞した状態を誰か

が変えてくれないかという絶対的なものを求める空気が人々の中で強くなっています。ある政治学者によれば、

それは自由からの逃走(にげる)であり、自由を放棄して「断言されたい」という願望が強まっていることで

もあると言っています。

・秘密保護法から共謀罪、そして治安維持法という思想統制への方向も現実化してきている現状を考えますと、

ファシズム全体主義)への恐れもないとは言えません。

・そういう意味で2015年は、私たちにとってもなかなか厳しい年になるのではと思われます。そのような

新しい年の旅立ちに当たり、護送という形ですが、パウロのローマへの船出の記事から、メッセージを聞きた

いと思います。

・先ほど司会者にこの箇所を読んでいただきましたが、この箇所は、27章1節から28章16節までのカイ

ザリアを船で出てからローマに到着するまでの、大変詳しい旅行記事の最初の所になります。しかもこの箇所

(27:1~28:16)は使徒言行録の中にあります「我ら箇所」の一つで、4つの「我ら箇所」(16:10-17:20,

20:5-15,21:1-18,27;1-28:16)の最後になります。「我ら箇所」とは、使徒言行録の記事の中で、主語が一人

称複数の「わたしたち」になっているところです。27章1節を見ますと、「わたしたちが」で始まっています。

通常使徒言行録の記事は三人称単数の主語になっています。27章の前の26章24節以下を見ても、「パウロがこ

う弁明していると、・・・」という書き出しで始まっています。この「我ら記事」の後に続く、28章17節以下

も、「三日後、パウロはおもだったユダヤ人を招いた」という書き出しで、ここも「パウロは」という三人称

単数が主語になっています。実はこの「我ら記事」の「わたしたち」の中には使徒言行録の著者ルカも入って

いて、パウロのローマへの護送にはルカも同伴していて、カイザリアからローマへの船旅をルカも経験してい

るので、このような詳しい船旅の旅程が記されていると考えられているのです。実際にこの箇所を読んでみま

すと、経験した人でなければこれほど詳しくは船旅の旅程は書けないのではと思わされます。

・これほど詳しい船旅の旅程の記事から、田川建三さんは、<これは当事者の手による生き生きとした記録、

貴重な証言なのだから、この(「我ら部分」)部分を、そういう眼で、ずっと通して読んでいただきたい。神

学的関心、「信仰」のための説教などにしか関心を持たない読み方と違って、非常に多くの面白いことが発見

できるはずである」(『使徒言行録』446頁)と言って、この「我ら箇所」の歴史的な資料としての価値を強

調しています。

・27章1節に「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇

帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された」と言われています。パウロはローマ総督フェリック

スの時にカイザリアで2年間獄中につながれていましたが、ローマ総督がフェリックスからフェストゥスに交代

して、フェストゥスはユダヤ人の訴えに対してパウロには罪はないと判断しましたが、パウロの上訴を受けて、

パウロをローマへ護送することにしました。パウロは、囚人としてローマの百人隊長ユリウスの管轄下、カイ

ザリアを船出することになりました。パウロにはルカの他にマケドニアアリスタルコも同伴しました(2節)。

おそらくルカとアリスタルコは、マケドニアの教会からの援助資金を得て、マケドニアの教会から派遣されて

パウロの支援の仕事を託されたものと思われます。このアリスタルコは、パウロエルサレム行きに同行した

一人であり(使徒20:4)、使徒言行録19章20節によりますと、エペソにおいて、パウロの身代わりとなって捕ま

えられた人であり、コロサイの信徒への手紙4章10節でも、パウロと共に捕われの身となっている人です。ま

たフィレモンへの手紙24節では、パウロの協力者の一人に名が挙がっています。

・ルカは、パウロその人の存在と行動に焦点を合わせながら、その叙述の筆を進めていきます。その冒頭に、

この護送の責任者として、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスの名がでているのは、この時からパウロはすでに、

皇帝の監督と保護の下に置かれていて、鄭重な扱いを受けていたことを示しているものと思われます。船は、

アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した」(2節)と

言われていますので、囚人専用の船でなかったことが分かります。「翌日シドンに着いたが、ユリウスはパ

ウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた」(3節)と言われてい

ます。この記述を読む限り、パウロは囚人ではありましたが、相当自由が認められていたことが分かります。

・この船が根拠地アドラミティオに帰るには、できれば西北に向かって直行し、ルキヤの港パタラに行くこ

とに越したことはなかったが、帆船は風に逆行できないので、クプロの島かげを通って北上し(27:4)、キ

リキャとパンフリヤの岸辺では、陸から吹きおろす風を利用して、西に進むことができたと思われます。こ

うしてキリキヤの港ミラに入港しました(27:5)。この船は恐らくアドラミティオに帰ることになっていた

と思われますので、ローマへ向かう一行は、イタリア行きの船にここで乗り換えます(27:6)。そのアレク

サンドリアの船が、目的地はイタリアですが、西風が強くて難航した様子が、7節、8節に語られています。

「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、

サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と

呼ばれる所に着いた」と。

・さてここで、今後の方針について意見が分かれたことをルカは伝えています。<かなりの時がたって、既

に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。(断食日というのは、ティシュリの月〔われわれの

暦では9月―10月〕の十日に行われることになっていた。9月15日以降は、この海域での航海は危険とされて

いたばかりでなく、11月11日以降、翌年3月10日までは、航海を中止する習わしであったと言う)。それで、

パウロは人々に忠告した。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わ

たしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります」。しかし、百人隊長は、パウロの言ったこ

とよりも、船長や船主の方を信用した。この港は冬を過ごすのに適していなかった。それで、大多数の者の

意見により、ここから船出し、できるならばクレテ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこ

で冬を過ごすことになった」(9-12節)というのです。

・さてこのような使徒言行録の囚人パウロのローマへの船出の、その旅程の記事にもパウロがルカやアリス

タルコの支援を受けながら、ローマをめざしていることが想像できます。パウロのローマ行きは、パウロ

ローマの信徒への手紙によれば、ローマの教会の人たちとイエス・キリストの福音を分かち合いたいという

ことと、ローマの教会の支援を受けて、イスパニアへの伝道をしたいということです。イエス・キリスト

福音の告知、これが何よりもパウロが願い求めたことです。

・このような福音宣教の願いをもったパウロがローマへ護送されていく、その船旅の記事から想像されるパ

ウロの存在は、当時のローマ帝国が支配していた歴史的現実からすれば、取るに足りない、点にもならない

くらいの極小の出来事だったでしょう。ローマ帝国の圧倒的な現実支配の中で、パウロの福音宣教の業は、何

ほどの意味があったというのでしょうか。私たちが、今この日本の国の中で、最初に申し上げた2015年の

旅立ちの政治的・経済的状況の中で、イエスの福音に基づいて生き、何よりもイエスの福音を宣べ伝えること

にかけることが、何ほどの意味があるというのでしょうか。そのような問いを持たざるを得ないほどに、私た

ちは無力に思われるかも知れません。それでも、イエスの福音を信じ、宣べ伝える者として、私たちは平和を

求め、人の命と生活が暴力によって脅かされる戦争には反対し、それぞれの課題を負って歩んでいきたいと願

います。状況がどうであろうと、それが私たちに命じられている課題だからです。

カール・バルトの予定されていた講演の絶筆となった「新しい出発・立ち帰り・告白」が翻訳せれていて、

カール・バルト、最後の証し』という小さな本に収められています。この講演原稿の最初の所で、バルトは

こう言っています。「・・・世俗の世界(とは言え、教会もまたその中におかれており、教会の中にもこれは

あるのですが)においても今日、あまたの新しい出発、あまたの立ち帰り、あまたの告白、あるいは、ともか

くもそれらについてのあまたのおしゃべりがなされています。そこで何が起こり、また何が論じられているの

か、われわれは決してこれを忘れたりないがしろにしたりしないようにしましょう。過大評価も過小評価もい

たしますまい。すべてのことはわれわれに関わることです。しかしわたしは、最善の奉仕の務めを果たすのは

やはり、〔キリスト者の〕新しい出発・立ち帰り・告白であると、確信しています。われわれが全精力を傾け

て『教会』の出発、立ち帰り、告白に携わる時にこそわれわれは、いわゆる世俗の世界と、もっとも深い意味

において連帯して行動することなのです」。

・私たちがイエスを信じて、イエスに立ち帰り、告白しつつ、与えられた務めを果たしていくこと、これこそ

が正に、「いわゆるこの世俗の世界と、もっとも深い意味において連帯し行動することなのです」(バルト)

ということを確認して、2015年の新しい旅立ちに向かいたいと願います。