なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(99)

        使徒言行録による説教(99)使徒言行録28:23-31、

・今日で使徒言行録による説教は終わります。2011年4月に船越教会の牧師になってから、祝祭日を除い

て、最初マルコによる福音書でイエスの生き様を中心に学び、続いて最初期の教会の生き様を学びたいと

思い、使徒言行録で説教をしてきました。今日が使徒言行録に基づく説教は終わりになります。先週礼拝

後今後の予定を申し上げましたように、使徒言行録の後は、こんな時代ですからアモスかエレミヤのどち

らか預言書を取り上げたいと思っています。ただ毎週というのではなく月一度は別のテキストを取り上げ

て、説教するようにしたい旨申し上げました。今聖書研究ではガラテヤの信徒への手紙を取り上げていま

すので、ガラテヤの信徒への手紙で月一回しばらく説教をするようにしたいと思います。

・さて、使徒言行録の最後のところで、ルカは、パウロが自分の宿舎にやってきた、ローマにいる大勢の

ユダヤ人たちに、「神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスにつて

説得しようと」して、「朝から晩まで説明し続けた」(23節)と記しています。パウロは軟禁状態にあり

ながらも、イエス・キリストの福音宣教に励んだことが、このルカの記述で分かりますが、パウロの説得

に対して、ユダヤ人側は「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった」

(24節)というのです。

・そこで、「彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロは次のように言った」

(25節)と言って、イザヤ書6章9,10節を引用して、「だから、このことを知っていただきたい。この神

の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです」(28節)と、パウロが語ったとル

カは伝えているのです。

イザヤ書の引用とは、「この民のところに行って言え。/あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せ

ず、/見ることは見るが、決して認めない。/この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまっ

た。/こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。/わ

たしは彼らをいやさない。」です。このユダヤ人の先祖にイザヤが語った通りに、神の救いはユダヤ人か

ら異邦人に向かうと、ルカによれば、パウロは言うのです。

・このイザヤ書6章9,10節の言葉は、マルコによる福音書4章12節、マタイによる福音書13章14,15節、ヨ

ハネによる福音書12章40節にも引用されています。このように広くこのイザヤの言葉が引用されているとい

うことは、神の救いがユダヤ人から異邦人に向かったということが、新約時代における共通見解であった

ということを示していると考えられます。

使徒言行録の著者ルカは、ローマにおけるパウロの最後を、ローマのユダヤ人への宣教の結果、神の救い

ユダヤ人から異邦人に向かうという新約時代の共通見解をパウロが語り、そして付け足しのように30節、

31節の言葉、「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自

由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」というまとめの言葉を

もって、その記述を終えているのであります。

使徒言行録が書かれたのは90年代だと言われます。そのことが正しいとすれば、ルカは、パウロが未決囚

としてローマに護送された船にも一緒に乗り合わせていて、パウロと共にローマにやって来たと考えられて

いますので、パウロがローマに来て、死ぬまでのことをよく知っていたに違いありません。にも拘わらず、

ローマにおけるパウロの記述が、通り一遍の感じがしてしまうのは何故でしょうか。

使徒言行録には、パウロの上訴がどうなったのかについても、その後パウロがどうなったのかについて

も、何も記されていません。ある注解者は、そのことはぜひ知りたいことではあるが、困難な問題でもある、

と言って、このように述べています。「しかし、ルカが書きたかったことは、教会の進展であり、復活の主

がいかに働かれるかということである。この意味では、教会は、終わりの日まで、ここで完結したという歴

史は書けないのであろう。教会はいつも途上にあるのである。ルカは、ともかく、パウロをローマまで追っ

て来て、福音が、この首都でも盛んに宣べ伝えられることを記して、彼の目的を果たしたように、筆をおく

のである」(竹森満佐一)と。

・しかし、私には、ルカはパウロがどうなったのかということを知っていたのではないかと思えてならない

のであります。知っていてそれを記さないで、差し障りのない形で使徒言行録の叙述を終えているのではな

いでしょうか。そこにはルカの護教的な姿勢が透けて見えるように思えるのであります。

・と申しますのは、パウロがローマに到着しましたのは紀元60年前後と思われます。この時のローマ皇帝

ネロ・クラウディウスです。ネロは54年に皇帝に即位し、68年に反乱を受けて自殺しています。このネロは、

64年に発生したローマ大火の犯人としてキリスト教徒を迫害したと言われています。これがローマによる最

初のキリスト教徒の迫害ということになります。このネロによるキリスト教徒の迫害が起こったのは、パウ

ロがローマに滞在するようになってから数年後のことです。

・未決囚としてローマに軟禁されたまま、パウロは自由に活動できずに死んでいったのではないでしょうか。

そのパウロの死には、ローマ帝国が何らかの形で関わっていて、この使徒言行録に記されているパウロの以

後について触れようとすると、ローマ帝国を否定的に描かざるを得ないことになり、そのことはルカにとっ

ては極力避けたいことであったのではないでしょうか。ルカがこの使徒言行録を書いたと思われます90年代

には、ローマ皇帝ドミティアヌスによるキリスト教徒の迫害が相当厳しくなっていたからです。キリスト教

ローマ帝国に対立するものではなく、ローマ帝国と協調的な宗教であるということをルカは強調すること

によって、キリスト教の擁護を試みているように思えるのであります。

・その意味で、ルカの叙述はローマ帝国の側からすると、利用できるものでもあると言うことが出来ます。

ローマ帝国と協調的でありますから、ルカのキリスト教ローマ帝国の支配する領域の中で、ローマ皇帝

存在を否定することなく、存続することが出来ます。ローマ帝国の支配する世界にキリスト教が広がってい

き、圧倒的な信仰者が生まれ、キリスト教徒を無視してローマ帝国の維持が難しくなった時に、ローマ帝国

キリスト教を国教化することによって、自らの帝国の内側に抱え込んで、帝国のイデオロギーにしてしま

うことが可能だからです。

・事実ローマ帝国領内に広がったキリスト教に対し、はじめはローマ帝国は他の宗教と同じように寛容であ

り、それ自体を禁止することはありませんでした。しかし、キリスト教徒がローマ法を守らない(ローマの

神々への供え物を拒否するなど)場合は罰せられました。また庶民の間にも、キリスト教徒は「人肉食をし

ている」などの誤解(聖餐式というキリストの血と肉を象徴するブドウ酒とパンを信者が食べる儀式ご誤解

された)されたり、奴隷も同じ信者として同席して会合していることを社会秩序を乱すことと恐れられたり

するようになり、危険な宗教とみられるようになりました。ローマ帝国を通じ、迫害が続いたわけではなく、

何度かの迫害の時期と、容認される時期がありました。大きな迫害として知られているのが、1世紀のネロ

帝の迫害の時と、4世紀のディオクレティアヌス帝の迫害の時です。帝政後期には、皇帝崇拝が強要される

ようになり、キリストのみを信仰するキリスト教徒はそれを拒否し、激しい迫害を受け、殉教するものも多

くなりました。このような迫害にもかかわらず、キリスト教徒はローマ領内の下層民を中心に、カタコンベ

に隠れて信仰を守り、下層民を中心に広がっていきました。ようやく313年にコンスタンティヌス帝のミ

ラノ勅令によってキリスト教が公認され、ローマ帝国による迫害は終わり、ついに392年にテオドシウス

帝によってキリスト教の国教化が行われるに至ったのであります。

・国家や民族と協調的なキリスト教信仰は、国家や民族が他に開かれている場合にはあり得ても、一つの国

家や民族が自らを絶対化して他の国家や民族を支配して帝国主義的になったならば、そこでの協調はあり得

ないのではないでしょうか。二人の主人に兼ね仕えることはできないからです。戦前の日本の天皇制国家と

妥協して成立した日本基督教団が、戦時下日本国家の戦争に協力させられて、それに従ったとき、そのキリ

スト教信仰は天皇制国家のイデオロギーになったのであります。ナチズムのドイツキリスト者の教会も同じ

です。また、アメリカのブッシュ親子の大統領時代のキリスト教も。

キリスト教徒を迫害したネロがローマ皇帝だったとき、ローマ皇帝に上訴したパウロがその後どうなった

のか。ネロは68年に反乱により自殺しますが、ちょうどその頃には(66年から74年まで)、ユダヤ人はエル

サレムを中心としてローマと戦い、ローマの軍隊によってエルサレムエルサレム神殿も完全に破壊されて

しまうのです。そのようなことを考えますと、ローマ皇帝への上訴によって、パウロがすんなりと解放され

たとは思えないのです。

・バルトはある説教の中でこのように語っています。「もしわれわれがいつもただ祈り、歌い、説教を聞き、

美しい内面的生活を送って、この世を悪しきままにしておこうとするなら、神の国はいったいどのように到

来い得るのだろう。われわれは、キリスト教を、たんに私生活の中ばかりでなく、公共の中で、全く別の仕

方で妥当せしめるようにならなければならない」(バルト説教集機59頁)

・「然り、イエスは革命を引き起こした。人類における神的なものは、つねに人間的秩序に対する革命の中

にある。われわれがこの闘いに引き入れられるならば、みなさん、その闘いは、それが大きいか小さいかに

かかわりなく、闘わなければならない。そしてわれわれはどこででもその戦士でなければならない。おお、

われわれは覚醒し、戦士となることを欲すればよいのだが!」(同上、61頁)。

・イエスを信じ生きる信仰が、もじバルトの言う信仰であるとすれば、使徒言行録の著者ルカも、もしかし

たらパウロも、地上における神の国の実現を、イエスほど真剣に求めず、未来の終末に期待したのかも知れ

ません。現実が厳しければ厳しいほど、神の国をこの地上においてではなく、天上に求めて行くのではない

でしょうか。そのことによって、地上の支配者の横暴を容認してしまうとするならば、それはイエスのめざ

した神の支配としての神の国とは違うことを見失ってはならないと思うのであります。

・今日の日本の情況は、強い国家をめざす安倍政権によって、私たちキリスト者には、ローマ時代のキリス

ト者と同質の問いが投げかけられているのではないでしょうか。その意味で、今ご紹介しましたバルトの言

葉をよく噛みしめて、常に人間的秩序に対する革命の中にある神的なものを大切にして、その闘いに、小さ

くとも参与していく者でありたいと願います。