なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(200)

             船越通信癸横娃亜 。横娃隠鞠3月1日    

・2月22日(日)は礼拝後しばらく懇談して散会した後、私は教会で少し仕事をしてから、その日の午後4

時半神奈川教区事務所で開催された2014年度第4回教区オリエンテーションに参加しました。私はオリエンテ

ーション委員会の委員長をしています。教区総会毎に教団で免職された牧師である私北村が、教区の責任ある

立場にいるのは教規違反であるという発言が必ず出ます(28日の教区総会でもでました)。けれども、神奈川

教区では私の免職撤回議案が可決されていますし、委員会の互選で選ばれていますので、私が教区の委員会の

委員長をしてはいけないということにはなっていません。この日のオリエンテーションでは、東駒形教会の牧

師で、元宣教研究所委員をしていて、『日本基督教団資料集』の編集にも携わっていた戒能信生さんを講師に

お願いして、「日本基督教団の成立とその問題」というタイトルで話をしてもらいました。戒能さんの話の内

容を項目で紹介しますとこうなります。―ゞ誼賃遼,寮立、各教派の教団設立への動き、E??寮ち蠅

マスコミ報道、て鐱楷霪超誼弔忙臆辰靴審洞鞠鼻↓ザ誼沈立後、ι制から完全合同へ、Ыゞ技愼街埓の

問題、┸仰箇条への文部省の介入です。

・今回の戒能さんの話の中では、特にが興味深く思われました。『大阪今日新聞』による1939年秋からの集

中的バッシング報道「救世軍の陰謀を暴く」では、例えば「皇軍の名称を僭称し其の尊厳冒涜/何たる不逞不

敬の極み/政府は即刻禁止す可し」(九月二八日)という記事の紹介がありました。救世軍が「軍」という呼

称を使っているので、そのことが「皇軍天皇制国家の軍隊)の名称を僭称し其の尊厳冒涜」だというのです

から、言いがかりとしか思えませんが、あの時代にはそれが通って、救世軍に弾圧が加わったのですから、恐

ろしいとしか言いようがありません。

・また、┐蓮愿豕?偽荵法戮砲△訃攜世如⇔匹知られているものです。戦時下の教団の姿勢を示す証言です。

「信仰問答」をめぐって当時の文部省の教学局長と教団の統理者富田満と教学局長村田四郎とのやり取りです。

「文部省の教学局長が次の二つの点を指摘して訂正を要求した。すなわち、~和た世氾傾弔箸隆愀検現人神

である天皇を、キリスト教の神の被創造者として神とキリストの下に置くことは、天皇の神聖を汚して天皇

の不敬になる。天皇の神聖を認めなければ、キリスト教の日本化とは言えない。日本化しない宗教は日本では

認められない。▲リストの復活の信仰、復活信仰は幼稚で奇怪な迷信であるから、これを信仰問答から除外

せよ。/富田と村田は、もとよりそうした要求に応ずることはできなかった。二人は真実を吐露して信仰の本

質から説いてその意味を説明した。そして、『私どもは今日まで日本国民として、心から日本を愛し、日本の

非常時体制に即応し協力してきたのだが、信仰の最後の線から退くわけには行かない。そこまで仰言るのでし

たら、私どもにも最後の覚悟があります』という意味のことを言った。その時二人は心の中で殉教を覚悟して

いた。教学局長は、その気合に押されたのか、いくらか折れた形で、『では、こちらも考えておくから、そち

らでもよく研究してくれ』と言った。帰途、二人は『いよいよ殉教かもしれないね』と語り合った。・・・・

圧迫は日に日に激しくなったが、この問題については、文部省からは何の連絡もないまま終戦になった。」

・当時の教団は一方では戦争協力を積極的にしていたのですから、そのことと「信仰問答」の信仰内容に関わ

る干渉には殉教を覚悟したということをどう考えればよいのでしょうか。信仰問答の信仰内容を守ることがで

きれば、どんなに教団が戦争協力をしていても、それは命を賭けるほどの問題ではないということになるので

はないでしょうか。そのようにして守られる信仰とは何なのでしょうか。疑問に思わざるを得ません。現在の

教団の中で信仰告白、教憲教規を声高に言う人々に、私は同じ疑問を感ぜざるを得ないのです。

・さて、この週は大変忙しく過ごしました。23日の月曜日には、午後3時から4時まで、久里浜の核燃料製造工

場GNF-j裏門前で行われています抗議行動にはじめて参加しました。ちょうどIさんもいて、10人くらいの人と

一緒に抗議行動をして、私は午後4時にすぐ近くのバス停からバスで京急久里浜駅に行き、そのまま鶴巻に帰

りました。24日(火)は午後に農村伝道神学校で講師の会があり、私も出席しました。25日(水)は午後3時

から6時まで横浜駅西口から少し行った県民サポートセンターの会議室で、「沖縄から米軍基地の撤去を求め、

教団合同のとらえなおしを進める会」の世話人会があり、関西から来た3名の方と神奈川東京の3名の6名で、

今後の話し合いをしました。この会は、2002年の第33回教団総会で名称変更議案をはじめ合同のとらえなおし

関連議案がすべて審議未了廃案となったときに、沖縄教区は教団との間に距離を置くようになったのですが、

その次の第34回教団総会の時に有志で立ち上げたものです。4年ほど神奈川で事務局を引き受け、その間私が

事務局長をしていました。その後関西の方で事務局を引き受けてくれています。

・26日(木)は、午後2時半鎌倉恩寵教会で沖縄辺野古の新基地反対闘争の記録映画「圧殺の海」上映会と沖

縄佐敷教会牧師の金井創さんの講演会に行き、その後夜に紅葉坂教会で私の支援会の世話人会・事務局会があ

りました。裁判終了後の支援会の活動をどうするかということで話し合いました。4月18日(土)午後1時半か

ら4時まで紅葉坂教会で支援会総会を開催し、そこで今後の活動を提案し、新たな取り組みをしていきたいと

考えています。私の免職撤回を求め、対話のできる開かれた教団をつくるために今後も活動を続けていくとい

うことを確認しました。27日(金)は寿でボランティア交流会があり、寿地区活動委員会の委員長として出席

し、28日(土)は教区総会でした。毎日集会があったこんな一週間は、今までも余りなかったことです。