なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(276)

           船越通信癸横沓供 。横娃隠暁8月21日    

・14日(日)の礼拝には聖餐式がありました。船越教会は例年平和聖日(今年は7日)に聖餐式をしてい

ますが、その日は私が紅葉坂教会の礼拝説教に出かけていましたので、14日(日)の礼拝に聖餐式をする

ことにしていたからです。私は7日の平和聖日紅葉坂教会の礼拝でも聖餐式がありましたので、聖餐式

7日と14日と2回続けて司式者し、司式者として陪餐に与かりました。紅葉坂教会での聖餐式の式文は、かつ

て私が行っていたものをその使いました。船越教会には以前から司会者と会衆がそれぞれ朗読する詩編の交

読文のように、福音書のイエスの言葉を中心にまとめた式文がありますので、その式文で聖餐式を執り行い

ました。どちらもどちらかというと、イエスの生き様と十字架と復活の想起が中心で、その主イエスの招い

ておられる主の食卓にみなで与かるという形になっています。確かバルトは教会のサクラメントとしての洗

礼も聖餐もある意味で相対化して、イエス自身だけがサクラメンタルな存在であるという主旨のことが述べ

ていたように思います。その意味からすると、紅葉坂教会での私の式文も船越教会の式文もバルト的なもの

と言っていいかもしれません。私は非受洗者にも陪餐を許したということで、戒規免職処分を受けています

が、私を戒規免職処分にした教団の教師委員会の委員にしても、審判委員会の委員にしても、私が紅葉坂

会で行っていた聖餐式には一度も来たことがありません。もし私を戒規免職にした人たちが、私が執行して

いる紅葉坂教会の聖餐式に与かったならば、これは伝統的な教会のサクラメントとしての聖餐式ではなく、

愛餐に近い主の食卓ではないかと思ったかも知れません。今回8月7日の平和聖日紅葉坂教会の礼拝で聖

餐式を司式して、そんなことを思いました。つまり私を戒規免職処分にした教団執行部側の人々は、事実を

全く検証しないで、記録をとらない自由な懇談ということで、私が常議員会で非受洗者にも開かれた紅葉坂

教会の聖餐式について発題した、その私の発題を根拠にして私を戒規免職処分にまでしているわけです。で

すから、私の支援会の世話人代表をしてくださっている関田寛雄先生が、繰り返しおっしゃっていますよう

に、私の免職処分は聖餐が理由ではなく、聖餐は後付けの理由で、本当は万博・東神大問題など、東神大

判をはじめ、70年以来の教団問題の問題提起を持続している私が邪魔で排除したというのが、真相かも知れ

ません。第三次安倍内閣が誕生し、今後改憲により、現憲法に基づく個人の人権をベースにした民主的な国

家から、国家主義的な国家へと衣替えするようになったら、そうならないように最善の努力をしなければな

りませんが、現在の教団執行部の人々は「教会と国家」の問題にどう対処していくのでしょうか。そのこと

が問われると思います。

・14日は礼拝後いつものようにお茶を飲みながら懇談の時を持ち散会しました。私はまだバルーンをつけ

ていましたが、午後3時から紅葉坂教会でありました教区の平和集会に参加しました。講師は木村草太さんで

した。古館伊知郎の「報道ステーション」でコメンテイターをしていた人です。「憲法状況から、戦後日本

の民主主義を問う」という題で講演がありました。さすがに若手の憲法学者として名前が知られていたから

でしょうか。200人弱の人が集まりました。木村草太さんは、「昨年7月、衆議院での公述人として、集団的

自衛権の行使を含む安全保障関連法案について、他国防衛を日本国憲法第9条の例外として認めることはでき

ないなど明快な発言が注目された。個別的自衛権の行使または「外交協力」として「外交権に含みうるPKO

への協力とは異なり、集団的自衛権による他国防衛は行政権・外交権にとどまらない明らかな軍事権の行使

であって、政府に軍事権を与えていない(行政権と外交権しか与えていない)日本国憲法において政府によ

る「越権行為」であり憲法違反であるとも指摘しました。個別的自衛権を超える集団的自衛権の行使には国

民投票による憲法改正が必須であること、政府は憲法を通じて国民から負託された権限しか行使ができない

こと、等々の諸点を明確にし、政府提出法案に反対の意を表明しています」(集会チラシより)。講演で木

村草太さんは、人権の問題との関連でPTA活動を取り上げていました。PTA活動には人権侵害に当たる事例も

あるということで、一人ひとりが人権意識をはっきりもって行動することの大切さを考えさせられました。

また、質疑応答のときに、前以て講師に出された質問のメモを見て、木村さんは答えてくれましたが、その

質問の中に「自民党憲法草案のどこが問題か」という質問があり、そのメモを読んで木村さんが直ちに

「全部」と答えたのが印象的でした。木村草太さんは憲法学者として、憲法第9条においても個別的自衛権

は否定されていないから、自衛隊の存在自体は憲法違反ではないという立場です。法律的にはそうなのか

もしれませんが、自衛隊の存在を容認できるとなると、今回の集団的自衛権をはじめ、自衛のための戦争に

限定することの困難さに直面します。その時の政府次第にならないのか。場合によっては、侵略のための戦

争をしないとも限りません。そもそも軍隊がなければ、集団的自衛権も、自衛を越えた侵略的戦争への危惧

も必要がありません。最初に憲法第9条を作った時には、一切の軍隊を持たないという思いが強くあってで

きたのではないでしょうか。朝鮮戦争を契機としてアメリカ軍に組み込まれる形で、警察予備隊がつくられ、

自衛隊になっていったその歴史には、私たちの選択を越えたアメリカの力が影響しているように思えてなり

ません。核爆弾にしても原発にしても、一度持ってしまったのを廃棄することの困難さを思わされますが、

勇気をもって廃棄することによって未来が開かれていくのではないでしょうか。そういう政治家が排出する

ような日本社会にしたいものです。

・15日(月)に私は秦野日赤病院泌尿器科に診察に行きました。そこでバルーンを取ることが出来、平常

の生活に戻ることができました。1か月後に血液検査の結果前立腺肥大が悪性のものでなければ、薬で治療し

ていくことになりました。ご心配をおかけしました。今度のことで、人間の体が精密な機械のような構造に

なっているということを、しみじみと味わわされました。どこかに故障が起きると、その精密な機械が狂っ

てしまうのです。そういう意味で、人間は物としての肉体にありながら、人格的な精神性をもった、本当に

不思議な存在であることを、改めて感じた次第です。