なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(290)

         船越通信癸横坑亜 。横娃隠暁11月27日    

・20日の日曜日は礼拝後アドベントの準備をすることになっていました。この日は出席者が少なく、

しかも今までのことをよく知っているのはIさんだけでしたので、例年している講壇の前にテーブルを

出して、その上にクロスを敷いて、四本の長方形の大きなローソクを並べるだけは、みんなでしました。

ローソクの周りには古木と石と松ぼっくりに、庭からカイズカイブキ(?)の枝をTさんが切って来て

緑を加えてレイアウトしました。これが船越教会のアドベントクランツです。その後4人(上記のお二

人に私とI・Kさん)でお茶を飲みながら懇談して散会しました。

・私はその後来週の準備をして、午後2時半過ぎに船越教会を出て、鶴巻に帰りました。この日は早目

に鶴巻に着きましたので、夕飯前に日帰り温泉弘法の里湯に行き、ゆっくり温泉に入ってこようと出か

けました。ところがこの日は天気も良く暖かだったので、山帰りの人が多く、内湯も外湯も芋を洗うよ

うな状態で、ゆっくりどころではありませんでした。帰りがけ受付の人に、「今日は人が多いですね」

と声をかけましたら、「昨日の土曜日が雨で少なかったものですから」と、土日の客がこの日の日曜日

に集中したような言い方をしていました。

・21の月曜日は、鶴巻温泉駅を午前7時45分の急行新宿行きの小田急に乗り、新宿から高崎に行きまし

た。I・Kさんを訪ねるためです。新宿から埼京線で大宮に出て、大宮で乗り換えて高崎に向かいました

が、埼京線に遅れが出て、高崎に着いたのは予定していた時刻よりも大分遅れてしまいました。I・Kさ

んに連絡していた時間のバスよりも一本早目のバスに乗ろうとして、鶴巻を出たのですが、結局予定通

り高崎12時30分発榛名湖行きのバスに乗り、午後1時15分過ぎにバス停榛名荘病院前でバスを降りました。

バス停にはI・Kさんのお連れ合いが出迎えて下さり、I・Kさんご夫妻が現在入居されているホームの部

屋に案内していただきました。I・Kさんが入居しているホームは健康な人の有料老人ホームですが、そ

の他にも様々なタイプのホームがある聖公会系の施設です。社会福祉法人新生会が運営しています。

・今回私がI・Kさんをお訪ねしましたのは、I・Kさんがずっと世話人代表をしてくださっていて、群馬

のホームに入ってからは、私も共同代表になっています求めすすめる連絡会(沖縄から米軍基地撤去を

求め、教団「合同のとらえなおし」をすすめる連絡会)の世話人会が、23日(水)に横浜駅西口の県

民サポートセンターでありますので、そのためにI・Kさんの意見をお聞きするためでした。I・Kさんは

脊椎狭窄症により歩行が大分困難になっておりますし、また、耳も大分聞こえにくくなっているようで

す。補聴器によって私の話は聞き取れるようでしたが、いつも頭の中がガーガーしていて、鬱陶しいよ

うです。それでも約2時間強、いろいろと話し合ってI・Kさんの意見を伺ってくることができました。帰

りがけに同じホームにいらっしゃる、私が1970年代前半に東京で教師検定拒否問題の集会で何度かお会

いしたことのある、元中野桃園教会牧師のT・Tさんご夫妻ともお会いすることができました。室田のバ

ス停までI・Kご夫妻に車で送っていただき、午後4時10分の高崎行きのバスに乗って、I・Kさんご夫妻

と手を振ってお別れをして帰ってきました。I・Kさんは牧会にもご自分が取り組んできた沖縄や教団の

合同のとらえなおしにも、衰えることのない意欲を持っておられる方ですから、加齢と病気による心身

の弱さは厳しく身に応えているのではないかと思われます。まだ一つ、「神戸の時に関わったある画家

の本を出すために原稿を書いているが、パソコンの前には20分以上座ることがなかなかできないのでね

」と言われていました。健康が支えられて、そのお仕事が達成できるように祈ります。

・22日(火)には前週納骨式のためにお休みした農伝の説教演習に行きました。農伝は鶴川の里山

中にありますので、木々に覆われています。既に紅葉は終わりかけていましたが、何本か大きな木の葉

っぱがまっ黄色をしていたのが印象的でした。時間がある時は、遠回りして緩やかな坂道を里山の風景

を楽しみながら行くことにしています。さて23日(水)は休日でしたが、求めすすめる連絡会の世話

人会が横浜駅西口の県民サポートセンターの会議室で午後2時からありましたので、鶴巻を昼少し前に

出ました。お昼はいつも食べている相鉄横浜駅構内にあるうどん屋さんで、イカゲソ天うどんにトッピ

ングで芋天を入れてもらってすませました。世話人会は関西から4人、東京の1人と私を加えて6人で行

いました。本年2月に求めすすめる連絡会の全国集会が沖縄で行われました。その集会の総括と、近々

発行予定の高江に特化した通信22号の編集、さらには来年春に予定している全国総会の準備などが主な

テーマでした。この連絡会でいつも問われるのはヤマトの人間である私たち一人一人の当事者性です。

この日の世話人会でも伝えたのですが、I・Kさんは、この連絡会の運動は三つの事を大切にしてもらい

たいと言っています。➀戦責告白の実質化の一つであること。⊆匆馘には沖縄の構造的差別を問うこ

と。8朕妖な運動としてではなく、教会の運動であることです。当事者性ということは、ヤマトの人

間としてこの三つのことを自分の問題として担うということです。そのことを抜きにして、ただ沖縄の

話を聞きたいとか、学びたいというだけでは、ある意味で沖縄の方々から私たちは一方的に収奪してい

ることになって、沖縄の方々との対等な関係にはならないのです。そういう一方的な関係に終始してい

るヤマトの人間が多いことに、沖縄の方々はある種の怒りを持っているように思います。私も支援会の

宣言のぁ峅縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。」に対して、沖縄の方からあ

る方を介して、「自分はヤマトの人に何度も何度も話してきたが、しかし、何も変わらないので話すの

はやめた。資料があるのだから自分で学んでくれ」と言われました。そういうことです。このことに無

自覚ですと、沖縄の方を繰り返し傷つけてしまいます。そういう他者性と当事者性についての意識が、

残念ながら現在の教団の執行部をはじめ教団の大勢には欠けていますし、私たちの中にも本当にあるの

かと問われているのではないでしょうか。この課題に自覚的でありたいと思います。