船越通信癸横坑機 。横娃隠掲1月1日 北 村 慈 郎
・新しい年の皆様の歩みの上に主の導きをお祈りいたします。
・12月24日(土)午後7時から、Iさんの運動仲間が沢山出席してくださり、総勢35名の出席で燭
火礼拝礼を行いました。礼拝後いつものように祝会が行われました。燭火礼拝の後に祝会がある教会は
少ないのではと思いますが、これが船越教会の伝統で、祝会に出る料理が盛りだくさんで、食べて飲ん
で楽しむ、それこそ祝宴そのものです。今年はクリスマスイブが土曜日で、翌日がクリスマス礼拝でし
たので、祝会にはゲームもなしにして、参加者の自己紹介をしていただきました。Iさんの運動仲間の
の中には、ご自分で損保の仕事をしながら平和運動に取り組んでおられるご夫妻もいらっしゃいました。
このご夫妻は今回が初めてですが、2回目になる方も何人かいらっしゃいました。その中のお二人は、
昨年の夏に船越教会に宿泊した自転車で平和を訴えているピースサイクルにも参加していた方です。そ
ういう方々がクリスマスの燭火礼拝に参加してくださることはうれしいことです。この社会の中に平和
や正義を求める人々には、キリスト教徒であろうとなかろうと、その人の中に人間が本来持っているは
ずの神の似姿性があるのではないかと思えてなりません。利己主義やお金(マモン)への拝跪によって、
その人から神の似姿性が隠蔽されてしまっている人も多いと思いますが、そういう人であっても、何か
のきっかけで自分の中にある神の似姿性がよみがえって変わる人もあるのではないでしょうか。午後9時
過ぎには祝会を終えて、後片付けをして、それぞれ散会しました。
・みなさんが帰ってから、私は残っていました翌日のクリスマス礼拝の準備をして、12時過ぎに床につ
き、3時半に携帯の目覚ましを設定して寝ました。ところが目覚ましが鳴らなかったのか、目が覚めたの
は25日(日)の朝5時でした。予定していた時間より2時間短縮しなければなりませんでしたが、10時半
の礼拝開始前には何とか全ての準備ができて、クリスマス礼拝に臨むことができました。N・Sさん、N・M
さんご夫妻はわざわざ鎌倉のホテルに宿をとって、昨夜の燭火礼拝・祝会に引き続き、日曜日のクリスマ
ス礼拝にも出席されました。私はクリスマス礼拝の説教で、3年前にまとめて教会堂の外壁に掲示してい
ます、「船越教会横須賀平和センター宣言」(私たちは、先の戦争に対する責任を自覚し、いのちを脅か
す貧困、差別、原発、軍事力をはじめとするあらゆる暴力から解放されて、自由、平等、人権、多様性が
尊重される平和な世界の実現を求め、共にこの地に立つことを宣言します。2013年・クリスマス 船
越教会一同)に触れて、その再確認を促しました。また、クリスマス礼拝では聖餐に共に与りました。船
越教会の聖餐式は、私が牧師になる前から船越教会で用いられています「船越教会礼拝式文」に従って行
っています。この「船越教会礼拝式文」は、サクラメントとしての聖餐式という点からすれば、サクラメ
ンタルな恵みと共に、それを受ける陪餐者の応答性・倫理性が強調されています。キリストの恵みとして
の聖餐に与って、私たちがどのように生きていくかという、私たちの決意性が強調されているのです。も
ちろん聖餐には洗礼を受けていない人も、希望すれば誰でも与ることができるように、招きの言葉はなっ
ています。1970年代以来、船越教会の聖餐式はそのように行われています。礼拝後には、連れ合いがガバ
オライスを作り、それに前夜の祝会の残り物で、昼食会を持ちました。燭火礼拝、祝会、クリスマス礼拝、
昼食会と、連続してクリスマスを堪能して散会しました。それが2016年の最後の日曜日でした。
・私はみなさんを送り出した後、船越教会で1月1日の日曜日の準備をすると共に、28日(水)に予定して
いました紅葉坂教会の信徒の方の葬儀式の式次第を印刷してから、船越教会から鶴巻に連れ合いと一緒に
帰りました。28日(水)には、朝から紅葉坂教会にでかけ、まず納棺式を行い、続いて葬儀式を行い、火
葬場に行って、故人のお骨上げをして、夕方鶴巻に帰ってきました。故人は90歳になっていましたので、
前夜式は割愛しました。この頃特に高齢の方が召された場合、葬儀式だけを行い、前夜式は割愛すること
が多くなっています。参列する方も家族と親戚の方が中心になっていますので、二度同じような式をする
必要がなくなっているからでしょうか。仏教には通夜式と葬儀(告別)式には、それぞれ宗教的意味があ
るようで、通夜式を割愛することをよろこばないお坊さんもいらっしゃるということです。キリスト教の
場合には、前夜式(通夜式)は、お仕事を持っておられる方が昼間の式には出にくいので、夜の前夜式に
ということで、機能的に行ってきたか、仏教のやり方に倣って行ってきたように思います。それが機能的
にも必要がなく、また仏教のやり方に倣ってということに遺族の方々が意識的に拘束されなくなってきて
いますから、葬儀式だけで済ますことになってきているのではないかと思われます。もちろん葬儀式だけ
だからと言って、一人の方を葬送するということの重さは変わるわけではありません。今回の方は、お連
れ合いを若いときに亡くし、お連れ合いの働いていた会社に御自分が働き、一人息子を育てました。その
息子さん夫婦にはお二人のお子さんがいらして、それぞれ結婚していて、二つの家族にはそれぞれ小さな
二人のお子さん(故人からすると曾孫さん)がいらっしゃいました。ご遺族の方の上に主の平安と慰めを
お祈りいたします。
・この週安倍首相のパールハーバー訪問というパフォーマンスがありましたが、もし「和解」ということ
であれば、あの15年戦争によるアジアの国々への日本の侵略に対する反省を踏まえて、中国や韓国、朝鮮
人民共和国(北朝鮮)などのアジアの国々との「和解」をめざすべきではないでしょうか。アメリカとの
軍事同盟の強化は、日本の国がアジアの国々との関係においては、むしろ対立が深まることにならざるを
得ません。稲田防衛大臣の靖国神社参拝と言い、辺野古の基地建設再開と言い、安倍政権の強権的姿勢は
目に余ります。