なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(545)

船越通信、№545 2022年12月18日(日)北村慈郎

 

  • 8日(木)夜に支援会の世話人・事務局会がZoomでありました。12月5日(月)、6日(火)に開かれた第42総会期常議員会があり、その常議員会には支援会から二人の方が傍聴してくださいましたので、二人からその報告を受けて、話し合いました。その結果、9月末開催の教団総会会期中に行われた支援会全国交流集会の報告を中心に、通信第30号を来年1月半ばごろに編集印刷し、教団の全教会・伝道所と支援者に発送することにしました。教団の全教会・伝道所にはTさんがまとめてくれた私の戒規免職の経緯が掲載されている通信第29号も同封するようにします。また、来年2月に第4回全国Zoom懇談会を行なうことにしました。私個人としては、新しい常議員と教区議長の中には世代交代している人もいますので、私の戒規免職問題がどういうプロセスで決定されたのか、全く知らない人もいるかと思えますので、クリスマスが終わってから、全員に資料を添えて私の戒規免職の経緯を説明すると共に、教団が自浄能力を発揮するようにお願いする予定であることを、報告しました。
  • 11日(日)は礼拝後の報告で、Nさんから横須賀で月一回行っている食糧支援についての報告がありました。その後、礼拝参加者の残れる方で用意していただいた昼食を共にしました。久しぶりにMさんが礼拝に出席し、共に食事をしてから、役員会が始まる前に帰っていきました。Mさんは体調を崩して入院したりして、やっと船越教会まで歩いて来られるような体力に回復してきたとおっしゃっていました。クリスマス前に検査があり、それをクリアーすれば元の状態に戻るのではないかとおっしゃっていました。Mさんの健康が回復するようにお祈りしています。Mさんが帰った後、この日はT・Tさんが欠席でしたが、役員3人と私とで12月役員会を行ないました。クリスマス礼拝と燭火礼拝を予定通り行うことを確認しました。Hさんからクリスマスに聖餐式が出来ないかと提案があり、クリスマス礼拝での聖餐式の執行について検討しましたが、今回は見送り、来年のイースター礼拝での実施を、実施方法の検討を含めて追求することにしました。クリスマス対外献金は今年も農村伝道神学校と寿地区センターに献金することにしました。その他、12月の「ウクライナに平和を!」のスタンディング行動は18日(日)礼拝後に行うこと。消防署の立ち入り検査を受けて、改善を求められた件については、それぞれ対応することにしました。主な協議事項は以上ですが、詳しくは12月役員会報告をご覧ください。役員会を終えて、皆さんが散会した後、私もすぐに船越教会を出て、鶴巻に帰りました。
  • この週は木曜日の国会前の座り込み以外に予定がなく、少しのんびりできると思っていたところ、14日(水)夜8時20分ごろ、電話があり、関田先生が入院していて、危篤状態で、ご家族の方々もいらっしゃっているという連絡がありました。私は聖書と讃美歌をバッグに入れて、普段着のまま鶴巻温泉駅から電車に乗って、大網に向かいました。大網に着いたのが午後11時半を過ぎていて、病院着いた時には、関田先生は既に召されていました。ベットに横たわり、静かに眠っているかのように思えるくらい、いつもの先生のお顔でした。私は、一言「先生本当にありがとうございました」と言い、そこにいた関田先生のご家族5人他に、「聖書を読んで、一言お祈りさせてください」と言って、詩篇23編を朗読し、短く祈りました。それからすぐに、葬儀社の方がいらして、関田先生の葬儀が行われる斎場まで搬送していきました。明日15日(木)午前中にその斎場のある葬儀社で葬儀の打ち合わせをすることを確認して、それぞれ分かれましたが、私は関田先生の長男の方の車で、大網の一つ千葉寄り土気駅前のホテルに送っていただき、この日はそのホテルに泊まりました。ホテルに着いたのは0時半近くでした。その日の15日(木)午前9時半ごろ、ホテルに車で迎えに来てくださり、関田先生の葬儀をする斎場のある葬儀社まで行きました。そこで、関田先生のお子さん3人他と私とで、葬儀社の方と打ち合わせをして、車で大網まで送っていただき、12時半くらいの電車に乗り、東京駅、新宿駅経由で鶴巻に帰ってきました。マンションに着いたのは午後3時半過ぎでした。
  • 実は、私は関田先生から1年半くらい前に、はがきをいただいて、自分の葬儀は家族葬でしたいので、私に司式をしてもらいたいと言われていました。そのはがきには、このことは誰にも言わないでいて欲しいとありました。荷が重いと思いましたが、お世話になっている関田先生からそう言われたら、お断りすることはできませんでした。そして、昨年12月5日に鶴巻温泉で、関田先生から、ご家族の方が私に会いたいと言っているので、その席を設けるので来て欲しいと言われ、伺いました。鶴巻温泉に大和旅館というところがありますが、その旅館の部屋で、私をご家族の方々、お連れ合いと5人のお子さんとそのお連れ合い、数名のお孫さんに紹介して下さり、しし鍋を御馳走していただきました。
  • さて、大網から帰って来てから、どうも関田先生が帰天されたことが家族・親族以外の方にも知られているようで、ご遺族に問い合わせが来ているというのです。そこで、川崎戸手教会牧師の孫さんが先生のお嬢さんと相談して下さり、訃報という形で、関田先生の帰天をお知らせし、葬儀は家族近親者のみで行い、何れお別れの会をご遺族と相談してするので、問い合わせ等はお控えくださり、静かにお祈りくださいと、各方面に連絡して下さいました。孫さんが関田先生の訃報をメールで出して下さったのが、午後9時ごろですが、その後滋賀にいる私の神学校時代の最も親しい同級生から電話があり、同じ同級生である彼の連れ合いが帰天したという知らせがありました。彼女の葬儀の話を以前から頼まれていたのですが、関田先生のことをお話しましたら、彼はそれでは無理だねと言ってくれました。しかし、彼女の葬儀が17日に滋賀の近江平安教会でありましたので、朝早く出かけ葬儀式だけには参列して来ました。