船越通信癸械横押。横娃隠掲7月16日 北村慈郎
・9日の日曜日は礼拝後お茶をいただき懇談後散会しました。私と連れ合いは、午後2時半からなか伝道
所のH牧師の就任式がありましたので、来週の準備を済ませて、午後1時15分ごろ船越教会を出て、京急田
浦→横浜→JR石川町というルートでなか伝道所に行きました。Lプラザの向いの交差点になか伝道所の方
が案内役として立っててくださいました。なか伝道所のある金岡ビルの入り口にも案内役の方がいらっ
しゃいました。神奈川教区の教会関係者はなか伝道所の場所は分かるかもしれませんが、Hさんの友人で
はじめてなか伝道所に来られる方は、確かに分かりにくいので、案内役が必要だったのでしょう。私たち
が受付で記名して席に着いたのは就任式開始5分前くらいで、なか伝道所は金岡ビルの二つの部屋を借り
ていますが、礼拝堂に使っている間仕切りのない部屋はほとんどいっぱいでした。そこにはほとんど来客
者が入って、なか伝道所の方々はもう一つの部屋の方にいたようです。就任式の司式は常置委員の上大岡
教会のH・T牧師がしました。Hさんと綿密に打ち合わせをしたのではないかと思われますが、権威主義的
ではなく、平らな感じの心のこもった就任式でした。就任式後来客者のほとんどすべての人から、一言ず
つ励ましの言葉がありました。お祝いの言葉ではなく励ましの言葉をというHさんからの要望が多くの人
に伝わっていたからかも知れません。在日大韓基督教会の牧師さんが、牧師就任式というお祝いの場で形
式的なお祝いの言葉ではなく、それぞれの批判的な思いも率直に語られていたのを聞いていて、ある種の
感動を言葉にしていました。そういう意味では、型破りな就任式の茶話会であったかも知れません。最後
になか伝道所のKさんがギターで一曲歌って茶話会が閉じられました。午後2時半に始まった就任式でした
が、来客40人ほどでしょうか(なか伝の人も加えますと、70~80人いたでしょうか)、一人一人がひと言
話したこともあって、終わったのが午後5時頃になっていました。その後三次会がセットされているとい
うので、関内に近い中華店に行きました。しばらく後から後片づけをして参加されたなか伝の方たちも加
わって、総勢30人くらいの方々が四つのテーブルに分散して、飲み、食い、話しに花を咲かせました。午
後9時半過ぎに私と連れ合いと横浜二ツ橋教会牧師のYさんの3人は一足先にお店を出て、帰路に着きまし
た。Hさんをなか伝道所に紹介したのは、私たち夫婦ですので、これからもHさんを支えていきたいと思い
ます。
・10日月曜日から12日水曜日まで、私は秦野日赤病院に検査入院をしました。昨年の8月第一日曜日
に無牧だった紅葉坂教会の平和聖日の礼拝説教をした後、紅葉坂教会の方々と会食をして鶴巻に帰りまし
た。この日は相当暑く、もしかしたら水分を十分補給していなかったのではないかと思いますが、夕方か
ら熱中症のような症状が出て、高熱になり、水分を補給したのですが、尿が出にくくなり、夜中にはほと
んど出ずに全身冷や汗が出て、どうにも我慢できなくなり、妻に救急車を呼んでもらい秦野日赤病院に連
れて行かれ、その夜だけ入院して、尿は管から出すようにして、その状態で一週間家で生活しました。一
週間後秦野日赤に診察に行き、泌尿器科で前立腺肥大ということで、薬での治療がはじまりました。3か
月に一回診察に通い、経過を診てもらい薬をもらうということが繰り返されていましたが、本年6月のPSA
検査の結果数値が高止まりで下がらないので、検査入院ということになった次第です。紅葉坂教会の牧師
時代に脱腸の手術で4~5日入院したことがありますが、入院はそれ以来になります。検査入院ですので、1
0日は午後1時45分までに病院にくるようにということでしたので、準備をして私一人でその時間に病院に
行き、入院手続きをして、4人部屋の一つのベットに入院しました。さっそく担当の看護師から、過去の
病歴などの聞き取りがありましたが、宗教欄の所で、宗教はキリスト教で牧師だと言うと、若い二人の看
護師は、牧師さんですかと少し驚かれたようです。その後は何もなく、その日は夕食をいただき、午後9
時消灯ということで、少し持っていった本を読みましたが、ほとんどベットの上でうとうとしていまし
た。4人部屋ですが、それぞれのベットはカーテンで完全に仕切られていて、一緒に入院している方との
コミニュケーションも全くありません。その日看護師の方からペットボトル500ミリ2本を用意するように
言われ、売店で用意し看護師に預けました。夜中の0時に持ってくるので、0時から朝の6時までに、一本
は完全に飲み、できれば2本飲むようにということでした。ところが、0時になっても看護師さんはペット
ボトルを持ってきませんし、午前1時近くになっても来ませので、私がナースステーションに出向き、2本
のペットボトルをいただいてきました。午前6時までに1本半ほど飲みました。これは11日の朝9時の手術
前に、夕食後に飲んだ下剤と共に便をスムーズに出すためではないかと思われます。検査手術は11日の朝
9時に行われました。手術には立会人が必要とのことで、その日の8時半までに連れ合いに病院に来てもら
いました。2時間ほどの手術は無事に終わり、その日は夜10時ごろまで三種類の点滴を受け、翌日12日朝8
時半ごろ担当の医師から退院許可が出ました。この検査の結果は24日の受診のときに聞くことになってい
ます。荷物をまとめ、顔もほとんど見ていない同部屋の3人の方々にカーテン越しに、一言お世話になり
ましたと声をかけて、受付で会計を済ませて、鶴巻に帰ってきました。
・12日(水)夜県央共闘会議の幹事会がありましたが、さすがにこの日は検査入院から帰って来た日で
したので、休ませていただきました。K・Hさんが出席して、資料を後日私にくださるということです。
・13日(木)16:30より高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)があり、この委員会に
は出席しました。基地小が共催となっています9月18日(月・祝)に船越教会で行われます、2回オリエン
テーション(横須賀の基地問題と監視体験)の案内文原案を検討してもらいました。すでに決まっていま
す基地小独自の講演会(11月11日(土)午後1時半から紅葉坂教会で、「沖縄の視点から東アジアの安全
保障を考える」講師:新垣毅さん<琉球新報東京支社報道部長>)についても協議しました。14日
(金)は夜船越教会の聖書研究会がありました。