なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(342)

     船越通信癸械苅押   。横娃隠掲12月10日   北村慈郎


・3日(日)の礼拝にはOさんが出席しました。Oさんは聴覚障がい者ですので、前以て説教の原稿を用意

し、当日礼拝前にOさんにお渡ししました。今回はパソコン通訳が出来ませんでしたので、TさんにOさ

んの脇に座ってもらい、私の説教が説教原稿のどこを語っているかを指示してもらいました。礼拝後O

さんから私は質問を二つ受けました。一つは信仰について、もう一つは教会についてです。信仰について

の質問は、自分は信仰とは、「私が信じる」という私の信仰と考えているが、ある文章では、そのよう

な私の信仰を否定しているように書かれているが、それは何故なのかという問いでした。それに対して

、私は信仰とはそもそも関係概念であること。従って信仰には、「信じる信仰」と「信じられる信仰」

があると申し上げました。前者は、Oさんの言う私の信仰や私たちの信仰です。けれどもその信仰には

、何を信じるかという「何を」があるわけで、それが後者になります。信仰はギリシャ語でピスティス

ですが、このピスティスを「真実」と訳すこともできます。例えばパウロの信仰義認、すなわち「信仰

によってのみ義とされる」は、この「信仰」を私たちの人間の側の信仰と理解すれば、私たちがイエス

・キリストを信じるその私たちの信仰によって神の義を獲得できるという風にも言い得るわけです。けれ

どもそうでしょうか。私たちの信仰には、そのような神の義を獲得できるほども力があるのでしょうか

。自らの信仰、信を振り返った時に、私たちの信仰は、信と不信とが葛藤しているようなもので、あの

福音書の父親の「信じます。不信仰な私をお助け下さい」としか言いようがない信仰なのではないでしょ

うか。とすると、そのような私たち人間の側の信仰によって神の義を獲得できるなどとは、到底言えない

ように思われます。ある人は、人間の側の信仰は水道管のようなもので、その管を通して注がれる水のよ

うに、私たちの信仰という管を通して神の恵みとしてのイエス・キリストの福音が注がれるのだ、と言っ

ています。信仰が関係概念であるということは、そういうことです。私たち日本の文化的伝統からします

と、信仰は信心と考えられ易いのではないかと思います。お百度参りという願掛けを、私たち日本人は信

心の熱心さと考えています。自分の願いの実現成就を第一に考えていますから、神社仏閣はある面でどこ

でもいいのです。そこでは「信じられる信仰」はほとんど考えられてはいません。日本のお祭りには人間

の側の激しい情念はありますが、ことばであるロゴスは私には見出せません。キリスト教の祝祭にはイエ

スの誕生という出来事であるロゴスが中心にあります。復活祭もイエスの復活という出来事であるロゴス

があります。ロゴス、真実・真理、福音があっての信仰です。信じられる信仰の内容を問わない信仰は、

何者かを畏れる人間の心情、能力としての信心ではないでしょうか。聖書の信仰はそのような信心とは違

い、関係概念である故に、信じられる信仰が問題となるのです。


・Oさんから問われたもう一つの問題は、教会についてですが、これはこの通信では割愛させてもらいま

す。


・礼拝後の報告のときに、私は、大阪の「西成区特区構想」について、教団の解放センター主事のKさん

から、日雇労働者や野宿者支援に関わっている釜ヶ崎公民権運動の側からの資料を送ってもらいましたの

で、そのことをお話ししました。と申しますのは、「西成区特区構想」が釜ヶ崎を一変させるようなテレ

ビ報道があったようで、それを観たHさんからその話をお聞きしたものですから、そのテレビ報道に疑問

を感じて、Kさんにその話したところ資料を送ってくださいましたので、それに基づいてお話をさせても

らいました。釜ヶ崎公民権運動(釜ヶ崎の労働者/野宿生活者の奪われた権利の回復を求めて当事者とと

もに活動しているグループ)からしますと、「『西成特区構想』に関しても『まちづくり』と称しなが

ら、動労者や野宿生活者の排除をすすめていくようにしか見えない行政=西成区大阪市のやり方に大い

なる疑問を抱いています」ということです。寄せ場日雇労働者の街として、日雇労働者が仕事を求めて

集まって来る場所から、生活保護受給者を中心とする高齢者や様々な障害を負った方々を中心とする福祉

の街に変化してきていることは事実です。そういう現実を踏まえて、行政が寄せ場をどう変えていくかと

いう行政側の施策として「西成区特区構想」のようなものが出てきているのではないかと思われます。寿

地区にも同じようなことが起こらないとも限りません。社会的に最も弱い立場の人たちが切り捨て、排除

されないように、十分注意して見ていかなければならないと思います。


・3日(日)は礼拝後懇談に引き続いて役員会を持ちました。クリスマスの準備が中心ですが、教会機関

誌船越の丘からもクリスマスまでに発行することを確認しました。特に今年は24日が日曜日でもありま

すので、燭火礼拝は午後6時開始にしました。また、船越教会では毎年燭火礼拝後に食事をしています

が、役員の中にはクリスマス礼拝の後にクリスマスの食事会を開き、燭火礼拝の後はお茶くらいでいいの

ではという意見もでましたが、今年も例年通り燭火礼拝の後に食事会をすることにしました。午前中はク

リスマス礼拝ですので、準備を余り無理せずに、例年よりも少し簡素にしてもいいのではないでしょう

か。役員会が終わった後、私は来週の準備をして、船越教会から鶴巻に帰りました。その帰りがけに、京

急田浦に行く16号線の信号の手前でIさんにお会いし、船越の丘からにK・T牧師の思い出を書いてくださ

るようにお伝えしました。


・5日(火)は常置委員会がありました。4人の按手礼志願者の面談があり、4人の所信表明をお聞きし、

二重教職制の問題を始め、戦時下の戦争協力など様々な課題を抱えている日本基督教団の正教師になると

いうことを、この方々はどれだけ自覚しているのか疑問でしたので、私も質問をさせてもらいました。

「戦責告白と沖縄教区が教団と距離を置いているということをどのように考えているか、一人一人のお考

えを聞かせてもらいたい」と。教団には今も補教師のまま牧会をされている方がいます。そのような方々

のことを置き去りにして教団が行う正教師試験とは、一体何なのか。自己正当化と自事擁護からは、何も

新しいものは生まれてきません。私の問題を含めて、異質な者を排除する現在の教団はカルトとして生き

残ろうとしているのでしょうか。