なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ヨハネによる福音書による説教(51)「信・不信」10:31-42

3月10(日)受難節第4主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」。

                    (イザヤ書55:6,7a)

③ 讃 美 歌   151(主をほめたたえよ)

https://www.youtube.com/watch?v=eAWmu34gW2k

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編2編1-12節(讃美歌交読文5頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書10章31-42節(新約187頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌      487(イエス、イエス

https://www.youtube.com/watch?v=jsD7eSwD4AM

⑨ 説  教   「信・不信」           北村慈郎牧師 

  祈  祷

 

ヨハネ福音書では特に、イエスが語られた後で、必ずと言ってよいほど、それにつての賛否の分争が起こったということが記されています(9:16,10:19)。分争は時には激しく、むきだしの敵意の表現を伴います。/特に今日の箇所で、ユダヤ人たちの憤激をかり立てたのは、「わたしと父は一つである」(30節)というイエスの言葉でした。

 

それはユダヤ人たちにとっては、「神を冒瀆する言葉」であり、「人間であるのに自分を神としている」(33節)ことになるので、その罪は重大であると考えられたのです。神を冒瀆する者の受けるべき刑罰は、石打の刑でした。そこで、「ユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた」(31節)のです。

 

ここに<また>とありますが、8章の59節でも<ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした>とあるからです。

 

このユダヤ人たちのイエスに対する怒りには、神を信じると言われる人の宗教的な情熱のようなものが感じられます。自分たちは正しく、熱く神を信じているという彼らの宗教的な情熱です。ある種の熱心さです。そういう宗教的な情熱を強く持っている人は、えてして自分たちの神理解と違う人に出会うと、その人を否定し、攻撃し、場合によっては裁くのです。ファリサイ派ユダヤ人たちはそのような宗教的な情熱を持った人たちでした。

 

彼らは、イエスが語ること、為すことに接して、イエスが、彼らが信じている神を冒瀆していると思ったのです。ですから、神を冒瀆する者は石打の刑に処すべきであるという律法に従って(レビ記24:16)、「ユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた」(31節)のです。

 

しかし彼らはここで大きな錯誤におちいっていました。それは律法を重大なものと考えるあまり、生ける神の言葉をこまかい律法の条文と形式の中に閉じこめてしまって、その結果として、神が、今、ここで、イエスを通して自由に語りかける、その神の語りかけに耳を開いて聞く心を閉じてしまったということです。そのような彼らに、イエスは「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない」(25節)と言っています。彼らは、イエスが語られた教えによっても、イエスがなされた業である奇蹟によっても、少しも心を動かされることはありませんでした。彼らは、死せる律法の条文と形式を、生ける神と取り違えてしまったのだといえましょう。そこに律法主義のおとし穴があります(森野善右衛門)。

 

私たちの信仰がファリサイ派的な律法主義に陥っていないかどうか、自己吟味する必要があると、私は思っています。私は教団の中で「信仰告白と教憲教規の遵守」を強調する主張を聞くたびに、イエス・キリストが語る生ける神の言葉は信条や規則の中には納まらないのではないかという疑問を持ってしまいます。お互いの持っている信仰が、聖書に記されているイエスの生涯と十字架と復活の出来事に照らしてふさわしいものであるかどうか、吟味し合うことは大切だと思います。その際規準はイエスの出来事であって、信条や規則ではありません。そういう意味で、私たちは、ここでイエスを石打の刑にしようとしたユダヤ人たちの律法主義的な信仰理解に陥らないようにしたいと思います。

 

さて、「イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた」ユダヤ人たちに対して、イエスは、自分がしたどのような業のゆえに、私を殺そうとするのかと問われます(32節)。ユダヤ人たちは、「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ」(33節)と答えました。

 

それに対してイエスは、「律法」すなわち旧約聖書詩編82編6節の「わたしは言う、あなたがたは神々である」という言葉を引用して、世につかわされた者〔すなわちイエス御自身〕が「わたしは神の子である」と言ったからとて、どうして「あなたは神の汚す者だ」と言えるのかと、反論されます(34-38節)。

 

<そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない>(34-35節)。

 

エスがここで引用している「あなたたちは神々である」という言葉は、神の裁きについて記されている詩編82編の中にあります。詩編82編1節に<神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる>とあり、そしてこの神の裁きについて語る詩編では、最初にこのように言われています。<いつまであなたたちは不正に裁き/神に逆らう者の味方をするのか。/弱者や孤児のために裁きを行い/苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。/弱い人、貧しい人を救い/神に逆らう者の手から助け出せ>(2-4節)。そして続けて、<彼らは知ろうとせず、理解せず/闇の中を行き来する。/地の基はことごとく揺らぐ>(5節)と歌われています。

 

つまり、この人間社会は不正な裁きが行われていて、弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出すことができないで、この世は闇の中にあって破滅的だと言っているのです。まさに今の世も同じです。その上で、この詩編ではこのように語られているのです。<わたしは言った/「あなたたちは神々なのか/皆いと高き方の子らなのか」と。/しかし、あなたたちも人間として死ぬ。/君侯のように、いっせいに没落する>(6-7節)。そして最後の8節で、<神よ、立ち上がり、地を裁いてください。/あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう>と記されています。<あなたはすべての民を嗣業とされる>ということは、「神はすべての民をご自分のものとされる」ということです。

 

この詩編の詩人は、人間が神に造られた存在であり、神は人間を通してご自身がいかに憐れみ深い方であるかを示そうとされているのに、人間はその神に逆らって不正を行っているという現実に直面して、神の裁きを語っているのです。その中で、神からの問いかけとして、「あなたたちは神々なのか/皆いと高き方の子らなのか」と言われているのです。つまり私たち人間は神の作品であり、神と一体であり、神の子らではないかと言われているのです。私たち人間は、弱く小さな者ですが、そのような者である私たち一人ひとりを通して神が生きているのだということでしょうか。そのことが、35節で<神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている>と言われているのです。

 

そのような詩編の一節を引用した上で、イエスはこのように語っています。<それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行なっていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう」>と(36-38節)。

 

ユダヤ人は、イエスの行なっていることに注意しなければなりません。<もし、わたしが父の業を行なっていないのであれば、わたしを信じなくてもよい>(37節)と言われていますように、もしイエスの行なうことが、単なる人間の業にすぎず、自己の人間的意志が得ようと求めている、弱い人間の力に可能な程度のことなら、ユダヤ人は、何もイエスを信ずることはないと言うのです。

 

<「…しかし、(父の業を)行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう」>(38節)。

 

ユダヤ人には、イエスを信ずることがゆるされています。彼らは、イエスの心を洞察し、その心に偽りや邪悪の住んでいないことを知ることがでたのです。彼らは、イエスの言葉に捕えられ、そのうちに輝く、明るい輝きに身をゆだねることができたのです。しかし、もし彼らが、そのイエスの言葉に逆らうなら、さらにもう一つ、第二のより強い証人であるイエスの業が彼らのところにきて、彼らを真理に導き、神の恵みを認識できるように導いたはずです。もし彼らがそれをも拒否するなら、彼らを救うものはありません。ただ彼らを裁く判決が残るだけです、「あなたがたは、私の手に属さない。あなたがたは、神の所有ではない」と。

 

エスの業によって呼び起こされる信仰によって、ユダヤ人は導かれるべきでありました。イエスと神との永遠の内的結びつきが、イエスを彼らのための羊飼いとして遣わされていることを知るべきでした。その時、彼らは、神がイエスにとどまり、イエスを導き、イエスの中に住み、たえず現臨してイエスを取りまくことを、信仰と確信を得るような形で認めることができたでしょう。しかし、ユダヤ人は、イエスを神を冒涜する者としてたいへん怒り、イエスにとって状況は大変けわしいものになったのです。

そこでユダヤ人たちは、イエスを捕えようとしますが、イエスは、その手を逃れて去って行かれます(39節)

 

最後の40-42節の短い段落には、以上のようなユダヤ人たちとの対論の後、イエスがヨルダンの向う岸に移られたこと。人々が、ヨハネがイエスについて言ったことは皆本当であったと、語り合ったこと。そして多くの人々が彼を信じたということが、記されています。

 

かつてヨハネが最初の頃、民に洗礼を授けていた地方に、なおイエスについてのヨハネの証しの記憶が生きていて、それは、イエスを信ずる信仰に多くの者を導く助けとなったと言うのです。こうしてイエスの生の歩みの中で繰り返し、イエスがその奉仕をむなしく行なっていたのでないことを、イエスに経験させる、励ましもあったのであります。イエス自身、種まく人のたとえではっきり語っているとおりのことが起こりました。「多くの種粒は駄目になった、しかし、百倍の実りが豊かにもたらされた」(マタイ13:18-23)とあるように。

 

このように今日のところには、不正が行われ、弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出すことができないでいるこの破滅的なこの世に到来し、神の救済(人間解放の出来事)をもたらしたイエスに対する、信・不信が語られているのです。そのようなイエスが今も私たちの前に歩んでいて下さることを覚えて、私たちも、ユダヤ人たちの不信に陥ることなく、イエスにおける神の現臨を信じ、イエスの言葉と業がもたらす人間の救済を信じて、イエスに従って歩み続けたいと願います。

  

祈ります。

 

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 神さま、あなたは私たちを、アダムとイブの末裔として、私たちの交わりを通してあなたの愛を現すものとしてお造りになりました。しかし、現実の私たちは、あなたに逆らい、カインとアベルのように兄弟殺しになってしまいました。
  • そのような私たちを、あなたはイエスを遣わしてくださって、あなたの愛を現す本来の私たちに回復してくださいました。どうかこの福音を大切にして、私たちが生きていくことできますようにお導きください。
  • ウクライナやガザでの戦争をはじめ、軍事支配や民族紛争が、一刻も早く終結しますように。
  • 差別や貧困、気候変動や地震などの自然の災害で苦しむ人々に救済の手が添えられますように。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌   455(神は私の強い味方)

https://www.youtube.com/watch?v=oS6OWg5T_a0

⑪ 献  金 

⑫ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

船越通信(606)

船越通信、№606  2024年3月3日(日)北村慈郎

  • 2月24日(土)には第152回神奈川教区総会が、午前10時から午後3時30分ごろまで清水ヶ丘教会で行われました。この日鶴巻を午前8時15分過ぎに出て、清水ヶ丘教会には総会開催10分前ごろに着きました。総会は開会礼拝の後、議事の審議・採決が行われました。神奈川教区では議事に入る前に「我々は対立点を棚上げにしたり、性急に一つの理念・理解・方法論に統一して他を切り捨てないよう努力する。忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立場を相対化できるように神の助けを祈り求めることによって、合意と一致とを目指すことができると信じる」と記されている神奈川教区形成基本方針の朗読があります。これは1970年前後の時代に立場や考え方の違った者同士の対立が深まって、神奈川教区では、教区総会自体が開催できなくなったという事態に陥り、各地区での話し合いを積み重ねて、この教区形成基本方針によって教区総会の再開にこぎつけたという歴史があり、その歴史の延長線上に今の教区もあるからです。神奈川教区形成基本方針のようなものがある教区は、神奈川の外には多分大阪教区くらいではないかと思われます。今回の総会では久しぶりにと言うか、議事の前に一つの動議がありました。それは教区総会の礼拝の中で教団信仰告白を唱和するというものです。信条を大切にする長老主義教会は一つの信条による一致によって教会が存立するという考え方ですので、信仰告白の無い教会は考えられないのです。ところが日本基督教団は様々な教派が合同してできた教会ですので、そもそも信仰告白をもたない教派の教会もあります。例えば、洗礼を受ける時に、長老主義の教会は教会の信仰告白を告白することを求められますが、私が紅葉坂教会で若い時に洗礼を受けた時には、洗礼式ではその礼拝で教団信仰告白を唱和しますが、その礼拝の前に開かれた祈祷会の席で、洗礼志願者一人ひとりが、どうして洗礼を受ける決心をしたのか、それぞれの思いを語ることが信仰告白と考えられていました。ですから私もそのように自分の信仰告白をしたので洗礼を授かったわけで、教団の信仰告白を告白したから洗礼を授けられたのではないのです。紅葉坂教会は日本基督教団に加入する前は組合教会でした。組合教会には各個教会に自分たちはこういうイエス・キリストの福音を信じるという短い福音を要約したようなものはありますが、信仰告白はありません。戦後長老派の教会の一部は、そのような日本基督教団の曖昧性に耐えられず、教団成立前の長老主義教会に戻るために教団を離脱しました。これは教団では戦後の会派問題と言われるもので、1954年に教団信仰告白が出来たのは、この会派問題に直面した教団が長老主義教会の離脱を食い止めるためでした。この会派問題が起こった時に、横浜指路教会の当時の牧師と牧師を支持する一部の信徒は教団離脱に踏み切りました。その教会が現在の横浜市神奈川区にあります横浜長老教会です。当時横浜指路教会はその牧師を支持しない長老・信徒によって教団の教会をしての歩みを続けて、現在に至っているのです。同じ長老派の教会の中で教会全体が離脱したのは横浜港の大桟橋の入り口の所にある横浜海岸教会です。教区日本基督教団信仰告白の成立にはそのような事情があって、当時教団に残った長老主義の教会の主だった教職は、教団成立以前の長老主義教会である旧日本基督教会信仰告白を大切にして、教団信仰告白は戦時下教団の教義の大要の焼き直しだったこともあり、妥協の産物として馬鹿にしていたのです。ところが現在は教団の中の長老主義教会は、「信仰告白と教憲教規に従う」ということを金科玉条のように掲げているのです。これは自分たちの立場を絶対化して、他を認めないことを意味します。それに対して、神奈川教区形成基本方針は、多様性を認めて対話を通して自己相対化し、一致を目指していくことを謳っているのです。また、教団信仰告白には戦時下教団の戦争協力への反省はありません。その反省は、1967年イースターに当時の鈴木正久教団議長名によって出た「第二次世界大戦会における責任についての告白」(戦責告白)で表明されています。教区総会の礼拝での教団信仰告白の唱和を求める人は、「戦責告白」については一切触れません。私は常々日本基督教団に所属する教会のアイデンティティーは、教団信仰告白ではなく、国家の圧力への敗北にあるので、その敗北をどのように克服していくかということにあると言っています。聖餐の問題も、配餐を未受洗者に開くか、開かないかという問題よりも、戦時下の教会が執行していた聖餐と現在の教団に属する教会が執行している聖餐がどう違うのかという問題の方が遥かに重要な問題だと思っています。さて教区総会開会礼拝での信仰告白唱和の動議は否決されました。今回の総会は4人の按手礼式執行志願が承認可決されて、按手礼式が執行されました(この議案でも一人の志願者に按手礼執行保留の動議が出ました。このことについては次回の通信で触れたいと思います)。その他、「2024年度の神奈川教区活動基本方策および活動計画案に関する件」「同予算案および各教会負担金割当案に関する件」「藤沢ベテル伝道所の廃止に関する件」「単立・川崎キリスト教会の日本基督教団加入に関する件」が承認可決されました。「2024年度神奈川教区会計監査委員の選任に関する件」と「同会計委員選任に関する件」は常置委員会付託になりました。午後3時30分ごろ総会は終了し、私は船越教会に行きました。
  • 25日(日)礼拝後平和と人権を考えるDVD鑑賞会がありました。米軍海兵隊に入隊した若者を抵抗なく人殺しができる兵士に変えていく訓練を描いた、藤本幸久監督の「ONE SHOT  ONE  KILL(兵士になるということ)」を観ました。この映画が描いている米軍海兵隊の訓練は、心のある人を心の無い殺人機械に変えていくものです。戦争のために国家(人間)は武器を造るだけでなく、神の創造に反し、人間自身を戦う機械に作り替えようとさえするのです。恐ろしいことです。9人で鑑賞し、鑑賞後それぞれ感想を述べ、午後2時半ごろ鑑賞会を終えて、散会しました。
  • この週は、2月28日(水)午後4時半から高座渋谷教会で基地小委員会があり、私も出席し、基地小通信第2号の教区諸教会・伝道所への発送作業をしました。また、29日(木)には3週間ぶりに辺野古新基地建設反対国会前座り込みに参加しました。この日は私を入れて4人で座り込みました。国は憲法第9条に戻れ!

ヨハネによる福音書による説教(50)「拒絶されるイエス」10:19-30

3月3(日)受難節第3主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」。

                    (イザヤ書55:6,7a)

③ 讃 美 歌   149(わがたまたたえよ)

https://www.youtube.com/watch?v=olWsf8Ja_-0

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編90編1-12節(讃美歌交読文100頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書10章19-30節(新約187頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌     299(うつりゆく世にも)

https://www.youtube.com/watch?v=pYhj7Mnubr8

⑨ 説  教   「拒絶されるイエス」          北村慈郎牧師 

  祈  祷

 

大貫隆さんはヨハネによる福音書は、金太郎あめのように、何処の箇所を開いても、神の言(ロゴス)であり、真理であり、永遠の命である、父なる神と一つである、人となった神であるイエスにについて記している、と言っています。

 

ヨハネによる福音書10章も、先ず前回この説教のテキストだった1-18節には「羊飼い」の譬えをとおして、「羊飼い」と「羊の門」であるイエスについて記されていました。そのイエスの語った羊飼いの譬えをめぐって、その後、イエスユダヤ人の間に論争が起こります。その論争を通して、イエスは何者なのかが明らかにされていくのです。

 

19-21節では、イエスの語った羊飼いの譬えをめぐって、ユダヤ人たちの間に意見の対立が起こったことが記されています。この19節で新共同訳では「対立」と訳されている原語はスキスマと言って、口語訳では「分争」と訳され、田川訳では「分裂」と訳されています。<このスキスマという語は、…決定的で、動かし難い決裂を意味するものではなく、むしろ、動揺の中にある分裂を表>します。ですから、ここではまだイエスユダヤ人たちとの間で、決定的な決裂が生じたわけではありません。9章の生まれつきの盲人をイエスが癒された時には、ユダヤ人たち(ファリサイ派の人々)は、癒された人やその人の両親を問いただしていいますが、イエスを巡って彼らの間に対立が起こったということは記されていません。ところが、今日の箇所ではイエスを巡ってユダヤ人の間に対立が起こっており、さらに10章31節以下では、「ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた」(31節)と言われ、「ユダヤ人たちはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた」(39節)と言われていて、イエスに対してユダヤ人たちは敵対的になっています。イエスを巡るユダヤ人たちの態度が、段々と決定的な決裂に至ることが、ヨハネ福音書では描かれているのです。

 

多くのユダヤ人たちは、イエスの語った羊飼いの譬え話を聞いて、イエスは悪霊に取りつかれて、気が変になっているのだと言ったとあります。そして、何故イエスの話にユダヤ人たちが耳を傾けるのか、と問いかけます。一方ほかの少数のユダヤ人たちは、「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか」(21節)と言ったとあります。イエスの語る言葉や行う業を通して、イエスをどう見るかということで、ユダヤ人たちの間で分裂が起きたというのです。

 

このようなことは、この聖書に出て来るユダヤ人たちの間だけではなく、私たちの中でも起こり得ることではないでしょうか。私たち人間は社会的な存在です。ロビンソンクルーソーのように無人島で、独りで生きているわけではありません。ユダヤ人たちがユダヤ社会で生活していたように、日本で生活している私たちは日本社会の中で生活しています。日本社会は息苦しいからと言って、日本を脱出して外国で生活する人もいます。それは、それぞれの社会には、学校の校風とか、会社の社風とか言われるような、その社会の構成員の言葉や行動をしばる決まりやエートス(空気)があるからです。ですから、その社会のエートスに合わない強い個性を持った、その社会の中で突出した人は、その社会に適応している他の社会の構成員から、あの人は変わり者だと言われて、その社会から疎外されることも起こるわけです。イエスは、そのような変わり者としてユダヤ人たちからみられたのでしょうか。そういう面もあったかも知れません。とにかくイエスは当時のユダヤ人社会の中では突出していたわけです。

 

けれども、ユダヤ人の社会には、現在のユダヤ社会を根本的に変えてくれるメシア(キリスト=救い主)が到来するという信仰がありました。ですから、メシアが到来した時には、そのメシアは、既存のユダヤ社会に適応しない単なる変わり者ではなく、自己中心的な人間である自分たちを、その的外れな生き方から贖って(解放して)くれて、また既存のユダヤ社会もローマ帝国の支配から解放し、正義と平和と喜びに満ちた神の国の到来をもたらす方だと信じていたのです。

 

以上のようなことがあってから、どれほど時がたってからのことかは分かりませんが、22節から、また新しいイエスユダヤ人たちのやりとりが始まります。そのイエスユダヤ人のやりとりが起こった状況が、22節以下の最初の所にこのように記されています。田川訳で読んでみます。<その時、エルサレム宮浄めの祭があった。冬だった。そしてイエスは神殿で、ソロモンの柱廊の中を歩いていた。それでユダヤ人が彼を取り囲み、彼に言った>とあります。

 

「宮浄めの祭」(田川訳)は、今日の太陽暦でいえば、12月の頃の、冬の祭りでした。7章10節の「祭り」である仮庵の祭りからほぼ二か月後に行われていました。「宮浄めの祭」と訳されている「エンカイニア」は新約書の中で、ここ一回しか使われていません。これはヒブル語の祭りの名称「ハヌッカ」をギリシャ語に訳したものと考えられています。ハヌッカは、新しい建造物の落成、修築の意味です。その歴史的背景は、シリヤの王アンティオコス=エピファネスによって異教の祭壇とされてしまったエルサレム神殿を、紀元前165年にマカバイ家のユダが聖別し、新しい祭壇を築いて、奉献したことにあります。新共同訳では、紀元前165年に起きた「宮浄めの祭」のこのような由来から「神殿奉献記念祭」と訳しています。この祭りは「光の祭り」と呼ばれたと伝えられています。光は、旧約の中で、救いと一対になって使われている大切な概念で、神の救いの意志の現れを象徴しています。ユダヤの人々がどんなに大きな喜びをもってこの祭りを祝ったかが想像できます。しかしそれと共に、ユダヤ人たちがマカバイ家のユダによる神殿奉献の日から一世紀半を超えながら、待望のメシアはまだ出現せず、依然として外国の支配下にあるもどかしさに焦燥の色をこくしていたであろうことも推察できます。

 

24節に、<すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」>(新共同訳)と記されているのは、そのようなメシアの出現を心待ちにしていたユダヤ人たちの姿を示しています。

 

このユダヤ人たちの姿勢について、林継夫はこのように記しています。<もし、宗教というものを、人間の側からの儀式や奉献、祈りや奉仕としてだけ理解しているなら、神殿が修復されて、そこで祭りが盛大に行なわれれば、それだけで、心の充足はなされるであろう。しかし、宗教の根本に、神から人への働きかけがあることを知る者にとっては、神の顕現、栄光の臨在、み言葉の語りかけは必須である。ユダヤ人は、かつて、アブラハムに語りかけ、モーセを召し、士師や王たち、預言者や祭司たちにご自分をお示しになった神を知っている。そして、今、自分たちにも、神の顕現を切に願っている。それは、謙遜な思いである。人から神への運動としてだけ宗教を考えるものは、「わたしはやったのだ」という満足感に支えられた空しい高慢の中に堕するであろう。だから、ユダヤ人たちが、主イエスに、この問いを投げかけたことは間違いではなかった。バプテスマのヨハネも似たような問いを問い、主イエスから、女の生まれたもののうちで最大な者とのおほめをいただいた>と。このことは私たちキリスト者にとっても大切なことです。イエスと聖書に聞くことを失ったら、信仰が枯渇していくに違いありません。

 

けれども、ユダヤ人たちはメシア出現を心待ちにしてはいましたが、イエスをメシアとは思えませんでした。この場面でも、<すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った>(24節)と記されていますように、「取り囲む」という動詞には敵意をもってした行為であることが仄めかされています。イエスは、ここで、ユダヤ人たちの敵意に囲まれたのです。少なくとも教えを乞うて集まったのではなさそうです。そのユダヤ人たちの言葉「いつまで、わたしたちに気ももませるのか」(新共同訳)(口語訳は「不安のままにしておくのか」。田川訳は「精神をもてあそぶのだ」)がそのことを示しています。

 

<イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている>(25節、新共同訳)。イエスは、敵意をもって彼を告発するための言質をとろうとしているユダヤ人たちを、正しく見きわめています。しかし、へり下った心をもつ人々には、ご自分をはっきと示されました。スカルの井戸でサマリアの女に(4:26)、生まれながらの盲人に(9:37)、イエスはそのようになさったのです。イエスは、どのような人にも、ご自身を全く単純明快に示されました。しかし、頑なな心をもつ人々には、イエスの教えは難解で不鮮明と、思われたのでしょう。「業」(エルゴン)という語は、ヨハネによる福音書に27回も使われ、イエスの言行、イエスの生涯を表現しています。もちろん、ここでは、直前にある盲人の目をあけたイエスの業が、人々の心に払拭しきれない鮮明な印象を残していたことが想像できます。

 

<しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う>(26-27節、新共同訳)。イエスを信じるということは、イエスとの交わりを生きるということです。羊飼いと羊との関係は、羊たちが羊飼いを信頼して、自分の身を羊飼いに委ねて生きることを意味しています。この羊飼いと羊の関係は、旧約聖書では神と私たち人間の関係に譬えられています。羊は群れで生きています。羊同士で小さな争いはあるかも知れませんが、殺し合うまで争うことはできません。外敵に対しても抵抗力が余りありませんので、羊飼いの保護の中で生きている動物です。この羊飼いと羊の譬えは、人間は神に造られた者として、本来神の保護の下に、小さな争いはあったとしても殺し合うほどのものではなく、皆平等で互いに愛し合う者として存在していることを、物語っているように思います。イエスは、神に逆らって、自分が神の如く生きるようになった私たちの所に来て、私たちを神に造られた人間本来の姿に回復して下さるのです。イエスを信じ、イエスとの交わりを生きるということは、そういうことです。

 

ですから、<・・・わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 わたしと父とは一つである」>(28―30節、新共同訳)と言われているのです。

 

このイエスとの交わりを、私たちも生き抜いていきたいと願います。

  

祈ります。

 

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 神さま、現実のこの世界は、本来羊であるべき私たち人間が、ライオンやオオカミのような獰猛な動物になって、奪い合い、殺し合っています。悲しいことですが、それが現在の世界の現実です。
  • 神さま、み心ならば、私たちがあなたによって羊として命与えられていることを想い起させてください。そしてあなたから遣わされイエスに導かれて、すべての羊である人間が平安の内に生きることができますように、私たちをお導きください。
  • ウクライナやガザでの戦争をはじめ、軍事支配や民族紛争が、一刻も早く終結しますように。
  • 差別や貧困、気候変動や地震などの自然の災害で苦しむ人々に救済の手が添えられますように。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌  436(十字架の血に)

https://www.youtube.com/watch?v=sOpYUTF_2KI

⑪ 献  金 

⑫ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

船越通信(605)

船越通信、№605  2024年2月25日(日)北村慈郎

  • 18日(日)は礼拝後スタンディングを京急田浦駅前で行ないました。Nさんからのスタンディングの報告を転載します。「8人の参加で、11時55分~12時40分、『能登半島地震 被災地救援募金』を呼びかけました。11人の方が募金してくださり、3、294円が集まりました。募金してくださった方の中には、『初めて募金をした』という初老の男性、買い物をしてコンビニから出てきた田浦署の警察官、一度改札口まで行きながら戻って来てくれた2人の高校生、母親と一緒の小学生くらいの女の子、などがいました。また『必ず被災地に届けてください。教会なら安心ですね。』と言いながら募金をしてくれた方もいました」。スタンディング終了後、解散し、私は教会に帰って来ました。私はしばらく牧師館で休み、この日午後4時から蒔田教会で、主に教区の諸教会・伝道所に新しく就任した教師、教師検定試験受験志願者、按手・准允志願者他を対象に行われていますオリエンテーション(「教団成立の歴史と課題」講師:Kさん)に行きました。現在私がオリエンテーション委員会の委員長をしていますので、この日も司会をしました。最初に祈祷し、参加者の簡単な自己紹介をしてから、講師に講演をしてもらい、その後質疑応答をし、最後に参加者全員から一言ずつ意見・感想を述べてもらって、午後6時半に終了という予定を立てていましたが、その通りに進行しました。今回講師のKさんは、「戦時下のキリスト教会・団体に対する弾圧の諸相」として、「燈台社(ものみの塔)、救世軍賀川豊彦グループ、ホーリネス三教会、セブンスデイ・アドベンチス教会」に対する弾圧に触れるとともに、「新宗教各派に対する宗教弾圧」(大本教天理教、ほんみち教団、ひとのみち教団)も取り上げました。そして「弾圧された新宗教キリスト教各派の共通点」として、「庶民・民衆に基盤を置く宗教団体を選択的に弾圧したのではないか? 庶民・民衆に基盤を持たない宗教団体は弾圧されなかった!」ことに触れ、「国家権力は、民衆に基盤を置く宗教をこそ危険視し、選択的に弾圧の対象としたのではないか」という「K仮説」を述べました。この辺の問題は私も関心・興味をもっているところです。もう大分前に「ほんみち」の弾圧について書かれた本を数冊読んだことがあります。その中で、たしか戦時下弾圧を受けた「ほんみち」では、獄に捕えられた、我々で言えば「牧師」のような人の家族を信者が支えたということが書かれていて、その時「ほんみち」はすごいなあと思ったのです。日本基督教団の場合は、弾圧を受けたホーリネスの牧師を除名にしたわけですから。教団成立と戦時下の戦争協力の問題は、教会が国家に吞み込まれた、教会にとっては負の歴史です。現在および将来の教会が、この負の歴史をどう克服できるのか。あるいは、また同じ誤りを犯してしまうのか。すでに私たちはそのような問いを突き付けられているのではないでしょうか。そんなことを思いながら、Kさんの話を聞いていました。オリエンテーション終了後、Kさんと東神大時代Kさんと同学年だったOさんと私の3人で、横浜で旧交を温めて、鶴巻に帰ったのは午後10時過ぎでした。
  • 20日(火)午後7時からリモートで支援会の世話人・事務局会がありました。23日(金・休)の私の支援コンサートの準備と、4月6日(土)開催予定の第2回支援コンサートと支援会総会について話し合い、それぞれの役割担当者を決めました。私の支援コンサートは世話人代表の発案で、紅葉坂教会オルガニストの方がいろいろ働きかけてくださって、既に第1回、第2回が決まっています。今後全国に広げていかれたらと思っています。
  • 22日(木)は国会前の座り込みの日でしたが、午前11時過ぎに何時も一緒に座り込んでいる方から電話があり、雨なので私に無理しないでお休みくださいと言ってくださいました。その時鶴巻も雨が降っていましたので、この日の座り込みは休むことにしました。先週も電車の人身事故で行かれませんでしたので、2週続けてのお休みになってしまいました。この日は午後6時半から寿地区活動委員会がなか伝でありましたので、午後4時過ぎに鶴巻を出て、横浜で早夕食をすませて委員会に出席しました。委員会は午後8時半ごろ終わりました。この日は横浜にいる娘が仕事を終えて、車で鶴巻に行くというので、なか伝の近くまで来てくれて、車で鶴巻に帰りました。
  • 23日(金・休)は午後1時から荻窪教会で私の第1回支援コンサートがありましたので、印刷物を持って午前11時半からの準備に間に合うように鶴巻を出て、新宿経由荻窪駅に向かいました。教会は荻窪駅から徒歩8分ということで、チラシの案内を頼りに行きましたが、スムーズに教会に着くことができました。すでに荻窪教会の方と支援会の事務局の方で準備は始まっていました。本日の奏楽者であるAさんも紅葉坂教会のオルガニストのYさんも来ていました。この日は小雨が降っていて、冬に戻ったような寒さでしたので、私は、奏楽者に申し訳ないと思いながら、この日のコンサートに来て下さる方は少ないのではないかと思っていました。ところがコンサート開始30分前頃から、来て下さる方があり、開始する頃にはそう大きくはない会堂ですが、ほぼいっぱいになっていました。後で受付をしてくださった方から、受付票をいただきましたが、出席者は72名でした。船越教会からも4人の方が来てくださいました。Aさんのパイプオルガンの演奏に耳を傾け、世話人代表のK・M牧師が私の免職の不当性を初めての人にもわかり易くお話しして下さり、最後に私が挨拶をして、途中休憩15分を入れて2時間弱の集会でした。私が教団議長から教師退任勧告を受けてから17年、戒規免職処分を受けてから今秋で14年になります。教団総会議員や教団執行部の世代交代も行われていますので、私の教師退任勧告や戒規免職処分は時の経過と共に歴史的出来事になっていき、現在的な問題としては捉え難くなっていかざるを得ません。それにも拘わらず、小雨の降る寒い日のコンサートに72人もの方々が来てくださったことは、私にとって大変大きな力になりました。「目は霞まず、気力は失せず」と、94歳で召されるまで私を支援してくださった関田寛雄先生にも励まされて、体力が続く限り、免職撤回を訴え続けたいと思います。

ヨハネによる福音書による説教(49)「羊飼いイエス」10:1-18  

2月25(日)受難節第2主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」。

                    (イザヤ書55:6,7a)

③ 讃 美 歌   461(みめぐみゆたけき)

https://www.youtube.com/watch?v=A--dElSXY4g

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編18編26-35節(讃美歌交読文19頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書10章1-18節(新約186頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌    419(さあ、共に生きよう)

https://www.youtube.com/watch?v=FbbYpBKeNfo

⑨ 説  教   「羊飼いイエス」          北村慈郎牧師 

  祈  祷

  

今日の説教題は「羊飼いイエス」とつけました。今日の聖書の箇所であるヨハネ福音書10章1-18節には、11節に「わたしは良い羊飼いである」と言われているからです。

 

<良い羊飼いとしてのイエスのイメージは、私たちキリスト者の中に、時代を越えてしっかりと根付いると思います。一番よく知られているイエスの聖画の一つは、羊の群れを導く羊飼いとしてのイエスを描くものです。あるいは、このヨハネ福音書の箇所ではありませんが、100匹の羊の譬えから、迷った一匹の羊を見出して、その一匹の羊を肩にかけて帰って来るイエスを描く聖画もよく知られています。イエスのこのような絵が、教会の指導者のイメージにも影響を与えたのではないかと思われます。昨日教区総会で按手礼式が行われましたが、私たちの教会でも按手を受けた教師を「牧師」と呼んでいますが、この「牧師」は、イエスが良き羊飼いとして羊たちを導いたように、教会の信徒を導くようにというイメージで、そのように呼ばれているものと思われます。

 

R・Gオデイは、<このような(羊飼いの)イメージが教会の働きのなかで非常に重要な役割を演じるが故に、新約における羊飼いのイメージの様々な用いられ方を弁別することがヨハネ福音書10章の解説者にとって最も重要である>と言って、<例えば、教職の牧者的イメージへの移行はヨハネ10章の解釈よりは、むしろ新約の他のテキスト(例えば、ヨハネ21:15-19,使20:28-29、Ⅰペト5:2-3)の分野であろう>と言っています。

 

ちなみにⅠペトロ5章2-3節を読んでみますと、「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい」と記されています。確かにこのⅠペトロの言葉は、直接教会の「指導者」である「牧師」について語られています。

 

それに対してヨハネ福音書10章1-18節は、「羊の門」(7節)であり、「良い羊飼い」(11節)であるイエスについて、また「羊」である私たち一人ひとりと「羊の群れ」である教会について記されてはいますが、「牧師」の働きを思わせるようなことは何も記されていません。

 

ところで、1節から5節までに記されています羊飼いと羊との関係についての叙述は、当時のパレスチナにおける実際の羊飼いたちの生活とその働きのありのままの姿を描いているものであると言われています。1節で新共同訳では羊の「囲い」と訳されていますが、この「囲い」と訳されている原語の「アウレー」は、<今日でもヨーロッパや中近東で多く見られる建物で囲まれた中庭を指す語です>(田川)。毎日曜日その日の礼拝式と説教原稿をメールで皆さんに送っていますが、その際、日本訳を6種類併記したその日の聖書箇所も添付していますので、それをご覧になっていただくと分かりますが、田川訳と岩波訳以外は、新共同訳も口語訳も本田訳もシュラッター訳も「囲い」と訳されています。「囲い」と訳したのは、田川さんによれば、<今日の牧場などで、羊や牛が遠くに行かないように牧草地を柵で囲ってあるのを思い出してこう訳したのだろうが、この語にそういう意味はない>と言われます。<農家では、居住用の建物のほかに、納屋、作業用の建物、冬などに家畜を入れる家畜小屋等々があって、それらの建物に囲まれる仕方で中庭があった。放牧する家畜を夜にはこの中庭に入れていたのである。ただし3節に見られるように、この文の場合は個々の農家の中庭ではなく、複数の農家が共同で利用する場所。夜に羊を集めてここに入れ、朝に外の牧草地に連れて行く>(田川)というのです。

 

そのような羊の飼われ方を前提にして、ヨハネ福音書のイエスは、1節から5節まででこのように述べています。田川訳で読んでみます。≪「アーメン、アーメン、汝らに告ぐ、羊たちの中庭に門を通らずに他のところから乗り越えて入って来る者は、盗人であり、強盗である。門を通って入って来る者は羊たちの羊飼である。この者には門番が(戸を)開き、羊たちはこの者の声を聞く。そして羊飼は自分の羊たちを名前で呼んで、外に連れて出る。自分の羊たちをすべて外に出すと、その羊たちの前に進む。そして羊たちは彼について行く。羊たちは彼の声を知っているからである。羊たちは他の者にはついて行かない。その者から逃げる。他の者たちの声を知らないからである」≫。

 

エスはこれを、ファリサイ派の人々に話されたのですが、しかし、「彼らはその話が

何のことか分からなかった」と6節には書いてあります。イエスの話されたことが彼ら

にはわからなかったというのです。それは、どういうことでしょうか。このイエスの話

されたことは、何一つわからないような事柄ではありません。イエスはここで、パレス

チナで極めて日常的な事柄であった羊飼いの生活を、そのまま話されたに過ぎません。

また、それが比喩であったとしても――つまり救い主と人間の関係についての比喩で

あったにしても、それは旧約聖書でも繰り返し用いられている比喩であります。最も有

名なのは詩編23編です。≪主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。/主はわ

たしを青草の原に休ませ、/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返られせてくださる

≫(1節)に始まる詩編です。聖書のことには、人一倍通じていたはずのファリサイ派

の人々に、この比喩が分からなかったはずはないのです。ですからここで、彼らにイエスの言われていることが分からなかったということは、この羊飼いとか羊とかいう比喩で、誰のことが言われているのかがわからなかったということでしょう。さらに、盗人、強盗という言葉で誰のことが言われているのかがわからなかったということでしょう。あるいは、むしろ、わかろうとしなかった、わかることを欲しなかったということでしょう(井上良雄)。

 

そこでイエスは、7節から言葉を新しくして、1-5節の第一の部分で語られたことを、もう一度説明されます。それが第二の部分(7-10節)になります。ここには、イエス自身が「わたしは羊の門である」(7節)、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」(9節)と言っています。しかし、同時に羊を「盗んだり、屠ったり、滅ぼしたり」する盗人や強盗と対比して、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10節)とも記されていて、この叙述は明らかに「羊飼い」をイメージしています。ですから、7-10節では、「羊の門」と「羊飼い」という二つのイメージが混在しています。

 

そして、11節には、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いを羊のために命を捨てる」と記されています。そしてそれ以降では、「盗人や強盗」ではなく、羊のことを心にかけていない「雇い人」と対比して、イエスは「良い羊飼い」は羊のために命を捨てる。そして「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(16節)と言うのです。17節の≪わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる≫は、15節で羊飼いと羊との関係を、≪父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである≫と、父なる神とイエスとの緊密な相互関係と同じであると言われて言葉の続きとして読めます。すなわち、やがて起ころうとしているイエスの十字架、またそれに続く復活は、父なる神のイエスに対する愛とイエスの父なる神への自発的な従順という、緊密な相互関係の中で起こることです。従って、そこには何ら強制はありません。また、周囲の状況に迫られてやむを得ず選び取られた苦しい決断でもありません。それゆえに18節で、イエスは続けて、≪「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」≫と言われます。すなわち、愛に基づく父なる神からの委託であると、イエスは言われるのです。

 

これが今日のヨハネ福音書の「良き羊飼い」の譬えの箇所で語られている要約です。羊に譬えられている私たちは、羊が羊飼いによって守られなければ、羊そのものは元々攻撃的な動物ではなく、大変弱い動物ですので、盗人や強盗に襲われれば、抵抗できずにされるままなってしまいます。この盗人とか強盗は、羊飼いに守られている羊を、羊飼いから奪って、自分たちの思い通りに羊を消費するわけです。一匹一匹の羊に名前を付けて呼ぶ羊飼いのように、盗人や強盗は、一匹一匹の羊を大切に扱いません。利用価値がないと思えば、簡単にその羊を葬ったり、棄ててしまうでしょう。資本の論理や強権的な国家の論理は、私たち一人ひとりの人間をそのように扱うわけです。政治家や経営者の中には、羊飼いのような資質を持った人もいるかもしれませんが、そのような人はごく僅かでしょう。土肥昭夫さんは、戦時下教会が国家に包摂されたように、今の教会は資本に包摂されているのではないかという主旨のことを述べています。

 

そういうことがありますので、このヨハネ福音書の著者はイエスを羊飼いに譬えているだけでなく、「羊の門」にも譬えているのではないでしょうか「羊の門」について、井上良雄さんは、<実際私たちが、イエス・キリストが私たちにとって、本当の羊飼いであるということを聞くだけでなく、羊の門でもあるということを聞くことは大切なことだと思います>と言って、このように述べています。<彼はもちろん本当の羊飼い、よき羊飼いでありますけれども、しかし、同時に彼は、私たちにとって、唯一の羊の門であるということができます。/ところでしかし、彼が唯一の羊の門であるということ。即ち、私たちにとっては、彼だけが神の真理への門であるということ、彼を通してしか、私たちは、神の真理に接することはできないということ、私たちはよく自然などに接すると、そこで神に接したなどと軽々しく言いますが、それは不可能であるということ。理性によって神を知ることもできなということ。歴史によって神を知ることもできないということ。そういうことは、昔から神学の世界で問題として議論されてきたことですが、しかしそれは、単に神学の世界の問題ではありません。私たちの生きた信仰の問題でもあります>と言っています。すなわち、ヨハネ福音書8章31,32節でイエスが<わたしの言葉にとどまっているならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする>と言われているように、です。

 

羊飼いであり、羊の門であるイエスに従って、イエスの本当の弟子として私たちも歩んでいきたいと願います。

 

主がそのように私たち一人ひとりを導いてくださいますように!

 

 

祈ります。

 

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 神さま、羊飼いであり、羊の門であるイエスを通して、あなたの真理にある自由を、私たち一人ひとりが、また小さな群れですが、私たちの教会が、生きることができますようにお導きください。
  • ロシアによるウクライナへの軍事侵攻がはじまって2年が経ちました。今なお停戦への道筋が見えず、この戦争がいつまで続くのか、わからない状態です。神さまロシアもウクライナを支援する国々も、戦争継続の軍事品の生産に力を注ぐのではなく、戦争終結のための話し合いのために力を注ぐようにお導きください。一刻でも早く停戦が実現しますように。
  • ガザにおけるイスラエルハマスとの間でも、一刻でも早く停戦が実現しますように。
  • 能登半島地震で苦しんでいる人々を支えてください。また適切な支援が与えられますように。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌  456(わが魂を愛するイエスよ)

https://www.youtube.com/watch?v=nIvfT4X742M

⑪ 献  金 

⑫ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

イエスは今なおどこに隠れておられるのか(鶴巻通信29)

カール・バルトの一日一章』2月21日

 

 「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」             マタイによる福音書25章40節

 

バルトの2月21日の『一日一章』はマタイ福音書25章の最後の審判の記事の中にある上記のイエスの言葉(25:40)をめぐるメディタチオーンです。その後半の部分を紹介したいと思います。

 

バルトは、マタイ福音書25章の最後の審判の記事で、最後の審判で羊飼いによって、羊は右に、山羊は左に、より分けられることに触れ、<教会は、たしかに主の教会ですから、羊飼いがその右側に置く人びとの群と一体であることを期待します。しかし、この期待において喜んでいい教会はどれか。それについてはイエスの再臨において決定がなされるでしょう。すなわち、イエスの再臨から、イエスがまだ隠されている時である現在への立ち戻りが生じます。今の立場で、イエスへの、今なお隠されている者への今の態度で、将来、イエスの右側に立つ教会はどれか、がその時決定されるでしょう>と言い、以下のように記しています。

 

<しかし、イエスは今なおどこに隠れておられるのか。神のもとに、父の右に、――神の言の中に、洗礼と聖餐の中に――欲するままに吹く聖霊の秘密の中にでしょうか。然り、その一切のものですが、一切がこの譬えの中で前提とされている結果、次のことの確認によって圧倒されるのです。すなわち、イエスもまた――それはイエスの最終啓示において決定的なものでしょうが、――この現代に飢えている者、のどが渇いている者、異邦人、裸の者、病気の者、囚われている者たち各々の存在の中に隠れておられます。常に、この現代に、この人たちの一人の人間的な援助を(食料、飲み物、宿泊施設、衣料、訪問と介護を)待っているところで、そこに彼、イエスご自身が待っておわれます>。

 

<常に、「この人びと」の一人にこのような優しい心遣いがなされるか、あるいはなされないところでは、その時心遣いは彼、イエスになさるか、あるいはなされないかであります。「この人びと」はイエスの最も小さな兄弟たちだからです。彼らは世の実例であり、世のためにイエスが死に、蘇られたのであり、イエスが世との連帯を表明されたのです。――>

 

<まさにそのことが最後の審判において、真の教会を、御国を受け継ぐ教会を決定する試みであるでしょう。すなわち、教会はその使命あるこの時代に、無条件に他ならぬ「この人びと」に、まさに悲惨な世界に向いたところで、彼イエスに向いた教会であったかどうかを判定するでしょう>。

 

<教会がそれをなしたということ、教会が世界の具体的な悲惨に触れられて、貴族的な言い逃れをしながら彼らの側を通りすぎはしなかった。教会が率直に、直接に、そして反対の一切の弁解もなく「人間的」であった、ということが明らかになるならば、教会は幸いなるかな、であります>。

 

現在の日本基督教団という教会が、そして個々の教会・伝道所が、イエスの再臨の時に「幸いなるかな」と言われる教会であり得ているでしょうか。私たちはそのことに真剣でありたいと願います。

船越通信(604)

船越通信、№604  2024年2月18日(日)北村慈郎

  • 11日(日)は礼拝後残れる人で昼食を共にし、しばらく懇談した後に、2月の役員会を行ないました。役員会では、今年は3月31日(日)がイースターになりますので、イースター礼拝での聖餐式執行を決め、聖餐準備と礼拝での配餐役を決めました。また2024年度の教会総会の日程(4月14日礼拝後)も決めました。この日は総会日程だけを決め、3月役員会で準備する資料と資料作成担当者を確認することになります。またこの日の役員会では、3月のスタンディング、平和と人権を考えるDVD鑑賞会、教会だより「船越の丘から」の今後について確認しました。そして「教会の今後について話し合いの件」についても、コロナでここ数年その機会を持てないで来ましたが、今年は秋に一日修養会という形で行うことができればと、役員会では考えています。この日は役員会が比較的早く終わり、午後1時過ぎには散会しましたので、その後私は後片付けをして、午後2時過ぎ教会を出て、バスで追浜に出て鶴巻に帰りました。
  • 11日(日)、12日(月・休)と連休でしたので、12日(月・休)には娘と車で渋沢にあるJA秦野じばさんず(地場産‘S)に買い物に出かけました。平塚のJA湘南の直売所あさつゆ広場には自転車でも行けますが、秦野じばさんずには車でないと私一人で自転車では行かれません。無理すれば行けないこともないと思うのですが、年寄りの冒険は控えています。野菜類はあさつゆ広場で十分間に合いますが、豚肉はあさつゆ広場にもありますが、牛肉はあさつゆ広場には置いていませんので、じばさんずにはどちらもありますので、肉類となると、秦野じばさんずになります。この日は、今年はお正月にすき焼きをたべていないので、久しぶりにすき焼きをしようということで、じばさんずで牛肉を買ってきて、早夕食は娘と二人ですき焼きにしました。すき焼きは本当に久しぶりでしたので、期待以上に美味しく感じました。
  • この週は、木曜日(15日)の辺野古新基地建設反対の国会前座り込みへの参加以外に出かける予定はありませんでした。週の前半はメールのやりとりで、基地・自衛隊問題小委員会の通信第2号の編集を、委員の一人の方がして下さり、通信第2号が完成しました。後は写真があるので、カラー印刷を外注することにして、編集して下さった方から発注してもらいました。その通信第2号の巻頭言を私が書いて言いますが、その巻頭言で触れているため、2023年12月15日の神奈川新聞の記事の「『時代の正体』自衛隊考」もその通信に掲載してもらいました。私は巻頭言で、船越教会の裏手にある長浦港の海上自衛隊基地の現状について書きましたが(船越通信602号参照)、神奈川新聞の記事にも長浦港についてこのように記されています。<とりわけ長浦港は一体化が一目瞭然だ。主要施設が 並ぶ横須賀本港の北に位置し、狭隘な湾を取り囲むよ うに日米の施設が連なる。 装備の増強とともに施設の整備や拡充も見逃せない。 20 年に運用が始まった海上作戦センターには自衛艦隊、 護衛艦隊、潜水艦隊など海自の司令部が集約され、陸 上自衛隊航空自衛隊に加え、米軍との連携も強化さ れた。 新たな弾薬庫と桟橋が造られ、停泊した艦船にミサ イルや弾薬を直接積み込めるようになり、有事即応体 制の構築が進む。安保3文書では戦闘を続ける「継戦 能力」が重視された。新倉さんは「弾薬の確保や備蓄 などを意味しており、長浦港はこれを先取りしたとも 言える」と分析する>。このように南西諸島の軍事要塞化だけではなく、身近なところでも戦争への準備が着々と進められているという現実があることを知らなければなりません。神奈川新聞の記事の最後はこう結ばれています。<安保関連法施行から7年がたった。木元さんは「自 衛隊の訓練は劇的に増えただけでなく、種類や地域が 広がり、大規模、長期化した」と解説し、さらに「民 間を巻き込み、市民により近い場所で活動する方向性 も顕著になっている」と指摘する。 例えば、11 月の自衛隊統合演習。全国各地で行われ、 とりわけ南西諸島での訓練が大々的に公開される中、 神奈川ではヘリコプターによる負傷者搬送訓練の受け 入れ先に、川崎市麻生区の民間病院がなった。 8月、自民党麻生太郎副総裁は台湾で講演し、日 米や台湾の「戦う覚悟」が中国への抑止力になると持 論を語った。だが、抑止が破られることはロシアのウ クライナ侵攻で明らかだ。パレスチナ自治区ガザの情 勢は軍事行動が住民に多大な犠牲を強いる現実を改め て突き付けている。 木元さんは「訓練の拡大は緊張を高め、軍拡をもた らす」と警鐘を鳴らし、強調する。「軍事一辺倒は平 和でなく、むしろ戦争につながる。今こそ、外交と対 話が求められています」>。その通りではないでしょうか。私は巻頭言の最後で、このように訴えました。<このような現実を黙認することは、日本が再び戦 争犯罪国になるのを容認するに等しいことです。平 和を創り出す者として召されている私たちキリスト 者は、この現実に対してそれぞれの場で、それぞれ の仕方で、否の声を上げていかなければなりません>。
  • 15日(木)は、辺野古新基地建設反対の国会前座り込みに出かけるために乗った小田急快速急行新宿行きの電車が成城学園駅を出た所で人身事故を起こし、車内に40分ほどとじこめられ、その後電車を下りて、線路伝いに歩いて成城学園駅ホームまでいき、ホームで電車運転再開まで待ちました。再開したのが午後3時少し前でしたので、それから国会前に行っても、すぐ帰るようになりますので、国会前には行かないでそのまま鶴巻に戻りました。電車の人身事故は最近よく聞きますが、実際に人身事故を起こした電車に乗り合わせたのは初めてです。しかも国会前に行く時には、電車の先頭車両に何時も乗って行きますので、人身事故が起きた時にガタンといって急停車した時の感触が私の体に残っているのです。何とも重たい気持ちを抱えながら、鶴巻に帰って来ました。最近駅のホームには線路に落ちないように柵が設けられていますが、成城学園前駅にはその柵はありませんでした。