なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(605)

船越通信、№605  2024年2月25日(日)北村慈郎

  • 18日(日)は礼拝後スタンディングを京急田浦駅前で行ないました。Nさんからのスタンディングの報告を転載します。「8人の参加で、11時55分~12時40分、『能登半島地震 被災地救援募金』を呼びかけました。11人の方が募金してくださり、3、294円が集まりました。募金してくださった方の中には、『初めて募金をした』という初老の男性、買い物をしてコンビニから出てきた田浦署の警察官、一度改札口まで行きながら戻って来てくれた2人の高校生、母親と一緒の小学生くらいの女の子、などがいました。また『必ず被災地に届けてください。教会なら安心ですね。』と言いながら募金をしてくれた方もいました」。スタンディング終了後、解散し、私は教会に帰って来ました。私はしばらく牧師館で休み、この日午後4時から蒔田教会で、主に教区の諸教会・伝道所に新しく就任した教師、教師検定試験受験志願者、按手・准允志願者他を対象に行われていますオリエンテーション(「教団成立の歴史と課題」講師:Kさん)に行きました。現在私がオリエンテーション委員会の委員長をしていますので、この日も司会をしました。最初に祈祷し、参加者の簡単な自己紹介をしてから、講師に講演をしてもらい、その後質疑応答をし、最後に参加者全員から一言ずつ意見・感想を述べてもらって、午後6時半に終了という予定を立てていましたが、その通りに進行しました。今回講師のKさんは、「戦時下のキリスト教会・団体に対する弾圧の諸相」として、「燈台社(ものみの塔)、救世軍賀川豊彦グループ、ホーリネス三教会、セブンスデイ・アドベンチス教会」に対する弾圧に触れるとともに、「新宗教各派に対する宗教弾圧」(大本教天理教、ほんみち教団、ひとのみち教団)も取り上げました。そして「弾圧された新宗教キリスト教各派の共通点」として、「庶民・民衆に基盤を置く宗教団体を選択的に弾圧したのではないか? 庶民・民衆に基盤を持たない宗教団体は弾圧されなかった!」ことに触れ、「国家権力は、民衆に基盤を置く宗教をこそ危険視し、選択的に弾圧の対象としたのではないか」という「K仮説」を述べました。この辺の問題は私も関心・興味をもっているところです。もう大分前に「ほんみち」の弾圧について書かれた本を数冊読んだことがあります。その中で、たしか戦時下弾圧を受けた「ほんみち」では、獄に捕えられた、我々で言えば「牧師」のような人の家族を信者が支えたということが書かれていて、その時「ほんみち」はすごいなあと思ったのです。日本基督教団の場合は、弾圧を受けたホーリネスの牧師を除名にしたわけですから。教団成立と戦時下の戦争協力の問題は、教会が国家に吞み込まれた、教会にとっては負の歴史です。現在および将来の教会が、この負の歴史をどう克服できるのか。あるいは、また同じ誤りを犯してしまうのか。すでに私たちはそのような問いを突き付けられているのではないでしょうか。そんなことを思いながら、Kさんの話を聞いていました。オリエンテーション終了後、Kさんと東神大時代Kさんと同学年だったOさんと私の3人で、横浜で旧交を温めて、鶴巻に帰ったのは午後10時過ぎでした。
  • 20日(火)午後7時からリモートで支援会の世話人・事務局会がありました。23日(金・休)の私の支援コンサートの準備と、4月6日(土)開催予定の第2回支援コンサートと支援会総会について話し合い、それぞれの役割担当者を決めました。私の支援コンサートは世話人代表の発案で、紅葉坂教会オルガニストの方がいろいろ働きかけてくださって、既に第1回、第2回が決まっています。今後全国に広げていかれたらと思っています。
  • 22日(木)は国会前の座り込みの日でしたが、午前11時過ぎに何時も一緒に座り込んでいる方から電話があり、雨なので私に無理しないでお休みくださいと言ってくださいました。その時鶴巻も雨が降っていましたので、この日の座り込みは休むことにしました。先週も電車の人身事故で行かれませんでしたので、2週続けてのお休みになってしまいました。この日は午後6時半から寿地区活動委員会がなか伝でありましたので、午後4時過ぎに鶴巻を出て、横浜で早夕食をすませて委員会に出席しました。委員会は午後8時半ごろ終わりました。この日は横浜にいる娘が仕事を終えて、車で鶴巻に行くというので、なか伝の近くまで来てくれて、車で鶴巻に帰りました。
  • 23日(金・休)は午後1時から荻窪教会で私の第1回支援コンサートがありましたので、印刷物を持って午前11時半からの準備に間に合うように鶴巻を出て、新宿経由荻窪駅に向かいました。教会は荻窪駅から徒歩8分ということで、チラシの案内を頼りに行きましたが、スムーズに教会に着くことができました。すでに荻窪教会の方と支援会の事務局の方で準備は始まっていました。本日の奏楽者であるAさんも紅葉坂教会のオルガニストのYさんも来ていました。この日は小雨が降っていて、冬に戻ったような寒さでしたので、私は、奏楽者に申し訳ないと思いながら、この日のコンサートに来て下さる方は少ないのではないかと思っていました。ところがコンサート開始30分前頃から、来て下さる方があり、開始する頃にはそう大きくはない会堂ですが、ほぼいっぱいになっていました。後で受付をしてくださった方から、受付票をいただきましたが、出席者は72名でした。船越教会からも4人の方が来てくださいました。Aさんのパイプオルガンの演奏に耳を傾け、世話人代表のK・M牧師が私の免職の不当性を初めての人にもわかり易くお話しして下さり、最後に私が挨拶をして、途中休憩15分を入れて2時間弱の集会でした。私が教団議長から教師退任勧告を受けてから17年、戒規免職処分を受けてから今秋で14年になります。教団総会議員や教団執行部の世代交代も行われていますので、私の教師退任勧告や戒規免職処分は時の経過と共に歴史的出来事になっていき、現在的な問題としては捉え難くなっていかざるを得ません。それにも拘わらず、小雨の降る寒い日のコンサートに72人もの方々が来てくださったことは、私にとって大変大きな力になりました。「目は霞まず、気力は失せず」と、94歳で召されるまで私を支援してくださった関田寛雄先生にも励まされて、体力が続く限り、免職撤回を訴え続けたいと思います。