なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(554)

船越通信、№554 2023年2月19日(日)北村慈郎

  • 12日(日)は、朝8時20分ごろ教会の外階段の扉を開け、楽ちん号をセットしていた時に、私の携帯電話に着信があり、電話に出ると、紅葉坂教会のMさんの息子さんから、Mさんがこの日の未明に帰天した知らせを受け、びっくりしました。実は前週の月曜日に紅葉坂教会の役員の方から電話があり、紅葉坂教会の牧が網膜剥離で入院し、しばらくは教会の仕事はできないので、その間教会員の葬儀がある時は私にお願いしたいと言われ、引き受けていました。その時、役員の方は緊急にはないと思うがと、おっしゃっていましたので、まさかそれから一週間も経たないうちにあるとは思っていなかったからです。Mさんの息子さんには、午後3時にはお宅に伺えると思うので、その時に葬儀社の方に来てもらうようにしてくださいと連絡して、電話を切りました。この日の礼拝には、耳の不自由なOさんが出席しました。Oさんには説教原稿を用意し、Tさんにサポートしていただきました。いつものように礼拝後筆談でOさんから二三の質問を受け、それに答えました。その後この日は役員会がありましたので、役員会を行いました。船越教会は代務者をしていただいていた関田寛雄先生が帰天しましたので、新しい代務者の方をお願いしなければなりません。教団に戒規免職処分を受けている私が、実質的に船越教会の牧師の仕事を担ってきていますが、役員会では今後も私の健康が許す限りは今の状態を続け、その上で、私の次に候補の方を探していくということで了解していただきました。そのため新しい代務者の候補の方を選びました。今は、その方が牧師をしている教会の役員会で承認していただくまではお名前は控えさせていただきます。13日(月)に私から電話でお願いしたところ、その方は快く引き受けてくださいました。3月の役員会に諮ってくださることになりましたので、役員会の承認をうけましたら、代務者変更申請を教区に出し、教団の承認をうけましたら、法務省への代務者変更登記を進めたいと思います。12日(日)の役員会では、代務者の件の他に、2023年度の船越教会の定期総会の日程も決めました。4月16日(日)にしましたので、皆さん予定に入れておいてください。役員会が終わってから、横浜市西区西戸部のMさん家に伺い、午後2時半ごろ着き、まず帰天したMさんを家族の方々に囲んでもらい、詩篇23編を読み、祈りました。その後しばらくして、葬儀社の方も来て、家族の方と葬儀の打ち合わせをしました。久保山の火葬場の予約の関係で、17日(金)午後7時前夜式、18日(土)午前11時葬儀式に決まりました。紅葉坂教会ではコロナウイルス感染拡大以来、葬儀は少人数の家族葬で行ってきたようですが、Mさんの葬儀は通常の葬儀になり、ただ紅葉坂教会の会堂は60名という人数制限がありますので、家族・親族と教会員以外の方には、式が終わった後の献花から来ていただくことにしました。その打ち合わせを終えてから、私は近くにいる娘と落合い、横浜駅に行き、早夕食を共にしてから、一人で鶴巻に帰りました。
  • この週は、Mさんの葬儀の司式が入り、19日(日)の説教準備と同日午後にある教区の第3回オリエンテーション「教師検定問題(教職と教師検定試験)」の発題もありますので、16日(木)の国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みは、仲間の人に連絡してパスさせてもらいました。13日(月)から16日(木)までは何処にも出かけないで、ひらすら準備に時間を使いました。
  • 17日(金)は、午後1時半ごろ鶴巻を出て、M宅に向かいました。横浜駅西口からタクシーで行き、午後3時半に予定していましたMさんの納棺式まで少し時間がありましたので、近くのバス停にある長椅子に座り、この日の暖かな日差しを受けてからだを緩め、ぼーっとして15分ほど過ごしました。その後ちょうど棺を運んで来た葬儀社の方と、ほぼ一緒にM宅に入りました。納棺師のかたでしょうか、Mさんの遺体を装う時間、家族の方にMさんの略歴で分からない所をお聞きしました。その後準備ができ、Mさん夫妻には3人の子どもと10人近いお孫さんがいらっしゃいますので、皆さんに棺の周りに集まっていただき、納棺式を行い、Mさんの遺体を棺に納め、その後葬儀社の方と若い力持ちの男の人4,5名が棺を担ぎ、2箇所の10段ぐらいある石階段を経て、道路に止まっていた搬送車に棺を乗せて、私ももその車に乗せてもらい、紅葉坂教会に向かいました。教会には午後4時過ぎに着きました。前夜式の始まる午後7時まで大分時間がありましたので、私は野毛に行き野暮用を済ませてきました。それでも午後5時ごろから7時までの2時間教会の事務室で、早めに来た紅葉坂教会の教会員の方と話したりして、休んでいました。前夜式は、会堂が60名限度いっぱいになるのではと思っていたところ、比較的頃合いの空間のある人数でした。式が終わってから献花だけにした方はやはり多く、献花は式の参列者を含めて、全体で150人ぐらいになったようです。M子さんは、前夜式の説教でも触れましたが、人間関係において積極的な方で、多くの人と交流していましたので、予想通りだったようです。Mさんについては、私は彼女の結婚前から青年時代に紅葉坂教会で共に過ごしましたので、良く知っております。ご自分のファミリーだけでなく、最後まで関わった精神にハンディを負った方々の支援の働きにおいても、その働きを担う働き人を含めて、Mさんは大きなファミリーとして関わったように思います。この日鶴巻に帰ったのは午後頃でした。18日(土)は葬儀式でした。