なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(558)

船越通信、№558 2023年3月19日(日)北村慈郎

  • 12日(日)の礼拝には耳の不自由なOさんが出席しました。今回の口実筆記は、Tさんが礼拝には来られませんでしたので、Hさんにお願いしました。Oさんは礼拝後私に三つほど質問をしましたので、私は筆談で答えました。その後役員会がありました。役員会では、4月9日(日)のイースターのこと(コロナウイルス感染期間中は聖餐式をしてきませんでしたが、今年のイースター礼拝では聖餐式を行なうことにしました)、4月16日(日)の2023年度船越教会定期教会総会のことなどを中心に話し合い、準備をしました。また、帰天された関田寛雄牧師に代わって、船越教会の代務者にお願いした方の教会の役員会で承認されましたので、「主任担任教師代務者決定承認申請」の手続きを進めることにしました。お願いいた方の役員会の議事録、船越教会の役員会議事録と責任役員会の議事録の写しが必要になります。それが整い次第、教区に提出することになります。教会員の皆さんはこのことをお覚え下さいますようにお願いいたします。役員会は午後1時前に終わりましたが、私は1時間ほど作業(支援会の総会案内ハガキの印刷)と後片付けをしてから、午後2時過ぎに船越教会から鶴巻に帰りました。
  • 13日(月)は4月15日(土)13:00-1530、紅葉坂教会で開催することになっています支援会の第10回総会の案内ハギキに、事務局の人が作ってくれた会員のラベルを貼る作業をして、850部の総会案内のはがきを投函しました。それが終わってから、今月21日(火)に行われるオンラインフェスタで、私が話すことになっている戒規の瑕疵についての準備してきた原稿を、最終的にまとめる作業に取り掛かりました。14日(火)もその作業を続け、大体まとめることができました。後は、オンラインフェスタの前日20日(月)に最終確認して、当日に臨みたいと思っています。14日(火)夜に、関田先生のお別れ会の実行委員会が、関内のWMCAでありました。前にSさんから連絡を受けていましたが、当日確認して伺いました。関内駅を降りてから、何を勘違いしたのか道を間違えて、馬車道の方まで来てしまい、また関内駅に戻って、横浜スタジアムを目標にしてやっとWMCAにたどり着きました。10分ほど遅刻してしまい、待っていてくれたみなさんには謝罪しました。私は生まれも育ちも横浜です。浜っ子ですから、横浜スタジアムのある公園やその向かいにあるWMCAには、小さい頃から何度も行っています。ところが関内駅周辺の開発が著しく、夜のその風景が今まで見たことのないものに映り、道を間違えてしまったのです。さて関田先生のお別れ会の実行委員会では、お別れ会の日程と会場、及び説教者等を決めました。何れ最終的な確認ができましたら、お知らせするようにします。
  • 15日(水)に「求め、すすめる連絡会」が昨年11月6日にZoomで行った全国集会「『合同』再考!」ので発題者の一人であるCさんから、書き直した手書きの発題原稿が速達で送られてきました。そこですぐにその原稿をワープロに打ち込み、関西の事務局に送りました。3月中に全国集会の報告(前半)として通信を発行することになっているからです。後日後半も次号の通信として出す予定です。この日私の中・高の母校から、生徒職員のクリスマス献金から牧師になっている卒業生へのプレゼントとして図書券が送られてきました。いつもは1月中に来ていましたので、今年はもうなくなったのではと思っていたのですが、3月半ばになって送られてきてびっくりしました。手紙の書き手の名前を見て、校長の交代があったようで、その関係で遅れたのではないかと思いました。
  • 16日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。この日は韓国伊大統領来日ということで、国会前の地下鉄を地上に出ると、物々しい警備の警官が沢山いて、官邸の真正面の交差点角に、右翼によると思われる旗めく日の丸と旭日旗の道路側にも警官が並んでいました。その交差点から経産省方面や永田町方面にはバスのような警察車両が何台も並んでいて、過剰警備と思えるほどでした。私たちが座り込んでいる場所は参議院議員会館前の道路ですが、私たちの座り込み中にも、20~30人ほどの日の丸と旭日旗を掲げた集団が、私たちの前を通って第二衆議院議員会館前の道路で、「竹島は日本の領土だ!」とシュプレヒコールして、また私たちの前を通って帰って行きました。関田先生も関わっておられた川崎のヘイト問題もそうなのですが、日本の中には韓国・朝鮮人差別がまだまだ根強くあるという現実を、この日は改めて突き付けられたように思いました。明治以降の日本の近代史においては、朝鮮併合をはじめとして、日本国家の罪責を思わざるを得ません。「慰安婦」や「徴用工」問題も、政治的取引を超えて、日本国家は道義的責任から免れられないと思います。座り込みが終わる頃、院内集会を終えて出て来た宗教者平和ネットの友人が声をかけてくれました。少し話した後、宗教者平和ネットの方たち10数名は国会議事堂に向かってシュプレヒコールをしていました。座り込みを終えた私と連れの二人はその脇を通って帰ってきました。
  • 18日(土)13:30-15:30、安針塚の長浦コミュニティセンター集会室で「比与宇弾薬庫にはどんなミサイル・弾薬が保管されているのか」~基礎的データを確認します~という学習会があり、ヨコスカ平和船団のKさんが話すことになっていましたので、私も参加しました。比与宇のことを知ることが第一の目的でしたが、もう一つ、Kさんに1月末の基地小で話してもらった講演のテープ起こし原稿の確認をしたかったのです。基地小ではKさんの講演を入れた通信を3月29日の委員会で、神奈川教区の諸教会・伝道所に発送することにしているからです。そのためにどうしても来週中に通信編集を完成して、印刷を終えなければならないからです。Kさんにはその旨を伝え、20日中に原稿の確認をお願いしました。