なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(76)

 今日はシャワーの会と言って、船越教会の青年が中心に行っている横須賀の路上生活者のパトロールに参加する予定でしたが、昨夜連絡があり青年の新しい参加者があるので、車の要領からすると一人乗れなくなるということでした。そこで若い新しい人に路上生活者のパトロールに参加してもらいたいと思い、今回は私が参加を取りやめることにしました。

 さて今日の情報化社会というものがどんな社会なのかについて、私はまだ十分に把握できていません。グーグルができてからまだ15年くらいだそうですから、情報化社会はまだこれからどんどん私たちの生活への影響力を大きくしていくのではないかと思われます。私はメールでやりとりをし、インターネットで時々必要な情報を検索し、自分のブログに書き込んでいるくらいですので、インターネットの効用からすれば、入口の入口のところでうろうろしているに過ぎないと思います。ツイッター2ちゃんねるもUチューブも画像のものも全くの部外者です。ただネット社会にはいささか関心がり、多少本で読んではいます。今東浩紀の『一般意思2・0』を読んでいて、ほぼ読み終わるところまできています。東は情報化社会を「総記録社会」と言い、それぞれの勝手な呟きや書き込みがデーターベースとして蓄積しているところに注目し、そのデーターベースから「無意識の共」を引き出すことができるのではないかと言うのです。近代社会では議論を重ねて意識的に共通項を求めていくわけですが、それではいつも公と私、肯定と否定という二項対立は超えられないのではないかと。東は、公と私、肯定と否定の彼方にある無意識の領域に注目します。データーベースとその解析によって無意識の領域を可視化できるならば、その「無意識の共」を統治の基盤に据える新しい国家像が描けるのではないかと。そのような国家は、現代のような選挙で選ばれた政党政治のように、国民全体の意思を反映できないものではなく、国民全体の「無意識の共」、つまり国民全体が最大公約数として求める意思に従う政治を行う可能性があると。東は権力の問題をどのように考えているのかは分かりませんが、情報会社会の可能性として描かれる一つの夢としては、この本を読んでいて大変面白いと思いました。

 「父北村雨垂とその作品(76)」お掲載します。


             父北村雨垂とその作品(76)

   悲劇  十句


 霞の中に 消えて行く 悲劇の リュック

 雑草の芽だよ 姙んだ土の 悲劇 だよ

 悲劇の腹から 神様が 跳びだした

 悲劇の舞台で 国際法と インクとインク壺

 悲劇の子 負って 太平の戦士 征く
 
 悲劇の小凶(?)をとり巻いて 学者 軍人

 笊(ざる)のどぜうもラッシュアワーだ 悲劇の科白(せりふ)

 神様も 紙幣(さつ)も 悲劇だ 血みどろに

 星は いっぱいに 涙を溜めてゐる 悲劇

 氷河の上に 一冊の悲劇と 白骨と


   婦人闘士

 爭議 解決 婦人闘士は 花を購う

 雑魚寝して 婦人闘士 家を忘れたのか

 わめく婦人闘士の 口唇(くちびる)が けいれんする

 婦人闘士に 古い婦が 笑って通る

 婦人闘士 たすきして 本部に 夕迫る


   無題

 晴れ衣の胸に この心臓は 昨日のものだ

 風船は天に 人 生まれ 人は 死に

 だんまりの綱(つな) 何時(いつ) 渡る 綱渡り

 父よりも 歴史 鋭き子に 愉し

 一発の弾丸(タマ)となる日の 待たるる日

 吾が 死なば 骨よ 祖国の 棚となれ

 学徒征く 純心 天に こだませよ

 魂 キララ 陽をはねかえし 学徒 征く

 清冽な歴史に 学徒 征く瀟々(しょうしょう)

 解けぬ いのち 時に 伽藍も 創りける

 ある 明日を画描き いのちが 薯(いも)を 掘る

 眞珠の庭の 鯉の オス メス の 埴輪