なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(137)

 今日は「父北村雨垂とその作品(137)」を掲載します。


               父北村雨垂とその作品(137)

   稿日記「一葉」から(その20)

       俳諧歌仙と西脇順三郎の詩について(その3) 
                       川研 1968年(昭和43年)11月に発表

 響きについては同じあかさうしに

   青天に有明月の朝ぼらけ
     湖水の秋の比良の初霜

 前句の初五の響に心を起し、湖水の秋、比良の初霜と、清くすさまじく大成る風景寄とあり、また去来抄には「響は打てば響くが如く

   くれ橡に銀土器を打砕き
     身ほそき太刀の反る方を見よ

 先師この句を引て教えるとて、右の手にて土器を打ち付、左の手にて太刀そりかけ直す仕形して語り給えり」と言葉のもつ音響的な強い感覚と、その言葉が内蔵する力感の相応ずるものが響である。尚、去来抄も悉く言尽し難きところ有り看破せらるべし、と言っている。俤については

   夕貎おもく貧居ひしける
  桃の木にせみ啼く比は外に寝ん

 一句、付共に古代にして、その匂ひ葉々の俤なり、また

   亀山やあらしの山やこの山や
     馬上に酔てかかえられつつ

 前句のやの字響きと共に酔てそぞろなる体を付顕す一句風狂人の俤也 ―あかさうし―
 これについて杉浦氏は「前句のやの字のくりかえしにある種の心弾みを幽かにするどく感じとってつけた句作り」と解説している。

   のし出て?に余るはるの駒
     摩耶が高根に雲のかかれる

 まえの句の春駒といさみかけらる心の余り、まやがみねと移りて雲のかかれると、すすみかけて、前句にいひかけて付たる句なり。

   月見よと引起されて恥かしき
     髪あふがずる羅の露

 前句の様態の移りを以て付たる句なり。句は宮女の体になしたる也。
 いづれもあかさうしに出ている。移りの例である。前句の余韻のながれを、流れのままに、しかと受けとめる気合を云うものの如し、と杉浦氏は解している。

   煤掃の道具大かた取出し
     むかいの人と仲直りけり

 推量の句なり。事せはしき中に取りまぜて、かやうの事もある事なりとすいりょうして仲直りけりと、ありさまを付けたる也 ―あかさうし― 煤掃の句は出典不明とのことであるが、ともかく推量の意は尽している様である。

 まことに大雑把なはなしであるが、ここで讀者のうち川柳作家で始めて歌仙の味をみられた方は、いまいちど前掲の作品と解説をよく未讀される様、というのは川柳作家の前句付に於ける付け方と、或る開きがある様に考えられるからである。要するに歌仙の句と句の間に於けるその関係が、匂い、響き、俤等々の情緒によっての付け方が、不朽の詩人芭蕉の発明であったことは確かである。

                                        (続く)