今日は「父北村雨垂とその作品(180)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(180)
原稿日記「風雪」から(その1)
ニーチェがその著『悲劇の誕生』に於いて芸術の根幹をギリシャの人の芸術神としてアポロとディオニ
ソスの二種が表裏となって一体化していると断じ、そこに主・客の一体化を目途とした芸術的自然観即世
界観の根を下ろしその最も適切なる例証として音楽芸術を提出し、それがショーペンハウエルの音楽観が
全く一歩の隙もない公理として而も彼の理論をリヒャルト・ワーグナーもこの認識に太鼓判を押して、そ
れが永遠の眞理であることを保証しているとまで確言している(『悲劇の誕生』岩波版文庫p.148~p.14
9)。次いでショーペンハウエルの『意志と象徴としての世界』から原文のまま抽出(第一編309頁→白水
社版訳書p.158をみよ)している。而も全く眞率に表明していることで解る様に、吾々が世界のつまり現
象世界の一分子として世界意志を表明しながらも而もその様に表明する個(こ)を個として、その個から
「全」即ち現象型世界を『全』として展望する形態を堅持している禅者の境地とは大きな隔たりが在るこ
とは瞭らかである。この両者に限らず、西欧哲学者が全と個の体質をそのまま継承している限り、禅者の
思想と一致することは全く絶望と云って良い。
1983年(昭和58年)8月30日
(以下)註p.は頁数g.は行数
岩波文庫版、秋山秀夫訳
之の頁以後ニーチェの思想について彼の著書から抜粋して自分なみの批判を試みる。『悲劇の誕生』よ
りp.8-g.1「悲劇は音楽の精髄から誕生したのだ」と云う最終結論に達した。
インド人の場合はペシミズムによる下降の徴候を認め得るかも知れぬが ― 西欧の場合は同様とは思
う。而し同時に強さのペシミズムというものがあるのではないか。つまり生存の苛酷なもの、戦慄的なも
の、邪悪なもの、問題的なものに知的偏愛をいだくことが幸福やあふれるばかりの健康、生存の充実から
来る場があるのではないか? 過剰そのものに悩むということがひょっとしたらあるのではなかろうか。
自分の力を試すことのできる様な互角の敵その相手によって「怖れる」とはどういうことなのか。それを
究明する勇敢さがあるのではないか ―。
ギリシャ人に於いて悲劇的神話の意味するところは何か。ディオニソス的なものと云う怪異な現象は何
を意味するか。そこから生まれた悲劇の意味するところは何か。更に悲劇のいのちとりとなったもの、道
徳のソクラテス主義、理論的人間、弁証法と満足と明朗さは何を意味するのか? それはこのソクラテス
主義の下降、疲労疾患の徴候、無秩序に解体してゆく本能のしるしで有り得るのではないか?
また後期ギリシャ精神のいわゆる「ギリシャ的明朗さ」は、單なる夕陽に過ぎないのではないかと、そ
れに尚も科学自体 ― 生の徴候とみた場合をも含めてもっとも困るのは何から由来するのか。これも或
はペシニズムに対する恐怖、逃避にすぎないのではないか。科学は一種の巧妙な防衛手段ではないか。眞
理に対する? そして道徳的に云えば一種のズルサではないのか。卑怯や虚偽に類するものではないか。
非道徳に云えば、一種のズルサではないのか。これがソクラテスの秘密だったのではないか。以下略。
「註」 ここに臨済義玄と似た鋭さがみられるが、それは環境が修正した個性による相似であって、そ
の働く意識には表と裏ほどの隔たりがある。
ディオニソスとマイモニデス(酒神信女的な)の魂の様なものとしてそれでもそこに実存と悲劇の葛藤
がニーチェの目を輝かせたと同時にその証言に迷ったと当時を語っているかの様にとれるが、実はニーチ
ェ獨特の云ひまわしである。それは「詩人として言う勇気を持たなかったとはなんとも残念なことだ」。
それはディオニソス的とは何かと云う問に吾々が答えないかぎりギリシャ人は相変わらず見破られず想像
もできないと云う問題であると断じている。