なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

日本基督教団の諸教会・伝道所のみなさんへ

 下記文章は、北村慈郎牧師を支援する会発行の「通信第8号別冊」中の文章です。通信第8号と別冊は過日日本基督教団に属するすべての諸教会・伝道所に送付しました。しかし、どれだけ読んでいただけるかは分かりません。中には牧師の一存によって廃棄され、教会・伝道所の方々に読んでいただけないこともあるかと思われます。そこで、ある方から「通信第8号別冊」を「拡散希望」とブログやツイッターで広げていったらどうかという提案を受けました。さしあたって、この私のブログで佐藤厚さんの文章を転載させていただきます。「通信第8号別冊」は「北村慈郎牧師を支援する会」の工事中のホームページ(http://k-saiban.com/)にアップロードされています。
 みなさんの友人、知人にも広げていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いたします。

《 日本基督教団諸教会・伝道所のみなさんへ 》 
        
                   藤沢大庭教会信徒  佐藤 厚(事務局員)


情と理を尽くして、とことん話し合いを!
そして、多様性は、混乱ではなく、むしろ豊かさ!
これを強みにする!…真の合同教会をめざして!

1. 北村牧師と<現在の教団執行部>と、どの点が異なっているのか?

関田・世話人代表のご挨拶(同封の支援会通信第8号参照)にありましたように「情と理を尽くして、とことん話し合いを進める」とともに、根底に「初めに北村牧師排除ありき」があるように感じられますので、現在の教団執行部の考えと、どこが異なっているかの根本原因を考えてみました。

これは、現在の教団執行部の全員が<同じ信仰の人だけで固めている>という事からも、今回の問題点が如実に示されています。これは「執行部員の名前を全数連記する投票」という仕組みによって、独占を可能にしています。つまり、多様な意見が反映されていない、排除されているという異常な状態です。

相違点1:
A:宗教の世界(魂の救い)だけを最上と考え、他方、政治の世界(この世)をその下と位置づけて、教会の課題としては扱わない。だから、教団の間違いを認めない、戦争責任告白を軽んじる。教勢の拡大・伝道だけに、最大の目標をおく。
B:宗教と政治とを分けない。イエスご自身は、宗教と政治を分けていらっしゃらない。この世は、神が創造して、これを見て「美(よ)し」とした。そしてこの世は、キリストの主権の下にある。虐げられている人々の存在は、このキリストの主権が侵されていることであり、教会の問題として、正面から取り組む。だからこそ、戦争責任告白を重要視する。教勢と同時に、世のために働く教会を考える。

相違点2:
A:「合同」教会ではなく、「統合」教会を求める。
教団は、プロテスタントのいろいろな教派が集まって発足したが、たとえ切り捨てても<一つにしなければならない>と考える(それが、今回の北村牧師免職となった)。それを実現する手段として、教団信仰告白や教憲教規などを用い、上からの統制で、結束を図ろうとする。新約聖書は多様な信仰を含むので、それらを、矛盾のない、一つの信仰にまとめた、神学・信条を重視する。
B:「統合」教会ではなく、「合同」教会を求める。
いろいろな出身教派の良き伝統を大切に考え、無理に一つに統合するのではなく、多様な信仰を認めて、互いに尊重し、更に各個教会の主体性に信頼し、協力し合う、真の合同教会の形成をめざす。新約聖書の多様な信仰は、多様なままで受け留める。結果的に、多様な信仰の教会の集まりとなる。世の中はますます価値観が多様となり、それに応答するためにも多様な教会となる。多様性は、混乱ではない。むしろ恵みであり、強みである。そして、自己絶対化を避け、自分の信仰の反省の契機にもなる。何も恐れる必要はない。

相違点3:
A:キリスト教の歴史的な伝統を重んじ、受洗者のみの<閉じた聖餐しか>認めない。
B:新約聖書の多様な信仰を認めることから、<閉じた聖餐も、開かれた聖餐も、両方を>認める。「洗礼から聖餐に」「聖餐から洗礼に」、この2つの道筋を認める。

以上の様な相違点によって、日雇い労働者の町・寄せ場である<横浜・寿地区>で長い間活動してきた北村牧師の排斥・牧師免職が行われました。表面上の理由は、「開かれた聖餐の執行が教憲教規違反」(注:実際は違反ではない)でありますが、主イエスが貧しい人々に奉仕していたことを考えますと、主の食卓(=聖餐式)で、神の招きに応じて教会の礼拝に集まった人々の中に、排除される人が生じること自体、矛盾していると考えます。現に、この寿地区では、聖餐から洗礼に導かれる方々がいらっしゃいます。

そして、一番重要なことは、この<開かれた聖餐、主の食卓>は、紅葉坂教会の総会で決定されたことであり、北村牧師はこの決定に沿って執行していたということです。そして根本的には、各個教会の決定の尊重が重要です。この教会は、旧・組合派の伝統の教会でありました。(注:組合派は、会衆派、組合教会ともいう。各個教会の教会政治において、会衆制とよばれる教会員の直接民主制に近い制度を採ることが特徴で、各個教会の独立自治を極めて重視する。また、聖書のみに基づき、いかなる教会的・教理的信条にも拘束されない自由を尊重する。)

ここで、教団の全ての教会員に考えて頂きたいのは、「これらの相違点において、あなたは、AとBとのどちらの方向に、日本基督教団を進めていきたいのですか?」ということです。
私たちは、今、まさに教団は岐路に立っていると考えます。

更に言えば、重要なことは、Aの立場の人も、Bの立場の人も、またそれ以外の立場の人も、お互いに理解し尊重して、<自分の信仰を、他の人に押し付けない>ことです。つまり、自分とは異なる・多様な信仰がある現状を先ず認めて、そこから、なお一致を求めて、忍耐深い対話を続けながら、進みたいと思っております。

2. 新約聖書の成立:信仰上の「ストライク・ゾーン」は、長い長い<話し合いで>決められた

 そもそも、使徒パウロは、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)だけで十分でありました。新約聖書を初めて作ったのは、当時の強力な異端であるマルキオンでした。西暦144年ごろ「ルカ福音書パウロの手紙10通」だけで、新約聖書=正典とし、信仰の規範としました。このため当時のキリスト教の主流である初期カトリックは、これに対抗する必要が生じました。
この場合、<正しい信仰を示すための新しい文書を作成する>のではなく、ユダヤ教を真似て、既に著作されている膨大なキリスト教の<信仰の書>の中から、規範=正典とすべき文書を選定するという方法を採用しました。これは、公会議<話し合い>で決めました。信仰上のストライク・ゾーンを決め、<その範囲内ならば、正しい信仰>と認め、仲間としました。たとえば、グノーシス信仰に近くても、ヨハネ福音書の範囲までは正しいと認める、というように。このため、いろいろな場所で延々と会議をし、350年ごろにほぼ確定しました。その間、新約聖書の範囲には<信仰の相違で>出入りがあった訳で、他の人の信仰に理解を示して調和させて、結果的に<多様な信仰が含まれる>ようになりました。
しかし、多様であるが故に、ここで<或るボールのコースだけが正しい>として、それで統合しようとする心情がどうしても起こります。たとえばカルヴァンの信仰に近い線で、または、ある信仰告白・信条で、ある神学で、…というように。プロテスタントは、このために、なかなか合同ができませんでした。この日本基督教団は、国家の強制があったとは言え、この困難な合同を実現するために、教派を超えて集まりました。今、この初心に帰って考える必要があると思います。最早、逆行は許されません。
同様に、聖餐についても多様な歴史と理解があります。その一つとして、
新約聖書学者の荒井 献先生の「洗礼と聖餐 ― その聖書的根拠をめぐって ―」
http://mabune6.exblog.jp/17434610)に、詳細に述べられています。
その結論部分だけを引用すると
「聖餐を受洗者に限ったのは、2世紀初期に成立した『十二使徒の教訓』(ディダケー)において初めてである。しかし、この文書においてさえ、聖餐と愛餐は分離されていなかった。それらが分離され、聖餐がサクラメントの一つとなったのは、4世紀以後の教父時代においてである。
漸く制度的に成立しつつあった当時のキリスト教共同体が、対外的には異教や異端に対して自己を防御する必要に迫られ、対内的には自己のアイデンティティーを強化する手段として、統合儀礼としての聖餐を受洗者に限ったことについては、時代的・歴史的状況を考慮に入れれば、一定の評価をすることはできよう。しかし、それはあくまでキリスト教アイデンティティーを確立する手段であって、それが共同体形成のために目的化されてしまったなら、キリスト教における入信儀礼としての洗礼は、ユダヤ教における割礼と本質的には異ならないことになろう。」
ですので、聖餐=主の食卓についても、歴史に謙虚に学び、お互いに理解を深めて、一致を求めながら、<話し合い・対話>を続けて行くことこそが、現在において、必要と考えております。

最後に、神は私たちの教団を合同教会にふさわしい対話の道に導いて下さると信じて、祈り願っています。アーメン。