なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(433)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(433)復刻版を掲載します。2008年1月のものです。


      黙想と祈りの夕べ通信(433[-15]2008・1・13発行)復刻版

 今日の週報(1月13日)にMさんという方が受洗したことが記されています。礼拝にいらしている皆さんは、

一体何方だろうかと思われることでしょう。実はMさんは一度お連れ合いとお二人で私に面談するために教会

に来られただけで、礼拝には一度も参加しておられません。11月12日に小集会室で面談したとき、和子さん

は、自分は病のためにもう長くないので、幼いとき原宿教会の幼稚園に通ってキリスト教に触れたことを忘

れられない。だから自分の葬儀は教会でしてもらいたいので洗礼を受けたいと言われました。その時は、そ

んなに急に病気が悪化するとは思えませんでしたので、私は、分かりましたので、体調がよい時に礼拝に出

席してみてください。その上で考えましょうと申し上げました。その後礼拝には見えませんでしたので、ど

うされたのかと思っていました。そしてクリスマスの案内を差し上げましたところ、和子さんからお電話が

あり、白血病で年末年始は病院に入院しなければならず、医者はもう一ヶ月ではないかと言っているので、

洗礼を受けさせてもらいたいというのです。私は、それでは洗礼志願書を送るので、それに記入して送り返

してください。1月の役員会で病床洗礼の承認を取るのでと申し上げました。数日後記入された洗礼志願書が

送られてきました。1月6日の役員会で承認をとり、私は8日に打ち合わせのため二俣川のご自宅に伺いました。

Mさんは週に何回か輸血に病院に通い、後は自宅で療養されているということでした。お会いしてお話してい

る限り、そんなに切迫しているとは思えないのですが、その時も洗礼の話だけではなく、教会の葬儀のこと

もお聞きしたいというので、いろいろとお話をしました。賛美歌はCDで聞いているので、その中の好きな歌

を自分の葬儀で歌えないかというので、前夜式と葬儀式で4つ歌うことはできますと申し上げました。洗礼

式は出来るだけ早くして欲しいというので、輸血に行かない11日(金)にすることにいたしました。当日1月

の役員当番長のKさん、住まいが二俣川に近いTさんの二人の役員の立会いをお願いして、伝道師と共に午後

1時に相鉄の二俣川駅で待ち合わせをしました。Mさんの連れ合いのM・Aさんが駅まで自動車で迎えに来てく

れましたので、私たち4人はその車に乗ってご自宅に伺いました。Mさんは8日に伺ったときよりも体調が落ち

ているようでした。直ちにKさんに介添えをお願いして洗礼式を行いました。続いて聖餐式を行いました。前

の日に携帯用の聖餐式用具を整え、パンとぶどう汁を用意しておいて、聖餐式ではそれを用いました。終わ

って三人をご夫妻に紹介し、すぐ失礼しました。

 M子さんと紅葉坂教会との出会いは、多分教会で自分の葬儀をしたいという和子さんの希望で、お連れ合い

がたまたま何かで紅葉坂教会を探して、一度お一人で礼拝に出席されて、Mさんにこういう教会があると伝え

たのだと思います。そして私と面談したときに、Mさんは紅葉坂教会に自分でいらして、礼拝堂も見られて、

この教会でということになったのだと思います。8日の準備のために私がご自宅に伺ったときに、洗礼を受

けたいが、こんな不十分な自分のキリスト教理解で洗礼は受けられるのでしょうかと言われました。私は健

康が安定しておられる方ならば、洗礼の準備はしますが、和子さんのような場合は、洗礼を受けたいと決心

されたそのことを重く受け止め、その受洗の決心の中には神さまの働きがあると私は信じますますと申し上

げました。実は私も洗礼を授けていただいた平賀徳造牧師とは一度お会いしただけで受洗させていただきま

した。教会にはじめて来た日曜日から洗礼を授けていただいたのは僅か一ヵ月半しか経っていませんでした。

高校3年のクリスマスでした。それでも曲がりなりにも現在まで教会に連なり、信仰者の歩みを続けていると

思っているわけです。

 どうぞM子さんのことを覚えていただければ幸いです。  



          「静かな、小さな愛の声」      1月13日


 多くの声が私たちの注意を促します。「おまえがよい人間だということを証明しろ」と言う声があります。

別の声は「恥ずかしいと思え」とささやきます。また、「誰もおまえのことなんか本当には気にかけちゃい

ない」と言う声もあれば、「成功して、有名になって権力を手に入れろ」と言う声もあります。けれども、

これらの非常にやかましい声の陰で、静かな、小さな声がこうささやいています。「あなたは私の愛する者、

私の心にかなう者」と。それは、私たちが最も聞くことを必要としている声です。しかしその声を聞くには、

特別な努力を要します。孤独、沈黙、そして聞こうとする強い決意を必要とします。

 それが、祈りです。それは、私たちを「私の愛する者」と呼んでいる声に耳を傾けることです。 



                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)