なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(336)

     船越通信癸械械供   。横娃隠掲10月29日   北村慈郎

・21日(土)から22日(日)にかけて、船越教会の2017年度の一泊修養会を行いました。21(土)

については前回の通信で簡単ですが報告しました。実は修養会の案内では22日(日)も礼拝までの時間に

修養会の「まとめ」の話し合いを予定していましたが、今回は参加者が少なく、21日(土)に教会に泊ま

る人もいませんでしたので、22日(日)の礼拝前のプログラムは自然に割愛ということになりました。と

ころが、Sさんは22日(日)の朝食から参加の予定で、22日(日)朝早く教会に来ました。私がSさんから

の携帯メールを確認したのが、7時半ごろで、教会玄関を開けましたが、その時Sさんは30分ほど玄関前に

立っていて、私が玄関を開けるのを待っていてくれたようです。しかも予定していた礼拝前のプログラム

もなしということで、Sさんには大変申し訳ないことをしてしまいました。お許しください。

・さて22日(日)の私の礼拝説教は修養会のテーマ「なぜ私は教会に行くのか」を説教題にし、聖書ルカ

福音書4章16-22節をテキストにして話しました。その説教では、船越教会では今まで殆ど話しませんでし

たが、私の個人史についても触れました。個人史をどのようにとらえるかは、なかなか難しいところで、

事実をありのままに話すのは至難に近いのではないかと思います。私の説教での個人史の語りも多少脚色

を加えてしまっていたかも知れません。高校3年生の11月の第一日曜日から友人に誘われて紅葉坂教会の

礼拝に出席して、それ以来今日まで私は教会という世界との関わりの中で生きてきていますが、教会に関

わるようになってからの初めの数年は、ほとんど自分の生活の場からの逃避に近かったのではないかとい

う思いが、今もあります。それも導きであると言えないこともありませんが、私の中には現実を逃避した

ということの痛みは消えません。その痛みを抱えながら、私は教会という世界との関わりを、恐らく死ぬ

まで続けていくのだろうと、自分自身では思っています。

・22日(日)は礼拝後、修養会の為にHさんが用意してくださった朝食用のパンやサラダを残った人で

いただきながら、しばらく懇談の時を持ちました。その後この日は役員会も予定していましたが、役員二

人が所用の為に欠席でしたので、他の役員二人と私とで、11月の役割当番表だけを確認して、役員会は11

月5日に延期しました。実はこの日なか伝道所の30周年記念の会が午後2時からありましたが、船越教会の

役員会を予定していましたので、欠席の返事を出し、お祝いの電報を船越教会の名前で出しておきまし

た。段々いろいろな事情が突発的に起きて、予定したようにはなかなか進まなくなるのではないかと思わ

れますが、それも私たちの現実として受け入れながら、臨機応変に事柄を処理していきたいと思っていま

す。その点どうぞよろしくお願いいたします。

・この週は24日(火)午後に農伝に行って説教演習の授業の責任を果たしましたが、その他には28日

(土)に大阪東梅田教会で行われる支援会の関西(大阪)出前集会がありました。ただ26日(木)午

後、名古屋にいる小学校時代の友人がこちらに来ているので、久しぶりに横浜にいるもう一人の小学校の

友人と3人で会うことになりました。横浜駅東口で待ち合わせして、横浜のもう一人の友人が案内してく

れて、関内のカラオケボックスの一室で、午後3時過ぎから午後6時半過ぎまで、歌は歌わずに、食事をし

ながら旧交を温めました。名古屋の友人とは小学校時代、確か2年間小学5年、6年同じクラスだっただけ

ですが、小学校卒業後、彼を加えて4人の仲間が自然にできて、その中の一人が数年前に亡くなりました

が、途絶えることなく付き合っています。お互にいろいろと知り尽くしているということもあり、遠慮も

気兼ねもなく、言いたいことを言い合える仲なので、会って話していると時間があっという間に過ぎてし

まいます。私はカラオケには全くと言っていいくらいに行きませんので、カラオケボックスもどんなとこ

ろなのか全く知りませんが、今回行ったところは、人数によって大小さまざまな部屋があり、出て来た料

理もそれなりの味をしていて、レストランの個室よりもゆったりしていて、たまたま時間も時間でしたの

で、他に客は殆どいなかったので静かだったのかも知れませんが、のんびり話し合うにはいい場所だと思

いました。

・27日(金)午後5時頃鶴巻から小田原に出て、新幹線で大阪に行きました。28日(土)午後1時からの

関西(大阪)出前集会のためです。関田先生と私は大阪梅田東の東横インに泊まり、集会に備えました。

地下鉄の南森町駅から地図をたよりにホテルまで歩いていきましたが、最初反対方向に10分ほど歩いて、

人に聞いて、反対方向であることを教えてももらい、15分ほど歩きました。そこでもう一人の方に地図を

見ていただき教えてもらいましたら、その方がホテルへ行く道が分かるところまで一緒に来てくださいま

した。そのようにしてやっと午後10過ぎにホテルに着きました。フロントでは関田先生の伝言ですと係の

人に言われて、すでに関田先生はホテルにチェックインしているということでした。28日(土)朝食を

済ませ、10時にタクシーで先生と東梅田教会に行きました。まだ集会の開始時間からすると2時間半以上

前に東梅田教会に到着しましたが、東梅田教会のS牧師が快く迎えて下さり、教会の応接間で待たせてく

ださいました。その間東梅田教会の歴史や礼拝堂も案内してくださいました。出前集会は2階の集会室で

行わせてもらいました。司会は高石教会の古郝荘八牧師にお願いし、発言は3人(村山盛忠隠退牧師、関

田先生、古郝牧師)にしていただき、45分ほど協議の時間を持ちました。関西出前集会も東京出前集会と

同じように雨の降る日でしたが、56名の出席者がありました。会の内容の報告はいずれ支援通信にまとめ

ますが、フロアーからの発言は東京出前集会とは違って、それぞれ現実的な提案がありました。私の免職

撤回を勝ち取るための具体的な行動として、教団の事務局や教団議長宅に押し掛けるとか、今の教団の枠

組みを超えて、下から未受洗者・非受洗者への配餐を可とする運動や教団の教職制に捕らわれない自由な

宣教活動を積み上げていくとか、大変参考になる意見がありました。それらの意見も参考にしながら、こ

れからの運動の在り方を支援会として考えていかなければと思わされました。