船越通信、癸械苅粥 。横娃隠掲12月24日 北村慈郎
・主イエスの降誕を心からお喜び申し上げます。皆様の上にその祝福と恵が豊かにありますように!!
・17日(日)の日曜礼拝の後に何時ものようにお茶を飲み懇談をしましたが、その時に前週の日曜日の
礼拝後の懇談の時に、私が2階の牧師館が大変寒いという話をしましたので、Hさんはじめ皆さんが心配し
てくださり、何とかしなければということになりました。WさんとTさんが2階の牧師館(私一人で勝手に
使っていますので、散らかしている)を見てくださいました。その結果、裏の崖に囲まれている牧師館部
分は建物が歪んで立て付けが悪くなっていることもあり、暖房は限界があり、今は空き部屋になっている
平和センターの太陽のよく当たる和室6畳に炬燵を入れるということになりました。炬燵はTさんのところ
に余分があるので、持ってきてくださるということになりました。後は窓ガラス部分に簡易な断熱処置を
すればよいということになりました。私は牧師になって来年3月が来ると49年になりますが、最初の5年間
の前半は6畳と3畳のアパートに家族5人、後半は6畳と8畳のトイレはくみ上げ式の和室一軒家で、ある夏
長男がそのトイレに落ちで、風呂がありませんでしたので、すぐ水で汚物を流し銭湯に連れて行ったこと
もありました。次の3年間は紅葉坂教会の階下の4畳半と6畳の部屋で、台所は教会と共用。そこに5人で生
活しました。その後は御器所教会、現在の赤池教会、紅葉坂教会それぞれ牧師館に住みました。6年前か
らは鶴巻のマンションと船越教会牧師館の生活です。この牧師生活49年間自分の住居について、ああして
欲しい、こうして欲しいということは一切言ったことはありませんでした。今回も一人住まいの孤独死の
話の関連で、2階の牧師館も大変寒く、金曜日から私一人で泊っていることが多いので、私も76歳にな
り、自分の身にもそういうことがあってもおかしくない。それはそれで自然なことだから、受け入れるほ
かない。そんな話をしていましたので、会計役員の心優しいHさんが役員やWさんに呼びかけて、何とかし
なければということになって、私は一度は辞退したのですが、あまり頑なになってはいけないと思い、皆
さんの好意を受け止めることにしたという次第です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。普段
は2階6畳間を書斎代わりに使わせてもらうことにします。
・さて前回の船越通信にも書きましたが大阪釜ヶ崎の「西成特区構想」のことで、たまたま先日伊勢佐木
町の有隣堂で文庫本を見ていたときに、生田武志さんの『釜ヶ崎から~貧困と野宿の日本~』が目に入り
購入し、一気に読み切りました。この本の最初の所に「西成特区構想」のことが書かれています。この
「西成特区構想」との関連で、「ジェントリフィケーション」(Gentrification)という言葉が出てきま
すが、私はこの言葉の意味が余りよく分かりませんでした。生田さんの本の中で、この言葉の意味につい
ても記されていますので、その部分を紹介したいと思います。<「ジェントリフィケーション」(Gentri
fication)は1964年に社会学者のルース・グラスが「ロンドン」で初めて提出した概念で「地域の高級
化」とも訳される。近代以降、年が発展するに従って中流以上の住民が住む傾向が強くなり、都市中心部
がスラム化する「空洞化現象」が知られていた。この空洞化した都心に高収入層や企業が回帰し、地域を
作り替えてしまう現象をジェントリフィケーションと言う。この問題についての古典とされるニール・ス
ミスの『ジェントリフィケーションと報復都市』によれば、「ジェントリフィケーションとは過程であ
り、民間資本とミドルクラスの住宅購入者や賃借人が流れ込むことでインナーシティ(都心近くで貧困な
人々が密集して住む場所)の貧民や労働者階級の地域が改造されることを意味します。そしてその地域
は、それまで資本の引揚げとミドルクラスの流出を経験してきた場所です。もっとも貧しい労働者階級の
地域が、作り替えられようとしているのです」。/ジェントリフィケーションは1960年代のロンドンに始
まり、エディンバラ、フィラデルフィア、シドニー、アムステルダム、ブタペスト、パリと世界的に進行
した。その中で釜ヶ崎に近いケースは、ニューヨーク市ハーレムとロサンゼルス市スキッド・ロウだろう
>と言われています。もし釜ヶ崎にジェントリフィケーションが進行したとするならば、日雇労働者や野
宿生活者は完全に排除されてしまうに違いありません。そのようなことがないように「西成特区構想」に
ついて見守っていかなければならないと思います。
・この週は22日(金)に高齢の姉妹をホームにお訪ねした以外には、どこにも出かけませんでした。20日
までに書かなければならなかった原稿がありましたので、そのために時間を使いました。その原稿の中
で、私はこのような問いを立てました。<伊波洋一氏によれば、「アメリカでは、たとえばコウモリなど
の野生動物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう
(軍事)訓練はできない。計画そのものが中止になる」と言う。もしその原則を日本に適用するならば、
つい最近普天間基地に隣接している保育園屋根や小学校校庭への米軍ヘリによる落下物事故が起こるはず
がないし、辺野古の海にジュゴンの藻場があり、大浦湾には貴重なサンゴがあるのだから、そこに基地を
造るなどということも不可能なはずである。ところが日本政府は米軍の言いなりに飛行再開を認めてしま
うし、辺野古では新基地工事を、反対を力でねじ伏せて進めている。なぜであろうか>と。それは憲法よ
り安保が法的に上位になっている「戦後日本の歪んだ国のかたち」が現在も続いているからです。ですか
ら、<平良修さんが辺野古に来てくれることは有り難い。しかし、辺野古だけで問題は片付かない。日米
安保条約という軍事条約が底辺に流れている。辺野古の状況を起こさないために日米安保条約を破棄する
運動を起して欲しい>という問いかけに応えるには、<わたしたちが辺野古の闘いに連なると共に、わた
したちの政治的自己決定権に基づいてこの国の歪んだかたちを正す以外にない。知恵を出し合って、各地
でその取り組みをしていきたい>と書きました。「戦後日本の歪んだ国のかたち」を知るために、矢部宏
冶『日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか』(2016年、集英社)、『知ってはいけない 隠された日
本支配の構造』(2017年、講談社現代新書)を参照ください。