なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

鶴巻通信(16)

 

鶴巻通信(16) 2021年8月31日

 

  • 本日(8月31日)をもってアフガニスタンの米軍撤退が完了し、20年間続いたアフガニスタンへの米国の干渉が終わりを告げることになります。20年前にアメリカで起きた9・11アメリ同時多発テロ」を契機に、アメリカはテロリストをかくまっているという理由でアフガニスタン、特にタリバンへの武力攻撃を行い、それから相当時間が経ってから同時多発テロの首謀者とされるビン・ラディンを暗殺しました。アフガニスタンの地勢的な状況とどこかの支援を受けていると思われるタリバンの掃討はなかなか難しく、アメリカは、アフガニスタンに強引にアメリカに都合の良い自国政府をつくり、タリバンに対抗する軍隊もつくりました。その上での米軍のアフガニスタン撤退をというアメリカの思惑は、今回完全に挫折したことになります。アメリカ大統領のバイデンが、8月中の米軍の撤退を早めに公表してしまったことが、その原因の一つとも言われていますが、バイデンが米軍撤退を公表せず、密かに米軍撤退が完了したとしても、遅かれ早かれアフガニスタンタリバンが支配することになったでしょう。
  • ヨーロッパ列強の植民地支配とは違って、第二次世界大戦以降で他国への軍事支配を強行したのは旧ソ連アメリカという二つの超大国以外にはありません。軍事衝突という点からすれば、イスラエルとバレスチナの戦闘や諸国の内戦もありますが、それと旧ソ連アメリカの他国への軍事侵攻とは本質的に異なるように思われます。旧ソ連邦が崩壊した1990年以降では、他国への軍事侵攻はアメリカだけです。湾岸戦争イラク攻撃、アフガニスタンの軍事支配、みなアメリカによるものです。これらは全て世界の警察を自負していたアメリカの愚かな行為です。1990年以前にはベトナム戦争がありました。その前には朝鮮戦争もありました。ただこの二つの戦争は戦後の東西冷戦構造に起因していると思われます。その意味では、1990年以降のアメリカ主導の三つの戦争は超大国アメリカが仕掛けた戦争という意味で特別です。覇権主義が世界に平和をもたらすことは絶対にありません。アメリカが影を潜めたら中国が同じ道を進むかもしれません。もしそうだとしても、中国もまたアメリカと同じ道をたどるに違いありません。覇権主義が永続することはありえないからです。
  • 吉本隆明は、どんなにその国の内部が対立構造を抱えていても、他国による干渉は一切すべきではない、その国の人たちによる問題解決にゆだねるべきだ、という趣旨のことを言っていたように思います。他国が干渉すれば、必ず代理戦争にならざるを得ないということではないかと思います。国連が理想的に機能していれば、一国における一部の人たちによる一部の人たちの人権侵害については、何らかの干渉は必要になるかも知れませんが、今の国連にはその力がありません。
  • さて、今回のアフガニスタンからの米軍の撤退において、ヨーロッパ諸国や韓国は自国民及びアフガニスタン人の協力者を、米軍の完全撤退前にアフガニスタンから脱出させる行動を完了したと言われます。しかし、日本は、まだ残っている数人の日本人及び大使館などで日本の協力者として働いていたアフガニスタン人及びその家族約500人の脱出を完了しないまま、大使館員だけはアフガニスタンを脱出させたというのです。本来なら大使館員は、アフガニスタンに在住する日本人及び日本の協力者であるアフガニスタン人及びその家族を脱出させてから自分たちもアフガニスタンを脱出すべきではなかったのではないでしょうか。
  • 私はこのことをテレビ報道で知って、日本の敗戦間際に満州開拓民を見捨てて、自分たちだけ引き上げてきた日本の軍隊と同じことを、戦後76年の現在も変わらずに日本の国はしているのではないかと、愕然とさせられました。考えてみれば、国内における新型コロナウイルス感染拡大における政府の取り組みも、基本的には国民(市民)一人一人を見捨てて、守るべきものを間違えているのではないかと思えてなりません。そういう政府を生み出しているのは国民(市民)である私たち一人一人です。とすれば、国民(市民)である私たち一人一人に基本的人権意識が希薄で、民主主義が根づいていないことに、全ては起因しているのではないでしょうか。私たちが村的な関係や利害得失で政治家を選んでいる限り、自国民であろうと他国民であろうと、一人一人の命と生活を何よりも大切にする政治は生まれようがありません。
  • これも吉本隆明によりますが、50%以上の市民による政治家のリコールが成り立つようになれば、社会は変わります。基本的人権意識を持ち、民主主義的な行動をとる市民が50%以上になれば、この日本も、羽仁五郎が確か『都市の論理』で書いていたようなルネッサンス時代のイタリアのフィレンツエのように、その町の一番立派な建物が孤児院だったと言えるような国になれるのではないでしょうか。

 

今回は写真添付は省略します。