なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(533)

船越通信、№533 2022年9月25日(日)北村慈郎

 

  • 18日(日)は礼拝後、「ウクライナに平和を!」の京急田浦駅前でのスタンディングを行う予定でしたが、雨のため中止しました。ウクライナの状況はロシアによる軍事侵攻が始まって7か月が経過しますが、停戦の兆しは見られません。ロシアはウクライナの支配地域を住民投票を行うことによってロシアの領土にしようとしています。ウクライナウクライナを支援している国々もそれを許すはずがありませんので、現在は戦争の長期化は避けられない状況です。停戦の可能性があるとすれば、ロシア国内からこの戦争を止める動きが起こることです。根本的な解決は、現在の国民国家による世界の分断の現実を、それぞれの国家の壁を開いて、ヨーロッパ連合のような世界連合を形成することです。国連が本来そのような機能を担うことが望ましいのですが、第二次世界大戦における戦勝国を特別扱いしている現在の国連では国民国家による分断を乗り越えることはできません。ユーロが中東・アフリカの諸国まで広がり、アジア・オーストラリア地域や南北アメリカ地域でもユーロのようなものが作られ、それぞれに属する諸国が吉本隆明の言う贈与経済(経済的に発展している国が物的・人的に資源を得ている国に経済的に贈与する)で繋がり、それが世界連合に発展していくことが望ましいのではないでしょうか。現在国民国家自国主義に逆行していますので、世界連合の形成は近未来にはなかなか難しいと思われますが、気候変動の克服と共に世界連合の形成がなければ、人類滅亡の危機は避けられないのではないでしょうか。
  • 20日(火)にファックスが入り、紅葉坂教会時代の信徒の長男の娘に当たる方からでした。紅葉坂教会で私の電話を聞いて、電話してきたようですが、私が留守にしていたので、ファックスをされたようです。父が生前私に葬儀をしてもらいたいと言っていたので、その父が召されたので連絡させてもらったという内容でした。折り返しその方に電話しました。すると確かにその亡くなった方のご両親の葬儀や納骨式を私がしていました。亡くなった方にも何度かお会いしていて、その時に「自分の葬儀も先生にしてもらいたい」と言われたかも知れないと思い出しました。葬儀は火葬場の関係で9月27日(火)になるということでした。この日は教団総会の第一日目で私の戒規免職撤回議案がどうなるかが決まる日でしたので、逡巡しましたが、愛する者の死によって悲しむ家族の方々のことを思うと、お引き受けするしかないと思い、お引き受けしました。ということで、9月27日(火)は10;30から東戸塚の斎場でこの方の葬儀式を行うことになりました。
  • 20日(火)19:30から支援会の世話人・事務局会をZoomで行いました。教団総会の中日の28日(水)21:00~22:30に教団総会が行われる池袋のホテルの近くの集会室を借りて、支援会の「全国交流集会」を行ないますので、その準備のためのものです。当日の役割分担と用意する物、集会チラシ配布、その他の確認をしました。私が教団総会一日目の27日(火)には葬儀式司式のために現地に行けないことを、皆さんにお伝えして了解していただきました。いよいよ教団総会です。関田先生からも電話があり、28日(水)の交流集会の挨拶をお願いしていましたので、当日宿泊するホテルの名前と電話をお伝えして、そのホテルで午後5時に待ち合わせすることにしました。その際、先生からは、今度は何とか私の免職撤回議案が上程されるように、総会冒頭の議事日程確認の時に、議長にこの議案を葬らせないようにしなければならない。そのために、もし議長がこの議案を葬ろうとしたら、抗議の声を上げなければならないのではないかと言われました。支援会ではそのつもりでいることをお伝えしました。
  • 22日(木)は天気予報では東京は午後雨でしたが、鶴巻では午前11時ごろ晴れてきましたので、国会前の辺野古新基地反対の座り込みに出かけました。私が座り込みの場所に着いた時には、一人の人だけでしたが、そのうちにいつもの二人の人も来て、この日は四人で座り込みました。官邸前から座り込みの参議院会館前の場所まで歩いて行くときに、道路を群馬県と書いたパトカーが走っていきました。なぜ群馬県のパトカーがこの道路を走っているのか、一瞬分かりませんでしたが、ああ安倍元首相の国葬のためかと、すぐ気づきました。座り込みが終わるころ、すぐ近くで、平和をつくり出す宗教者ネットの方々が、「安倍元首相の国葬反対!」の横断幕を掲げ、マイクでアッピールし、抗議行動を始めました。私は座り込みを終えて、この日は午後6時半からZoomで寿地区活動委員会に出ますので、すぐに地下鉄国会議事堂前に向かい、鶴巻に帰ってきました。二人の方はその平和をつくり出す宗教者ネットの方々の抗議行動に加わりました。
  • 寿地区活動委員会では、主事の活動報告によって、炊き出しの準備に携わっていた人が出来なくなったり、体調を崩す方もあり、炊き出しの担い手が厳しくなっているという現実を知らされました。寿で炊き出しが始まったのは、確か1993年ごろではなかったかと思います。私が紅葉坂教会の牧師になったのが1995年で、当時私は53歳でした。今はそろそろ81歳ですから、炊き出しを始めたころ40代、50代だった人は、現在70代、80代になっています。炊き出しも、最初のころは炊き出しを準備する人と炊き出しにきて食べる人が別々でしたが、ある時期から食べる人の側から準備する人が出るようになっていったように思います。そういう意味で作る人と食べる人という形ではなく、みんなでする炊き出しという、炊き出し本来の姿になっているように感じていました。実際の準備では厨房を担う人の荷が重いと思われますが、その厨房を担ってくれていた人の中にできなくなった人がいるようですので、何とか誰か担ってくれる人が現れることを願っています。
  • この日夜Zoomを終えて、夕食を食べ終わったころ、午後9時少し前に神学校時代以来同級生の中で最も親しい、滋賀にいて、今は牧師を隠退している友人から、支援会の通信第29号他が届いたからと言って電話がありました。私の書いた巻頭言「戒規免職処分から12年!」を読んでの感想を述べてくれました。彼は、私の教団における戒規免職処分の本質は「労働問題」であると言うのです。今回私が巻頭言で書いたのが、私の免職処分は、牧師として教会や伝道所に働いて謝儀を得ることのできる招聘される権利(生活権)の剥奪であり、教団による強制的な牧師隠退であり、更には教団教師からの抹消であるということですが、それを彼は「労働問題」だと言うのです。