なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ことだま ⑴

ことだま ⑴

 

助けてください、わが救い主よ。不安と、困窮のただ中にある者を。

 あわれんでください、わがまことなる神よ。

 わたしは、あなたの子です。

たとえ悪魔や、この世の誘惑や、あらゆる罪が、

わたしに襲いかかろうとも。(讃美歌からの引用)

 

上記の言葉は、今朝読んだボンフェッファーの『主のよき力に守られて~ボンフェッファーの一日一章~』にあった言葉です。この祈りは、キリスト者だけのものではない、すべての人の祈りではないかと、私は思います。人間はみな神の被造物、神の子なのです。私は昨日の礼拝説教で、ヨハネによる福音書4章のイエスサマリアの女の出会いも、イエスというひとりの神の子とサマリアの女というひとりの神の子の出会いとして受け止めました。この二人の出会いは、ユダヤ人である一人の男のイエスサマリア人である一人の女の出会いですが、イエスの側からすれば、男と女、ユダヤ人とサマリア人という、性差や歴史的・社会的関係を超えて、ひとりの神に造られ、命与えられた人ともうひとりの同じ神に造られ、命与えられた人の出会いであったに違いありません。ひとりの人間は誰も、イエスサマリアの女のように、男や女、ユダヤ人やサマリア人という歴史的・社会的制約の下にありますが、それぞれの根は神の子なのです。

上記の神への祈りの言葉の中で、「わたしは、あなたの子です」と言われていますが、この「わたし」はすべての人の「わたし」です。その意味で、この祈りはすべての人の祈りではないでしょうか。その人がその人の魂からのこの祈りを認識していなかったとしても。