なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(574)

船越通信、№574 2023年7月9日(日)北村慈郎

 

  • 2日(日)は礼拝後直ぐに散会しました。この日はヨコスカ・ベイサイド・ポケットで「日本軍慰安婦」の問題を扱った韓国映画「雪道」の上映会があり、私も2時からの部に参加しました。この映画はチラシによれば、「日本劇場未公開」の作品で、日本では今回が初めてのようです。主催は映画「雪道」横須賀実行委員会で横須賀の市民グループ労働組合が賛同団体になっています。「映画『雪道』は、日本軍の『慰安婦』にされた少女チョンブンとヨンエが分ち合った痛みのストーリーであると同時に、老女になったチョンブンと今を生きる少女ウンスの連帯のストーリーだ。現代の韓国社会で追い詰められる少女ウンスと、過去をひた隠しにしてきたチョンブンが、それぞれの痛みを無言で理解し、互いに『あなたが悪いのではない』と声をかけあい、互いに肯定し合う姿」(パンフレットの中の解説から)が描かれています。私はこの2時間の映画を観ながら、自分の気持ちがドンドン重くなるのを抑えることができませんでした。このストーリーの背景にある人間社会を想像していたからです。戦争、国家、軍隊、性差、セックス、貧困、格差等、特に軍隊によって人間が獰猛な動物のような戦争機械に貶められるということ。慰安婦の存在の背後にはそういう人間でなくなった人間がいることを思うと、戦争や軍隊を必要としない世界を創らなければならないということに尽きるように思います。戦時下日本の中でそれを貫いたら、イエスの十字架を負うことになったに違いありません。日本基督教団は国家に対峙できず、国家を補完し、イエスの十字架を負わずにあの時代を生きてしまいました。その中で大変少数ではあっても、兵役を拒否したキリスト者もいたに違いありません。しかし、そういう人間を栄光化したところで、戦争を止められなかった現実は変わりません。今は何よりも日本を再び同じ過ちを犯す国にしてはならないことに全力を注ぐことです。
  • 4日(火)午後6時からZoomによる教区の常置委員会がありましたので、私も参加しました。今回の常置委員会は総会直後でもあり、教師の面接者もありませんでしたので、経費節約もあり、Zoomによる常置委員会になったのではないかと思われます。議論のあった二つの議案について報告しておきます。一つは「教団伝道交付金と伝道方策交付金の申請に関する件」です。これはかつでは教区連帯資金として各教区が負担金を支出して財政の苦しい教区を支援する教区間互助のためのものでした。それが現在の形になって約10年になるかと思います。神奈川教区は各個教会の申請による「教団伝道交付金」は各個教会から申請があれば、教団に申請していますが、教区に交付される「伝道方策交付金」は最初の一回だけ申請しましたが、その後は申請していません。今回もそのようにすることになりました。確か九州教区と神奈川教区の2教区が申請していません。この件に関する教団の運用指針の中には、「・・申請教会に未受洗者配餐等、日本基督教団信仰告白、教憲教規に違反する牧師または教会を加えてはならない」と明言されていますので、それを教区として認めて申請することもできませんし、元々教区連帯資金の時には神奈川教区はその資金を支出するけれども受けてはいなかったからです。教団常議員会でもこの件の再検討の意見がでているようです。もう一つは、「教区総会おけるに教師検定試験の取り扱いに関する件」で、議長は教区として正教師・補教師の二種(二重)教職制について考えていきたいので、二種(二重)教職制についてどう思うかと、一人ひとり名指しして意見を求めました。私は、かつて教団常議員会でも二種(二重)教職制の検討委員会があったが、最終的にまとめることが出来ずに終わっていることに触れ、何故まとめられなかったのかと言えば、私の印象では、戦時下に国家の要請によって出来たこの制度の問題性に検討委員会が踏み込めなかったからだと思うので、この制度を問題にするならば、そこに踏み込まなければならないこと。もう一つは、教会の将来を考えていくと、教職の存在を前提にしない信徒中心の教会の在り方を模索すべきではないかという主旨の発言をしました。
  • 6日(木)はこの日も大変暑い日でしたが、国会の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。この日私は二番目に到着しましたので、比較的早めに準備をすませて、椅子に座っていました。そこに午後2時から参議院議員会館で行われる院内集会に出席するために「キリスト者平和ネット」のIさん夫妻が1時半過ぎに来て、彼としばらく話し合い、午後2時前に院内集会に参加する彼と別れましたが、その時彼はしみじみと国会前で会う教団の牧師は私以外にはほとんどいないと、今の教団の人たちは慰めを受けて満足してしまっているのだろうかと嘆いていました。この日私たちの座り込みが終わる午後4時少し前に、Iさんが参加していた院内集会が終わった宗教者ネットの方々が私たちの座り込んでいた場所で抗議行動を始めましたので、私たちは邪魔にならないように引き上げました。翌日の7日(木)に鶴巻のポストに『時の徴』167号がが届き、それを読んでいましたら、本日の説教で触れさせていただく「聖書随想」と共に、2,3気になる文章がありました。その一つが隠退教師のTさんが投稿した「もう一つの『3・11』(東神大機動隊導入)」です。その中でTさんは、<今の自宅の書棚の片隅に紙袋に入れて大切に保存している古びた小さな冊子(A五版、131頁)がある。『死せる言葉の終焉―-東神大闘争の記録』のタイトルのついた黄色の表紙を開くと、その裏面には何枚かの写真が出ていて、その中央に「東京神学大学に機動隊が導入された非―-1970・3・11」とあり、それぞれの写真に説明が添えられている。/・午後六時四十九分、機動隊・私服計250名学内到着、本館を包囲(当日のテレビ映像より)/・午後七時、屋上に残った三名の学友、無抵抗のまま逮捕される。/・機動隊と共に姿を現わした教授たち。/・午後三時、キャンバス全域が鉄条網と鉄塀で囲まれた。/これが私にとっての(53年前の)「もう一つの3・11であり、この冊子はその事実の記録に他ならない>とあり、改めて東神大の神学の死を意味する機動隊導入を想い起こしました。