なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

永眠者記念礼拝説教(「故郷を探し求めて」ヘブライ人への手紙11:1-4,13-16)

11月5(日)降誕前第8主日(永眠者記念)礼拝                  

 

(注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。」

詩編100:1-2)

③ 讃 美 歌  18(心を高くあげよ!)

https://www.youtube.com/watch?v=tLfI2duIIe0

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編23編1-6節(讃美歌交読文25頁)

⑥ 聖  書  ヘブライ人への手紙11章1-4,13-16節(新約414頁)

           (当該箇所を黙読する)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌    382(力に満ちたる)

https://www.youtube.com/watch?v=sNtz20zun14

⑨ 説  教   「故郷を探し求めて」       北村慈郎牧師 

  祈  祷

先程読んでいただいたヘブライ人への手紙11章には、4節後半に「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」と言われていますように、既に帰天している人々が、死んでも信仰によって今も語っていると言われているのであります。今日は永眠者記念礼拝ですから、既に帰天された方を持つご家族の方もこの礼拝にいらしていますが、このヘブライ人への手紙の著者が言うように、死者が信仰によって今も語っているということを、ヘブライ人への手紙の著者と同じように思われているでしょうか。

 

ヘブライ人への手紙によれば、信仰を持ってこの地上の旅路を歩み終えた者は、神が備えてくれている天の故郷に帰って、証人となって、今この世で信仰の旅路を続けている者を見守ってくれているのだというのです。ヘブライ人への手紙の著者は、アブラハムモーセをはじめ旧約の多くの信仰の人の名を上げて、12章の1節以下でこのように語っているのであります。「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(1-2節前半)と。

 

最近私は、若松英輔の『内村鑑三 悲しみの使徒』という岩波新書を読みました。その本の第2章は「死者」という表題が付いていて、内村が経験した自分の妻の死とその後再婚した妻との間に与えられた19歳で病死した娘ツルの死について、内村がどう受け止めたのかということが書かれています。今日はこの説教で、最初の妻の死について内村がどう受け止めたのかを、若松の記述を紹介する形でお話しさせてもらいたいと思います。

 

内村鑑三は1881(明治14)年21歳で札幌農学校を卒業し、1894(明治17)年24歳でアメリカに行き、1889(明治21)年28歳で帰国し、その翌年1889(明治22)年29歳で横浜かずと結婚します。1890(明治23)年30歳で第一高等中学(のちの第一高等学校)嘱託教員となり、その翌年1891(明治24)年1月9日、31歳の時に、第一高等中学校の教育勅語奉読式で「不敬事件」を起こし、同年2月に同校を退職し、同年4月に妻かずが帰天しています。

 

内村の不敬事件は、新聞でも広く報じられ、人々は「不敬漢」「国賊」と内村に罵声を浴びせました。騒動はあまりに大きくなり、内村は外出もままならないほどだったようです。当然、その累は家族の生活にも及びました。自宅に投石する者もいました。なかには家に上がりこんで放尿する者まであった、と鈴木範久の『内村鑑三の人と思想』に記されています。/…事件後、内村はインフルエンザに罹患し、病床にありました。その後内村は一高の教師の座を追われることになります。このとき内村は、病状が悪化し、意識不明でした。辞表は彼が知らないところで提出されていたのであります。

 

「不敬事件」による、ほとんど迫害といってよい出来事を、彼女(妻かず)は、病に倒れた内村を看病しつつ、全身で受け止めました。過労から病に倒れ内村を看病していた彼女は、内村が健康をとりもどした1891年4月19日に亡くなっています。二人の結婚生活は二年に満たないものでした。

 

1893年の二月に内村は、『基督教徒のなぐさめ』(警醒社書店)を刊行します。この著作で内村は、妻の死とその後の彼女との交わりを詩情豊かな、しかし、じつに切なる言葉によって描き出しています。この本は全6章からなりますが、その最初は「愛するものの失せし時」です。「愛するものの失せし時」の最初に内村は、<これまで自分は死を知っているつもりでいた。それは生物の生命活動の停止を意味すると思っていた。また、死と死後のあり方をめぐって人々の前で講演をしたこともある。しかし、愛する者を失い、それが、まったく次元の異なるものであることを、身をもって知った、と告白>しています。また、生命とは愛それ自身である。愛する者を失うことは己を失うに等しい、と内村は書いていのですます。ここに一切の誇張はありません。彼は伴侶を失い、ある時期、自己を見失うほどの悲痛のなかに生きねばならなかったのです。

「愛するものの失せし時」では、「余はなお今世の人なれどもすでにこの世に属せざるものとなれり」とも記しています。/肉体は現生にある。しかし、その魂は、愛する者を追って來生に赴かざるを得ない。そうした衝動と彼は幾度闘わねばならなかったのでしょう。魂は来生に生きている、と内村は言おうとしているのではありません。彼がそう感じていたなら、この本が生まれることはなかったに違いありません。現生に生きる気力を失い、來生にたどり着くこともできない。行く当てのない魂の彷徨する歳月を彼は、短くない期間生きねばならなかったのです。「余が宇宙の漂流者となりし時」と内村は書いています。宇宙は内村にとっては生ける神を示す言葉であり、妻の死は、彼にとって愛する者の喪失だっただけではありません。それは神を、「宇宙」とのつながりを見失う経験でもあったのです。

 

病に倒れつつある妻を見ながら内村は、あらん限りのおもいをこめて祈ります。だが、妻の命は彼の手をすり抜けていくようにこの世を後にしました。人間の魂は不滅であるという神学上の事実は彼の痛みを和らげません。「彼は死せざるものにして、余は何時か彼と相会することを得るといえども、彼の死は余にとっては最大不幸なりしに相違なし」と内村は感じます。「彼」とは亡き妻を指します。万人がそうであるように妻もまた不死であります。いつの日が再会することがあるとわかっていても、彼女の死が最大の不幸であることには変わりありません。

 

妻が死んだのはお前の祈りが足りないからだ。「熱心」に祈りをささげて、病が治った例があることをお前も知っているだろう。お前が妻を殺したのだ、という「悪霊」の声がすることもありました。「余は余りの愛するものの失せしより、数月間、祈祷を廃したり」と内村は書いています。祈る熱情において彼が人後に落ちることはありません。「祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしには枕に就かじと堅く誓いし余さえも、今は神なき人となり」、食前に祈らなければ箸も手に取らず、祈らなければ枕に頭をつけることもないと固く誓った自分だったが、愛する者を失って、「神なき」者となった、というのです。/さらに内村は「恨みをもって膳に向い、涙をもって寝所に就き、祈らぬ人なるに至れり」、どこにも向けようのない恨みと共にひとり食し、涙のままに眠りに就く。ついに祈りなき者になったと述べています。

 

「神なき人」と「祈らぬ人」がほとんど同義だといってよいほど、内村にとって祈りは信仰生活の中核でありました。だが、あるとき内村は、自分が信じていた祈りの世界観が一新されるような経験をします。/…/願いは、自らのおもいを神に届けようとすることであり、祈りは、神の「声」を聴くことであると内村は気が付きます。熱心に願えば願うほど、神の声が聴こえにくくなることもあります。神の声を聴こうとする者は、まず自らのおもいを鎮め、沈黙を招き入れなくてはなりません。神はしばしば、無声というもう一つの言葉によって心の奥、内村がいう「霊」に直接語りかけて来ます。

神と対話する道を封じられた彼は、ある日、妻の面影を追って墓所へ行きます。掃除し、花をたむけ、祈ろうとした瞬間でした。「細き声あり――天よりの声か彼の声か余は知らず――」と内村は書いています。どこからともなく声ならぬ「声」が確かに訪れます。「汝何ゆえに、汝の愛するもののために泣くや、汝なお彼に報ゆるの時をも機(おり)をも有せり」と「声」は言います。愛する者に報いる機会が永遠に失われたと思って泣いているのか、どうしてそのようなことがあろうか、というのです。/さらに「声」はこう告げます。//彼女が、病に倒れるほどにお前に尽くしたのは、お前から報いを得るためではなかった。むしろ、お前が全身全霊をもって神と祖国に誠実を尽くすことができるようになるためである、というのです。//もしお前が私に報いようと思うなら、この国とその民につかえよ。家を失い、路頭にさまよう老婦は私である。私に尽くしたいと願うなら、貧しき生活にあえぎ、その身を辱めのなかに沈めている、いたいたげな少女は私である。私に尽くしたいと願うなら、彼女を救え。また、早くに父母と死に別れ、頼る者なき少女は私である。彼女を慰める者は、私を慰める者となる。亡き妻は、弱き者、助けを必要としている者の姿をしてこの世によみがえり、内村と交わるのを待っている。悲嘆にくれ、後悔を繰り返していてはならない。いますぐに家に帰り、心を磨き、信仰を深め、愛と善を行ない、日々格闘しながら、いつの日が霊の国に来るときには、あまたの不可視な宝物と共に来て、私と私の主を喜ばせよ、というのです。

 

妻は――妻を通じて語る神は――助力を必要とする者がいるところにいる。そういう人々と生きようと何かをするとき、その行ないは見えない供物となって妻のところに届くと内村は信じた>のです。………仏教では、向上道、向下道の二道があると説きます。向上は、一個の人間が大いなる智慧を求めて道を究めること。向下は、大智にふれた者がそのはたらきを大悲へと変貌させ、人々の生きる悲しみや苦しみに共に向き合おうとすることを指します。生涯に幾つもの山を越え、山を下らねばなりません。だが、人は熱心なあまり向上の道だけを強く求めることがあります。妻の死は、内村に向下の道があることを教えました。/国、宇宙、神を喪失したかに思えた出来事は、それらとより深く交わるための道程だったのです。同質のことは妻との関係にもいえます。あるときは彼女の姿を遠く彼方の場所に求めました。しかし、彼女は自分よりも自分に近い場所にいることに気が付きます。…/愛する者の肉体はこの世から失われることによって、彼女と自分の心は一つになった。死とは、肉の次元においては別離だが、心の次元においては新たな交わりの始まりになると内村は強く実感します。独りで歩もうとする向上の道は終わった。向下の道を歩く内村には常に妻という、協同する不可視な隣人がいます。/さらに彼はこの本に、死者の世界はすでに「無知の異郷」ではない。愛する人が待つ「家」である。この世に生きるとは、疲れを癒す家路を歩くことにほかならない、と書いています。

 

今日は永眠者記念礼拝で、私を含めて愛する者と死別の経験をしておられる方もおられます。内村鑑三の死別した妻との関係は、私たちにも大きな問いかけであり、また私たちの死別した愛する者との関係を考える参考になるのではないかと思い、若松英輔の本の当該箇所を紹介させていただきました。

 

<亡き妻は、弱き者、助けを必要としている者の姿をしてこの世によみがえり、内村と交わるのを待っている。悲嘆にくれ、後悔を繰り返していてはならない。いますぐに家に帰り、心を磨き、信仰を深め、愛と善を行ない、日々格闘しながら、いつの日が霊の国に来るときには、あまたの不可視な宝物と共に来て、私と私の主を喜ばせよ、というのです。>というところと、<愛する者の肉体はこの世から失われることによって、彼女と自分の心は一つになった。死とは、肉の次元においては別離だが、心の次元においては新たな交わりの始まりになると内村は強く実感します。独りで歩もうとする向上の道は終わった。向下の道を歩く内村には常に妻という、協同する不可視な隣人がいます。/さらに彼はこの本に、死者の世界はすでに「無知の異郷」ではない。愛する人が待つ「家」である。この世に生きるとは、疲れを癒す家路を歩くことにほかならない、と書いています>というところを読んで、私自身は帰天した連れ合いをはじめ、ここに写真のあるこの船越教会に関わりのある既に帰天されている方々との関係を、新しく見直すことができて感謝しています。

 

今日はそのことを皆さんと共有することができればと思いました。

 

お祈りいたします。

  • 神さま、今日も礼拝を行うことができ、この礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 今日は永眠者記念礼拝です。今回2人の方、私たちの教会の代務者を引き受けてくださっていました関田寛雄先生と敬愛する長澤正義さんが帰天され、新しく天の仲間に加えられました。天に在る方々が、あなたの下にあって平安の内にありますように。
  • 神さま、今日は内村鑑三の亡き妻との関りを学ぶことによって、私たちは、既にこの地上の生涯を終えて、天上にある、愛する死者たちと、ただ別離しているのではなく、生前とは違う新たな交わりを生きていることを教えられ、感謝いたします。どうぞ私たちが既に帰天した愛する者と共に、「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら走り抜くことができますように」、私たちをお導きください。
  • ロシアとウクライナとの戦争も、パレスチナイスラエルとの戦争も、速やかに停止するように、神さま、どうかお導きください。軍備を保持し、拡大するので、戦争が起こります。軍備がなければ戦争はおきません。神さま、どうかもう一度私たちの国を、交戦権を放棄した憲法9条に立って、世界に平和をもたらす働きができるような国にしてください。
  • 貧困や差別によって苦しむ人々を助けてください。そのために貧困や差別を作り出す国や集団や個人の驕りを打ち砕いてください。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩    385(花彩る春を)

https://www.youtube.com/watch?v=LTzbghJxU3I

⑪ 献  金 

⑫ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります.