なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(589)

船越通信、№589、2023年11月5日(日)北村慈郎

  • 10月29日(日)の礼拝には、耳の不自由なOさんと、学校から教会の礼拝に出席するように勧められて、N・Jさんのお孫さんが出席しました。N・Jさんのお孫さんが船越教会の礼拝に出席することは、前週の日曜日のスタンディングの時に聞いていましたので、私はこの日の説教を出来るだけ平易に語るように心がけました。この日は礼拝後、12時30分から平和と人権を考えるDVD鑑賞会(「関東大震災朝鮮人悲劇はなぜ起きたのか」ETV特集2016年9月3日放送/59分)を行なうことになっていましたが、役員会でこの日の昼食の準備を話し合っていなかったために、急遽N・Kさんがおにぎりを買ってきてくださいました。次回からは注意したいと思います。昼食の前に私はいつものようにOさんから二三質問を受けて、筆談でそれに答えました。その後OさんもDVD鑑賞会に出席しましたので、一緒にみなさんと集会室でおにぎりをいただきました。DVD鑑賞会には、礼拝出席者8名の他に2名の参加がありましたので、10名でDVDを鑑賞しました。チラシの解説を下記に転載しておきます。<1923年の関東大震災。混乱のなか流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された。その数は6000人とも言われる。悲劇はなぜ起きたのか。/中央防災会議は2009年に国の機関として初めて事件を分析、報告書にまとめた。それによると軍や警察、新聞も一時は流言の伝達に関与していた。また裁判記録の研究が進み、自警団などが殺害に至った経緯も明らかになってきた。/番組では、司法省の一次資料や、民間の聞き取り調査による実際に虐殺に加わった人や虐殺を見聞した人々の証言や手記などをもとに、朝鮮人虐殺事件の実態に迫ると共に、事件が起こった社会的背景をも探っている。/その中で、震災2日後の9月3日の夜、姜大興(カンデフン)(当時24歳)さんが、片柳村染谷地区(現在のさいたま市見沼区染谷)に迷い込み、翌4日未明、地元の自警団に惨殺された事件の概要と、その後、住民の手で地元の常泉寺に「朝鮮人姜大興」と刻まれた墓石が建立された経緯が紹介されている>。関東大震災では朝鮮人だけでなく中国人も虐殺されています。虐殺のきっかけは震災時における流言飛語によるものでしょうが、その背景には朝鮮人や中国人に対する無理解と差別があったからだと思われます。特に朝鮮人に対しては日本の植民地支配の影響が大きかったと思われます。私たち人間は対等な関係で同じ仲間であると思う他者を、例え災害時であっても助け合うことはあっても虐殺することはあり得ないのではないでしょうか。1995年の阪神淡路大震災の時に、神戸の長田町などの公園で被災した者同士が大きな家族のような助け合いの生活をしていたことが報じられていましたが、対等な人間関係にある者同士ではそうなるのが自然ではないかと思うのです。他者に対する無理解と差別が虐殺を引き起こすことは、最近教区のヤスクニ・天皇制問題小委員会発行の「神奈川ヤスクニニュース」(9月27日発行、復刊第52号)で、寿日雇労働者組合の近藤昇さんが、「40年、100年」という記事で書いている通りだと思います。そこにはこのように述べられています。「今年は2023年、節目の年だ、40年前の1983年は横浜市内で少年たちによる野宿者への襲撃があり、三人が命を落とした事件の時である。一方100年前の1923年は関東大震災が起こった年であり、確定されてはいないものの6000人とも言われる朝鮮人、600人の中国人と日本人社会主義者、労働活動家同労者が軍、警察、自警団によって虐殺された、決して忘れてはならない事件である。この二つの事件には差別襲撃によって人が殺害されたという共通点がある。植民地支配によって日本への渡航を余儀なくされ、あるいは強制連行されて来、日本を生活の場所とせざるを得なかった朝鮮の人びと、そして一方、中学生たちに「ゴミを掃除した」として襲撃された野宿者たち。…」と。DVD鑑賞会後、皆さんが散会した後、私も後片付けをしてから、この日も京急田浦駅まで歩き、鶴巻に帰りました。この日は娘も鶴巻に来ませんでしたので、一人でのんびり過ごしました。
  • 1日(水)には、何か月ぶりに鶴巻の田んぼの間を走る道路を歩いて、5000歩弱でしたが散歩しました。今年は7月から猛暑になりましたので、自転車では何回か田畑のある所まで行きましたが、歩いて散歩に出たのはそれ以前だと思いますので、本当に久しぶりでした。ウクライナパレスチナのガザでの戦争による都市の建物の破壊や、そのために死ぬ人や傷つく人や苦しむ人々の映像をテレビでくり返し観ていますので、広がる田畑と遠景としての大山から箱根の山々まで広がるパノラマを見ながらの散歩は、地球世界にはこのような風景が広がっているのだということに、改めて気づかせてもらいました。戦争はこの素晴らしい自然の破壊でもあるわけですから、絶対にしていけません。
  • 2日(木)は国会前辺野古基新基地建設反対の座り込みに行きました。この日も暖かな日でしたが、街路樹の銀杏並木の葉が少し黄色に色づいて来ています。しばらく前までは銀杏が道路に散乱していましたが、今はほとんど道路には銀杏は見当たらなくなりました。季節は確実に移り変わりつつあります。この日も人通りは多く、地方からの陳情団と思われる背広姿の一団が何組も、辺野古新基地建設反対を訴える横断幕などが貼られた道路の石壁に目をやりながら、私たちの前を通っていきました。午後4時少し前から片づけて、午後4時には帰途につきますが、この日は代々木上原まで地下鉄で来て、小田急が人身事故で途中止まりでした。そこで代々木上原で下車して早夕食を食べ、開通した小田急で午後6時半過ぎに鶴巻に帰ってきました。
  • 4日(土)は、午前10時半から蒔田教会礼拝堂で始まる教区の宣教方策会議に出席しました。この日の宣教方策会議では、2024年度の神奈川教区活動基本方針および活動計画案と各地区(5か所)、各部・各委員会(31)の2024年度の活動計画案(予算案も含む)を担当委員長の出席の下に協議をし、そこで修正などがあれば修正を施し、了解したものを宣教部委員長が12月の常置委員会に議案として提出し、常置委員会の承認を得て、2月の教区総会の議案とするのです。今年もほぼ原案通り承認されました。この日の宣教方策会議は正午ごろ終わり、私はそのまま船越教会に来ました。