なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

人間としての軸

今は子どもたちの間にコマ遊びを余り見かけない。

私の小さかった頃は、お正月にはよくコマを回して遊んだものだ。そのコマは木で出来ていて、小さいのから大きいのまでいろいろあった。それとは違うが、その頃鋳物でできた小さなベーゴマ遊びもよくした。これは遊びではあるが、バケツにシートを張って、その上でお互いのベーゴマを戦わせるというものである。そしてそのシートから出されたベーゴマは、出したベーゴマを持っている子どもがもらえたのだ。だから沢山のベーゴマを持っている子どもがいた。大抵そういう子は、そのベーゴマ遊びに加わる仲間の中では年長で、仲間の子どもたちをしきっていることがよくあった。私は、それほど強くはなかったので、そういう子どもがうらやましかった。

さて、コマが回転よくまわるためには、中心の軸がしっかりしていることが大切である。軸がぶれていると、回ることは回っても、すぐ止まってしまうからである。

このことは、我々人間にも言えることではないだろうか。軸がぶれないで、しっかりしているときには、相当な困難に出会ったとしても、その人はその困難を乗り越えていくに違いない。しかし、軸が曖昧であったり、しっかり定まっていないで揺れ動いている場合には、困難に出会うと、その人は人間としても崩れてしまいかねない。

エスという方は、信仰によって神と格闘し、神のみ心をご自分の心とする人間としての軸をしっかり持ち、その生涯を全うされた方のように思えてならない。被差別者には優しく、支配者、権力者には厳しく、己の信じる道に従って。

聖書を読むと、そのイエスが「わたしに従ってきなさい」と私たちを招いている。