なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

カインとアベル

旧約聖書の創世記というところにカインとアベルという兄弟の物語がある。ちょっとその物語を想い起こしてみよう。

カインとアベルは最初の人間アダムとエバの子どもである。カインが兄でアベルが弟である。カインは土を耕す者、つまり農夫であった。アベルは羊を飼う者、つまり牧夫であった。

カインは土の実りを神さまの供え物とした。アベルは羊の群れの中から肥えた初子をもってきた。神さまはアベルの供え物には目を留められたが、カインのものには目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せたと言う。

この世の中には不条理で不公平としか言いようのない現実がある。たとえば、健康で頭がよく家族にも恵まれ、財産も十分あるという人がいる。一方何故自分にだけこんなに不幸が重なるのかと嘆いている人もいる。震災で家族も失い、家も焼け、一人ぼっちになってしまっただけではなく、自分も癌になり、苦しまなければならないというようにである。

もし不幸な人が幸福な人をねたみ、意地悪をしたとしよう。たとえば幸福な人に一人息子がいたとする。不幸な人はその幸福な人の一人息子を誘拐、殺害してしまったとしよう。それは、兄カインが弟アベルを、野原にさそい出し、アバルを襲って殺したというのと、ほとんど変わらないのではないか。

カインの過ちは何か?これは、すごく大切な問題である。カインの供え物ではなく、アベルの供え物を目に留められたのは神である。とすれば、カインは、神に問うべきである。なぜか?と。カインは自分が納得できるまで神に問うべきだった。しかし、カインはそうせず、自分の怒りを弟アバルに向け、アベルを殺してしまった。

自分の怒り、憤りをぶつける対象を間違えると、とんでもないことが起こる。カインとアベルの物語は、そのことを私たちに警告しているとも言えるのではないか。