なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

まなざし

3月末までには米軍再編との関わりで日米の協議があり、何らかの結論がでるものと思われる。日本の側の決定が揺れ動くので、ラムズフェルドはいい加減頭にきているのではないかと思うが、日本側で決めたことをしっかり実行してもらいたい、と言っているようだ。

普天間基地の返還が日米間で決まってから10年が経つ。代替施設として辺野古ヘリ基地建設が反対にあって出来なかった。大浦湾を埋め立て、海上ではなく、辺野古岬と陸続きに基地を作る計画が新たに出ている。それも3月末までに開かれる予定の日米間協議で決まることになっている。もし決まったとしても、辺野古ではまた新たな反対運動が起こるだろう。そしてその反対運動を全国の心ある人たちが支援するだろう。

グローバリズムアメリカの世界戦略の片棒を担いでいる現日本政府には、自分たちの海に基地を作ることを反対しているおじい、おばあの気持ちは理解できないだろう。大昔の自分たちの先祖から今に至るまで、海の恩恵を受けて命をつむいできた辺野古のおじい、おばあにしてみれば、その海を埋め立て基地を作り、その基地から人殺しのために米軍が世界のどこかに飛び立っていくことを想像しただけでも、絶対に基地は作らせてはならないと思うのは当然ではないか。

日本政府は、残念ながらそのようなおじい、おばあの思いを大切にし、おじい、おばあの目線で物を考え実行するという視座を持ち合わせていない。日本政府の目はアメリカのブッシュを見ていたり、海外に工場を持つ大企業の思惑を気にして、民衆に犠牲を強いることに何の痛痒も感じないかのようだ。

そのような日本政府のまなざしと、おじい、おばあのまなざしが衝突したのが、辺野古である。そしてこれまでは、おじい、おばあのまなざしを支持する力が、非暴力抵抗によって日本政府のまなざしを押しとどめてきた。すごいことだと思う。

これからどうなっていくか分からないが、おじい、おばあのまなざしの延長線上にこそ、われわれの未来があることは確かだろう。

新約聖書ヘブライ人への手紙の一節を想い起こす。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(11章1節)。