なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

青空が見えた瞬間

A) 島泰三の『安田講堂1968-1969』(中公新書)を読んだが、1969年というと、ほくが神学校を出て、
東京の足立区の教会の牧師になった年だった。もうかれこれ40年前になるねえー。

B) 若かったわね。あなたが27歳、わたしが25歳だったわ。

A) そうだねえ。『安田講堂』を読んで、東大全共闘議長だった山本義隆が、ちょうどほくと同じ27歳だったのを知って、ちょっとショックだったねー。安田講堂に立てこもって機動隊とやり合った東大生は、法学部なら官僚への東大卒業によって開かれていた将来の道を断念して、闘争にかけたのだ。そして、その闘争によって命を落とすかもしれないと、覚悟を決めてもいたようだ。

B)男の人って、命をかけて戦うのが好きなんじゃない・・・。

A)男だけとは言えないと思うよ。少数だが安田講堂の中には女性もいたそうだから。この本を読んでみて、ちょっとだけど、全共闘の人たちの心が分かったように思えたねえ。人間の尊厳への覚醒が、彼ら彼女らを動かしたのではないかなあー。

B)そうなの?

A)そうだと思うよ! この本の最後で島泰三はこう書いているんだ。

  「日大闘争と東大闘争に牽引されて全国の大学や高校で起こった青年たちの叛乱は、突然現れ、そして消えてしまった泡のようなものだったのだろうか? そうではない。あれは日本文化にかけられた呪いが一瞬破れて、青空が見えた瞬間だった。青年たちは、自分たちにかけられた呪いに気づいたのだった。」

B)呪い?

A)島は「受験戦争はもっとも過酷なやり方で個々人の心を殺していく、日本社会が開発したもっとも強力な洗脳システムだった」と言い、「受験戦争というこの人間的な感性の削り落とし競争が、ただ無意味でただ過酷なだけの洗脳過程であることに、日本の青年たちは、この瞬間に気づいたのだった」と。

B)それはわたしも分かつわ!

A)「だが、この青年たちの覚醒は、彼ら自身があまりにも未熟だったために、また対象としたものが日本社会とその文化全体にかかわるものだったために、未消化なままに終わった。大学当局の背後から政府がその暴力装置である警察機動隊をひっさげて青年の叛乱の圧殺に乗り出してきたとき、生身の青年にはその攻撃に耐えるすべはなかった。・・・この大弾圧のあと、青年たちはふたたび旧来の日本社会と日本文化の呪縛のなかにからめ取られることになる。また、その後の政府や教育機関医療機関のあらゆる努力は、この呪いをもう一度日本文化に覆いかぶせることに注がれ、あの1968・69年の覚醒の瞬間がなかったことにすることに成功した」と。

B)何となくわかる気がするわ!

A)「青空が見えた瞬間」があの1968・69年だったと考えると、ぼくにも納得できるように思うね。ぼくは自分の中では、今も青空が見たくて生きているようなものだから・・・。