なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

結婚準備(その1)

         また、このブログの書き込みを再会します。
         昨日(429日)は休日でしたが、結婚式を挙げる二組のカップルと別々に準備の時を持ちました。
・ 私は、結婚式の司式を頼まれると、そのカップルと通常3回か4回くらい、準備の 時をもっています。一回目は  最初の打ち合わせで、申し込み用紙に二人の名前 を書いてもらい、結婚式の日時や費用などの確認をします。2回目と3回目には、オ ルガニストをどうするかとか、讃美歌は何番を歌うとか、お花はどうするかとか、 細かな打ち合わせをしますが、その前に聖書のお話をするようにしています。
・ 聖書のお話の一回目は、創世記1章、2章に書かれています、二つの人間創造の物語 についてします。
         第1の物語は「神は御自分にかたどって人を創造された。/神にかたどって創造された。/男と女とに創造された。」(創世記127節)です。
         2の物語は、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記27節)。このアダムが「独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者をつく造ろう」(218節)と神は考えて、アダムを深い眠りに落とされ、彼のあばら骨を取って、それで女を造り上げたというのです(221節以下)。
         この二つの人間創造物語から、私は、大体以下のように二人に話します。
・ 人間にとって「神のかたち」とは、私たち人間が全て一人一人、神との関係によ
って存在させられていることを意味する。その意味で、人間は誰も神から呼び出さ
れ、神に応えて生きるもので、その尊厳は他の誰によっても侵害されないというこ
と。妻は夫によっても、夫は妻によっても。ですから、二人はそれぞれ異質で独立し
た人格であると。
・ 人間は「土の塵」で形づくられたはかない存在であること。でも、その鼻に神によって「命の息」を吹き入れられて「生きるもの」となったこと。その生は、神に生かされて生きるものであるということ。
・ ところが、神を差し置いて自分中心になると、その人の生も的外れになって、神に逆らい、神が与えてくれた隣人である他者(夫は妻を、妻は夫を)を傷つけてしまうこと。
・ 妻も喜んで生き、夫も喜んで生きる、助け合う相互の関係の豊かさは、自然に生まれるというよりも、創造的な業であること。依存的な関係ではなく、お互いの違いを丁寧に突き合わせながら、気づ合いによって、二人の共有する世界を生涯をかけて創造すること。
・ だから、結婚の祝福は約束の祝福であるということ。その祝福を味わうことができるかどうかは、2人次第であること。もし二人が結婚という関係に逃げずに自分をかけていくなら、きっと神さまはその祝福を与えてくださるであろうと。
以上が第1回目の聖書のお話です。第2回目は次回をお楽しみに!