なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

人の生と死

 先日87歳で帰天された方の葬儀式をし、その前夜式と葬儀式でしたお話の要約を、このブログでも紹介させてもらいました(57日、8日のブログ)。実はこの方の葬儀式がありました7日の翌日にも、私は一人の方の葬儀式を、新宿から京王線八幡山という駅前にある小さな葬祭場でいたしました。
 
 74歳で帰天した女性の方の葬儀です。この方は、私が牧師をしています教会でキリスト教主義の女学校に通っていた中学生の頃に洗礼を受けました。その後結婚して30歳の頃、流産が契機となって心の病を発症し、離婚してご両親と共に生活しておりました。ご両親もお亡くなりになった後は、ホームでの生活が10年ほど続き、その間弟さんのご家族が彼女のお世話をされました。
 
 9日の日に弟さんのご家族とホームの方他数名で葬祭場の部屋で葬儀式を行い、火葬場に行く途中、彼女が10年間過ごしたホームに寄り、職員の方々とお別れしました。東京の火葬場はあわただしく、隣でお経を唱えるお坊さんの声を聞きながら、聖書を読み、祈祷して、火葬いたしました。収骨した後、葬祭場に戻り、そこで私は失礼しました。教会に戻ったのは午後5時過ぎでした。
 
 私は、現在牧師をしている教会に1974年から1977年まで伝道師をしていたことがあります。その頃、この方はお母さんと一緒に礼拝によく出席していました。心病んでいることが分かりましたので、声をかけることはありませんでしたが、気にはなっていました。1995年にまた今の教会に牧師として働くようになってから、毎年この方の誕生日にはカードを出していました。最近は弟さんから誕生カードのお礼と姉になるこの方の近況報告を葉書でいただくようになっていました。
 
 自分で選んだというわけではなく、その中途から心病んで、自分の生存を家族や周囲の方々に委ねて、74年の生涯を歩み終えられたこの方の人生を想うにつけて、私は、自死を選ぶ人のことを改めて考えさせられています。というのは、名古屋時代、教会で関わったことのある40代前半の3人が、この1年半の間に自死しているからです。
 
 人の死については何も言えませんが、私は、どんな形にしろ、命ある限り生き続けたいと思っています。