なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

小さな声

私たちが属する日本基督教団というところでは、昨年「日本伝道150年」ということで、イベントが行われました。日本基督教団創立記念日に当たる6月24日に記念の集会が行われ、11月23日に記念式典が行われました。しかし、この記念イベントについては、企画のときから問題があるという声があり、沖縄ではベッテルハイムの伝道が150年より前の163年前に行われていますので、日本伝道150年という区切りからをすると、沖縄を切り捨ててしまうことになるのではないかという声です。これは日本基督教団の中では小さな声でした。同じ仲間の小さな声は、日本基督教団では大きな日本伝道150年という声によって全体としてはかき消されてしまいました。
 
私たちの中では、たとえば100人いるとしますと、90人からでる大きな声が10人から出る小さな声を圧倒します。小さな声は無視されて、大きな声が取り上げられます。それが多数決で民主主義にかなったことと考えられています。たしかに何かを決める時には、多数決で決めなければなりません。ところが多数決では決められないこと、決めてはならないこともあります。たとえ少数であっても、その声を聞き、受け止めなければならないことがあるからです。教会は人々によって無視されがちなそういう小さな声にむしろ耳を傾けていくところではないでしょうか。
 
使徒言行録16章1節以下は、パウロたちの二回目の伝道旅行で、出発して間もない頃の出来事が記されています。ここには最初予定した場所を二度変えたことが記されています。6節と7節にそのことが記されています。「聖霊から禁じられて」(6節)、「イエスの霊がそれを許さなかった」(7節)と言われています。「それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けて下さい』と言ってパウロに願った」というのです。パウロはこの幻で一人のマケドニア人の「・・・わたしたちを助けてください」という小さな声を聞いて、その声をマケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が自分たちを呼んでいると、確信するに至ったというのです。ここで「助けてください」と訳されている言葉は「ボエーセオー」という言葉ですが、ボエーは叫び、 セオーは走るという二つの言葉がくっついてできた言葉です。玉川直重さんは「悲鳴を聞いて駆け寄る」と訳しています。それが「助ける」ということです。そこで福音の宣教、つまり伝道が行われるというのです。この福音宣教には「善きサマリア人」の業が伴っていると言えるでしょう。むしろそういう「悲鳴を聞いて駆け寄る」という善きサマリア人の業が伴っていないような福音宣教は、福音宣教とは言えないということでしょう。

 この「助ける」という言葉は、娘が悪霊にひどく苦しめられているカナンの女が、イエスの前にひれ伏して、「主よ、どうかお助けください」と言った言葉と同じです。また、同じ霊にとりつかれていた子どもを持つ「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と言った父親が、最初にイエスに願って言った言葉が、「・・・おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」です。この「助ける」という言葉も同じです。これらのことから、「助ける」ということは、いろいろな痛み、苦しみを持つ人々の「悲鳴を聞いて駆け寄る」ことであるということが分かります。
 
「・・・・私たちが社会の周辺にいる人々に手を差し伸べることに精根を傾ける時、取るに足りないことから始まる仲違いや、不毛な議論、やる気をなくさせる対立などは影を潜め、少しずつ消えていくものだということを発見するに違いありません。私たちの関心が、私たち自身から離れ、私たちの心を向けるべき人々の方へ移る時、教会は常に新しくされていくでしょう。イエスの祝福は、常に弱い立場の人々を通して私たちのところに届きます」(ヘンリ ー・ナウエン)。

 ですから、沖縄の人々の痛みを無視して日本基督教団の福音宣教=伝道はありえないのです(6月23日は「沖縄慰霊の日」です)。