なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

出発点としての言葉

 私は『谷川俊太郎の問う言葉、答える言葉』を愛読書の一つにしています。時々答えのなかなか見出すことのできない問いにぶつかり、立ち止まってしまうときなど、この本を読み返してみます。目次よりも前にあるこの本の最初の言葉は、「世界が問いである時答えるのは私だけ私が問いである時/答えるのは世界だけ」です。
 
谷川俊太郎は詩人です。詩人と画家は仲間ではないかと私には思えます。一枚の絵を鑑賞するのと一つの詩を読むのとには、共通する何かを感じています。難解な絵があるように、難解な詩もあります。けれども谷川俊太郎の詩は平易です。平易ではありますが、どんなな詩にも、読む者を立ち止まらせる何かがあります。この本は、谷川俊太郎自身が作ったものではなく、谷川俊太郎の書いたもののうちから、本田道生という編集者が選んで編集したものです。この本の「あとがき」で谷川俊太郎はこう書いています。「言葉は現実という巨大な氷山の一角に過ぎないと私は思っています。言葉は矛盾を嫌い、現実を整理整頓しがちですが、どんなことでも一言で言い切ることは出来ないはずです。言葉はいつも出発点で、そこから私たちは他者へ、また世界へと向うのです。」と。
 
「空の青さをみつめていると/私に帰るところがあるような気がする」。「私も今では世間並みに空を見ていて、空の時間と自分が現実にこの世で暮らしている時間が、どこかですれ違っているような気がしています」。この言葉のように、谷川俊太郎の詩の言葉は、自分へと閉塞しがちな私たちのからだと心を他者へ、世界へ向けて開いてくれます。
 
私は信仰にも同じようなものがあって、イエスを信じ、神を信じるときに、人は関係へと開かれていくのではないかと思っています。