なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

沖縄の心

6月23日は、「沖縄慰霊の日」です。沖縄戦は、先の大戦において日本国内で住民を巻き込んだ唯一の地上戦であり、大本営にとっては当初から本土防衛の準備が完了するまでの時間かせぎに過ぎない捨て石作戦でありました。623日は、あの悲惨極まりない沖縄戦が終った日です。ちなみにこの沖縄戦によって、「守備軍正規部隊の戦死者約65,000余、米軍の死者12,520人に対し、地元から動員された防衛隊や学徒隊、その他女子挺身隊などの戦闘協力者の犠牲は約28,000人、さらに約1314万人の非戦闘員が犠牲になった」と言われます。
 
沖縄戦最後の地、摩文仁の一角に沖縄県立平和祈念資料館が建っており、その壁面に次のことばが刻まれています。
 
沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で
これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
このなまなましい体験の前には
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは
できないはずです
戦争をおこすのは たしかに人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間ではないでしょうか
戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば
と思いつづけてきました
これは
あまりにも大きな代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
 
 「沖縄の心」について平良修牧師はこのように記しています。「『沖縄の心』といわれるものがある。平和に生きたい、人間らしく生きたい、沖縄人らしく生きたい、という心である。┈┈『間らしく生きたい』という沖縄の心は、日本政府から国内植民地的扱いを受け、戦後は、国策によって外国軍隊による植民地的支配を強制され続けた人間たちの『うめき』そのものにほかならない。┈┈また、日本人として『沖縄の心』を生きていくということは、行き着くところ、国家としての日本を相対化することでもある」と。
 
この時期特に、平良修牧師が言われるように、「国家としての日本を相対化すること」によって、戦争のない平和な世界を求める「沖縄の心」を共有したいと願います。