船越通信癸械横掘。横娃隠掲8月20日 北村慈郎
・8月11日(月)~20日(日)まで、私は夏期休暇ですので、この船越通信には、8月12日の神奈川教区
社会委員会主催の「2017年平和集会宣言」を転載しておきます。
・ 2017年平和集会宣言
「平和をつくり出すものは幸いなり、 ――今、新たな地平に向かって ――」
神奈川教区平和集会は、毎年、私たち一人一人が、置かれた場所で、平和をつくり出す働きを担うことを誓
い続けてきました。しかし、今、私たちはあらためて、これまでの働きが有効であったのか、顧みる時を迎え
ていると考えます。戦後最悪の政権を生み出したその責任の一端は、私たちにもあるのではないかと。
今年、改正組織犯罪処罰法(共謀罪法)が公布され、この国が大きな転換点を迎えたことを憶え、私たちの
社会を公正で平和なものとして創り上げていくために、いよいよ心新たにしなければならないと決意します。
私たち一人一人がそれぞれの置かれた、その具体的な現場において、真摯に神の国とその義を希求し、自ら
と隣人の間に平和と互いに愛し合う共同性を回復することを実現しなければならないと。
「昭和」の昔、治安維持法の制定(1925年)より盧溝橋事件(1937年)までが12年でした。これからの10年
がわたしたちにとって正念場であることを確認し、今、この危急存亡の秋を乗り切る力を与えられることを祈
り願います。主よ、どうぞこの国に真の平和とあなたの義を実現させてください。
銃剣とブルトーザーによって苦しめられた沖縄の島で、自由と平和を取り戻し、主権の回復と、今もなお続
く植民地主義の悪夢からの解放とが成し遂げられますようにと願います。
私たちが属する日本基督教団が過去において国策に迎合し、戦争の遂行と国家神道の強制に加担した、その
罪を私たちが繰り返さないことを証明するために、「戦争責任告白」の真摯な反省の原点に立ち、この国を愛
と真理の力によってより良いものにしていくと誓いを新たにします。
今日、いま、この平和集会に参加した私たちは、それぞれが遣わされていく、その場所で、平和を生み出す
ために働くことをここに誓い、この平和宣言を採択いたします。
2017年8月12日 神奈川教区「平和集会」参加者一同
船越通信癸械横検。横娃隠掲8月27日 北村慈郎
・8月14日(月)から8月20日(日)まで牧師夏期休暇の第一回目がありましたので、先週の日曜日の説教は他
の方に代わっていただきました。Iさんありがとうございました。さて、夏期休暇中の14日(月)、15日(火
)は、船越教会で私の支援会の通信第19号の発送作業がありました。支援会では10月に東京と大阪で出前集会
をすることにしていましたので、どうしてもこの時期に通信第19号と共にその集会の案内を支援者の皆さんと
教団全教会・伝道所に送付する必要がありましたので、その作業を夏期休暇中でしたがすることにした次第で
す。今回は印刷物が多く、支援者には3月18日開催の支援会第5回の資料を、教団全教会・伝道所には、通信第
19号に加えて第18号も同封することにしていました。発送作業日が8月14日、15日ということで、都合の悪い
方もあって、何時もより作業を少人数でしなければならないということで、前準備をできるだけしておかなけ
ればなりませんでした。9日(水)、10日(木)と、この日も急遽K牧師の葬儀出席で宮崎に行きましたので、
10日(木)午後7時頃羽田に着き、羽田から船越教会に直行しました。10日(木)には通信第19号の編集レイ
アウトも完成していましたので、船越教会に着いてからさっそく作業に取り掛かりました。途中印刷機のト
ラブルがあり、理想科学の人に来てもらいましたが、何とか14日の作業日までには、連れ合いと共に、すべ
ての印刷と紙折及び封筒のラベル貼を終えることができました。14日の作業日には、事務局員以外にTさんが
来てくださり7名で、15日には5名で作業をして、15日午後3時頃までにはすべての作業を終えることが出来、
その後ヤマト運輸の人に取りに来てもらい、2,400強のDM便を発送することができました。これが終わってや
っと私の夏期休暇になりました。といっても、今回はどこかに出かける予定もしていませんでしたので、鶴巻
でゆっくり過ごしました。さすがに宮崎行きと支援会通信発送作業で少し無理したのでしょうか、数日は家
にいてうとうとしました。17日(木)は、沖縄の辺野古で抗議行動を続けておられる88歳の島袋文子さん
が参議院議員会館でお話をされるというので、私もその集会に参加しました。以下毎日新聞の記事を転載し
ます。
・〔米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動
を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と
訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。/市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開い
た講演会は、実行委によると約500人が参加した。/島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4
月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で
左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風」下の逃避行で、住民の凄惨(せ
いさん)な遺体を至る所で目撃した。/ 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、
反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲー
ト前で座り込みを続けている。/講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲
むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲ん
でからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、
工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない。本土の皆さん、
力を貸してください」と呼びかけた。【斎藤良太】〕。
・官邸前の抗議行動にも私は参加して、島袋さんが車椅子でマイクを持ち官邸に向かって訴えている前で横
断幕の一端を持って、島袋さんの切々とした訴えに耳を傾けていました。すると、声はかけられませんでし
たが、I・Kさんが島袋さんをカメラで撮っていました。私はその後、辺見庸・目取真俊『沖縄と国家』(角
川新書、2017年8月10日発行)を読みました(この本からの引用を私のブログ8月25日に掲載しています)。
島袋文子さんの訴えと共にこの本の目取真俊さんの言葉から、改めて辺野古新基地建設反対抗議行動への関
わりの本気度を問われる思いがしました。
・23日(水)は昼過ぎに鶴巻から船越教会に来て、24日(木)と25日(金)に船越教会を会場にして行われ
たフェミニスト神学の会の準備をし、この会に私も参加しました。今回は憲法24条との関わりで、おそらく
医療・福祉・年金に必要な税金カットを目論む自民党憲法草案の日本の伝統的家族幻想の問題を踏まえて、
「家族」の問題がテーマでした。この会はテーマもさることながら、参加者同士の出会いがメインではない
かと、私自身は思っています。それぞれの違いが明確になることもあります。そのことを含めての出会い
と交わりがフェミニスト神学の会ではないでしょうか。