なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

組織の落とし穴

200210月に開催されました第33回合同後18回教団総会に、私は何十年ぶりに議員として出席しました。その総会で沖縄教区提案の「名所変更議案」など「合同のとらえなおし」関連議案がすべて審議未了廃案となり、その後沖縄教区は教団との間に距離を置いて現在に至っています。そして教団は沖縄との関係の修復をしないままきています。200210月の教団総会に出た後、教会の機関紙に私は以下のようなことを書きました。
 
政党離れが進んでいる現在の日本の状況が示しているものは、既成の政党が保守も革新も既に死に体であるという現実です。死に体であるということは、既成の政党には生命がないということです。組織集団というものは、政治集団であろうが宗教集団であろうが、一度作られますと、組織集団の自己目的として自己保存を図ります。偽りに偽りを重さねながら。その都度裏切られていく私たちは、ばかばかしくなってそのような組織集団に背を向けます。それでも一つの組織集団が存続するのは、利害によって人を引き止めるとか、罰則の強化や脅し(この集団を離れたら呪われるぞというような)によって一度入った人間を出させないという、その集団の生命力とは違う力によってです。
教会も宗教的な組織集団としてこの世に現前する限り、この世のすべての組織集団がもっているこの危険性から自由ではありません。以前からその危険性を教会に感じてきた私には、今回25年ぶりに浦島太郎の心境で出ました教団総会は、日本基督教団という教会の会議が国会以上に一方的な強行採決の連続であり、予想はしていたとは言え、組織集団としての日本基督教団から教会の生命が失われていることを如実に示してくれました。ただ救いとしては、現場の教会や信徒・牧師の中には、教会の生命を大切に活動している方々も多いということです。井の中の蛙になり易い私には、そのことが今回の教団総会出席で得た大切な収穫でした。
 
それから8年経った今、私は洗礼を受けていない人にも聖餐を受けさせているということで、教団の教師委員会によって戒規免職処分を受けています。私はそれを不服として上告しましたので、現在審判委員会で審議されています。それにしても、8年前よりもさらに日本基督教団という組織は硬直化が進んでいるように思われます。今秋10月には第37回合同後22回教団総会が開催されますが、少しは変革の兆しが見えるといいのですが。