なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

普通の人間になる

  佐藤研さんに『禅キリスト教の誕生』という本があります。この本は既成のキリスト教に対する大変刺激的な問題提起に満ちた本です。目次を見ますと二つの大きなテーマが掲げられています。「キリスト教の再定義」と「〈禅キリスト教〉の誕生へ」です。本の表題は後半からとっているようですが、そのための前提にキリスト教の再定義の問題があることを、この本は示しています。再定義の最後の部分にこういう言葉があります。
 
 「そうしたキリスト教人間的な最終目標は何か、と言いますと、『真の普通の人間になること』であるとあえて言語化したいと思います。・・・本当は、イエスのことなぞ考えずに、最後のイエスのようになれるのが最もいいのです。逆説的に響きますが、キリスト教の最後の一歩は、キリスト教をも十字架をも忘れることではないでしょうか。それこそ真の、普通の人間の成就でしょう。イエスを意識的に祭り上げ、その祭り上げたイエスの側に自分を特別に置こうとすることこそ、実はイエスをひそかに裏切り続けることなのです。これまでのキリスト教は、この「罪」にあまりに染まりすぎていたように思うのです」(134-135頁)。
 
 なかなか厳しい指摘ですが、的を得た批判ではないでしょうか。私には、佐藤研さんが言うところの「真の普遍的な人間」は「子供のように神の国を受け入れるのでなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15)とイエスが言われた「子供」ではないかと思えるのですが、どうでしょうか。