なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

正統と異端

富田正樹『信じる気持ち~はじめてのキリスト教~』をテキストとしてキリスト教入門講座を、私は教会で月2回(第2、第4木曜午後7時より)、しばらく前から開設している。最近4人この講座に出席している。最初からの人が2人、後の2人は途中からである。最初から出席している一人は、富田さんのホームページのファンで私の所属する教会の礼拝にも毎日曜日出席している方である。

先日私は受洗者に限らず誰でもが陪餐できる聖餐式をしているとうことで、教団の教師退任勧告を常議員会というところから受けたが、実はこの富田さんの本についても、教団議長は出版差し止め、回収をこの本を出版した教団出版局に求めたいきさつがある。富田さんの本が正統的なキリスト教の教理を逸脱しているからというのである。
とにかくおかしい。教団執行部は正統と異端というとっくに滅びたかに思われる図式で物事を判断するわけだから、判断されてレッテルを貼られた方としては、今更何をかという思いである。

私はこの入門講座を通してキリスト教の再認識をしていきたいと思っている。最近この講座の案内を作り、その中に「牧師からのひとこと」を載せた。今回はそれを紹介したい。

「聖書には現代人にも訴えるコトバ(言霊)があります。
 聖書を読んでみますと、今日の高度に発達した科学技術や宗教とは直接関係しないかに見える世俗の世 界、そして神から自由になったかに見える人間の合理的な思考によって生きる現代人にも訴えるものが あります。それは、エゴイズムや悪と知りながら悪に魅了されてしまう人間性の暗闇を、現代人と言え ども古代人同様に克服できないでいるからです。古代世界と現代世界とでは、確かに人間が住む世界の 環境や人間が手にすることのできる技術には格段の相違があります。しかし、その人間性においては古 代人も現代人も全く変わりません。環境が世界大、いや宇宙大にまで広がり、人間の手にする技術が自 らの生存を全て抹殺できる核を手にしている現代人の方が、その犯す悪も古代人の比ではありません。 20世紀にどれだけの人や自然が人間が行った戦争の犠牲になったかを考えれば一目瞭然です。
 聖書は、そんな現代人に何を語りかけているのでしょうか。
 伝統的な宗教としてのキリスト教は、聖書から、〔?靴離灰肇个鮓譴辰討ました。病める者苦しむ者 への救済としての癒しのコトバです。また、罪の贖いとしての⊆呂靴離灰肇个鮓譴辰討ました。それ らに加えて、小さく細い流れではありますが、2鯤釮範族鬚離灰肇个鮓譴辰討ました。
 私には、今日聖書から聞くことのできるコトバの中で最も大きいのは、2鯤釮範族鬚離灰肇个里茲Δ法〇廚錣譴泙后人間性の暗闇を抱えた私たちがそこから解放され、イエス・キリストを仲立ちとして過渡 的に実現している神と人、人と人、人と自然との和解に基づく“神の国”の住人として、未来の和解の 完成成就としての「神の国」を希望しつつこの世の人生を全うする道を、私たちに示しているからで  す。
 どうぞそんな聖書の語りかけを共に聞き続けませんか。
 今の世界に絶望している人、自分の人間性に絶望している人、現代社会の矛盾に絶望している人、とに かく今生きることに絶望している人は、一度聖書の話を聞いて見ませんか。それほど自信があるわけで はありませんが、聖書のコトバは現代人の私たちにも希望を与えてくれるように、私には思われます。
 お待ちしています。」