なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(10)

 昨日は非常に暑い日でした。猛暑以上で酷暑といったらいいのでしょうか。私は、午後1時過ぎに鶴巻を出て、船越に向かいました。横浜浦舟町にあります市大病院に入院していますBさんが私と話したいと連絡がありましたので、午後3時からの面会時間にBさんと1時間ちょっと話していから、夕方船越教会に着きました。7日の日曜以来戸締り状態の船越教会の会堂も2階の牧師館も、蒸し風呂状態で、まず窓を全開にして風を入れました。いつもはそれで落ち着くのですが、昨日は扇風機に頼らなければなりませんでした。みなさんのところはいかがですか。
 残暑お見舞い申し上げます。
 さて今日は、復刻版(?)「黙想と祈りの夕べ通信(10)」を掲載します。この通信が、聖書のことばが開く信仰の世界と皆さんご自身の対話に少しでも役立てば、うれしく思います。また、「福音と世界」9月号が出ました。「随想メッセージ 聖書と現実の往還から9 平和を実現する人々は、幸いである」(2-5頁)という私の文章を読んでいただければ幸いです。
 
  黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 10 199912 5発行)
 
 先週は日曜日の午後に地区集会が紅葉坂教会で行なわれました。テ-マは「沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同のとらえなおしの実質化」ということで、戸塚教会のO牧師のお話がありました。
 沖縄のことは、現在故郷沖縄で生活していますTさんが、当教会に転会して来られたときから、私たちの教会でも取り上げなければと、私は考えていました。けれども、Kさんが会員として当教会に在籍している間には、そのような機会が持てませんでした。彼女は沖縄に帰り、今年の夏前に教団首里教会に転会しました。私は昨年の12月だったと思いますが、「教えられなかった戦争・沖縄編」の上映会が東京の飯田橋であり、観にいきました。その時、その映画のビデオを購入しました。いつか教会でこのビデオを観る機会をつくりたいと考えたからです。幸い今年の平和聖日をどう守るかという話し合いの中で、8月15日(日)の礼拝後に、平和について考える一環として、「教えられなかった戦争・沖縄編」のビデオを観る会をもつことになりました。私が紅葉坂教会で働くようになってから、沖縄のことを集会で取り上げたのは、これがはじめてでした。
 今回地区集会が偶然当教会で開かれ、教会だよりにこの集会の記事を載せることになっていましたので、広報の委員が数名この集会に参加しました。いずれ記事として教会だよりにも載るでしょう。そうなりますと、「沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同のとらえなおしの実質化」についても、私たちの教会の中で取り上げることになるでしょう。どういう形になるかは分かりませんが、「沖縄のこころ」(0牧師)を少しでも理解し、その「こころ」にどう応えて行ったらよいのか、私たち自身の問題として考え、なずべきことをなしていかなければなりません。
 「黙想と祈りの夕べ」での「分かち合い」で、私はこの地区集会の私なりの報告をしました。その際、特に講演された0牧師の、父権制社会における日本本土は男で沖縄はその男に従属させられている妻(女)であるという夫婦の比喩から受けた印象についてお話しました。被差別の側にある沖縄が、この夫婦の比喩によってより明確になるように、私には思えました。それにしても、他者の「こころ」を受けとめることの至難さを思わされます。それは、私たち自身の志向性が常に自分の延長にあるからでしょう。そのような自分を捨てなければ、他者は私たちの中に受けとめられる余地がないからです。「己れを捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい」と招かれるイエスの言葉が響きます。
 「分かち合い」では、K姉からうれしい報告がありました。かつて自分が名古屋で関わった自閉症の女の子が、今年中学を終えて、次の進路に進む時に、職業訓練校を選んで、そこに入学できたというお母さんからの電話のことです。その女の子の家族は彼女の妹と両親の4人でしたが、数年前にお父さんがお亡くなりになりました。そのお父さんも彼女の将来を案じていて、何か技術を身につけられたらと話していたそうです。自閉症の子が職業訓練校に入れるのはめずらしいそうで、彼女のお母さんも喜んで、亡き夫への報告に代えてK姉に知らせてきたということでした。
 この日、前に来たことのある二人の若い姉妹と兄弟が、「黙想と祈りの夕べ」に出席しました。教会の祈りの中で、二人が支えられますように、心から願います。