なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(67、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(67、復刻版)」を掲載します。先日鶴巻で何となくテレビを観ていましたら(船越にはテレビがありません)、糸井重里が出ていて、3・11の東日本大震災と東電の福島第一原発事故後をどう生きるかという課題について話していました。その中で震災を経験した女性の方から、「忘れないこと」と「被災の現場を見てほしい」ということを言われて、糸井重里気仙沼に事務所を開設して、そこを拠点にして発信していくことにしたそうです。テレビではその事務所の開設準備の様子が映されていました。私には「見ること」はなかなかできませんが、「忘れないこと」はこれからずっと心がけていきたいと思いました。

         黙想と祈りの夕べ (通信 67[-15] 2001・1・7発行)

 31日(日)の信徒講壇でH兄は、自分が歩んできた20世紀を総括する時に、戦争責任の問題を中心に据えざるを得ない、そのご自身の体験を含んだ思いを語られました。その中で、Hさんは、信州上田にある美術館、無言館に展示されている戦死した画学生の一枚の絵が訴える叫びに触れられました。そして見知らぬ画学生のその絵を通した叫びに耳を傾ける無言館館長の詩を紹介されました。私は、この一人の人間の痛みと叫びに向かい合うところから、すべてが始まるという思いを共有するものであります。そして、Hさんの話を聞きながら、国家や組織(教会も組織体としての一面を持っています)によって犠牲となっている一人一人の痛みや叫びは、形は違っても今もあちらこちらで上げられているように思えてなりませんでした。一人から出発して、その一人が大切にされる共同体として教会が形成されるようにと願うものです。

 以上のような私の話に続いて、「分かち合い」では、一人の姉妹が、以前「黙想と祈りの夕べ」で話された在宅看護の末期ガンの友人が、このクリスマスを迎えることができ、自分宛てにカ-ドが来たことを、感謝と共に報告されました。10月の時には、後一週間、一ヵ月と言われたが、クリスマスを迎えることができ、ご本人自身生かされてあるということを受けとめている。新年を一緒に迎えることができてうれしい。神がそれぞれの人に働いておられるということを、つくづくと思わされる。もう一つ、寿の炊き出しのための献品を教会でお願いしているが、献品を入れる箱が空っぽだったことがない。先日も薩摩芋の飴が入っていて、みんなの口に一つずつ入るかと思うとうれしい。またお味噌が後2キロあればという時に、10キロのお味噌の献品をいただいた。人からは笑われるかもしれないが、祈れば道が拓かれるという信頼は、私には大きなことだ。

 また、別の姉妹は、この一年自分が物を考えるということで、この「黙想と祈りの夕べ」で育てられたと思っている。昨夜と一昨夜の2回、夜中のテレビで南北戦争が背景のドラマがあった。そのドラマを見たが、主人公の女性は両親から、女はきれいにして、家事をよくして男から嫌われないようにと育てられ、南北戦争を戦った兵士の男と結婚する。その女性は自我に目覚め、黒人のメイドさんを人間として対等に扱おうとすると、夫はそのメイドさんに助けられていることを認めながら、妻がメイドと仲良くすることを好まない。この男は戦争で苦しんだのに、銃を集め、鴨打ちに息子を連れて行こうとする。妻は反対する。妻に黙って息子を連れて鴨打ちに行き、銃の暴発で息子は失明する。そんな時にも帰ってきた夫の手には銃で撃った鴨がある。妻は銃を焼いたり、人に持っていってもらい、夫を殺そうとする。自分が夫にしっかりと自分の思いを伝えずに、許してしまったことを後悔する。このドラマを観て、男女の関係の在り方を改めて考えさせられた。一人一人の命がいとおしまれて生きていきたい。

 また一人の兄弟は、自分もHさんの話を感慨深く聞いた。21世紀には大きな戦争は起こらないと思う。国家間の戦争よりも、個人と個人の競争が激化していくのではないか。そこに21世紀の教会の取り組むべき課題があるのではないか。神から愛されている、だから自分も他者も愛そうとしていく。そこからスタ-トしていくことではないかと感じていると。
 大晦日でもあるこの日は7名の出席で、9時過ぎに散会しました。