なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(74、復刻版)

 今日は朝、船越教会の牧師館で目が覚め、窓越しに外を見ましたら、みぞれが降っていました。寒い一日になることでしょう。昨夜は船越教会の聖書研究会がありました。聖書研究会と言っても、内容的には読書会です。本田哲郎さんの『聖書を発見する』の終章「人を大切にする」を扱いました。私を入れて6人の出席者でした。本田さんはヘブライ語のアハバー、ギリシャ語のアガペーは「愛」と訳されてきたが、この「愛」を「大切にする」と言い換えています。コリント人への手紙一、13章13節は、新共同訳ですと、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」ですが、本田さんは、「では、永続するものとはいったい何でしょう。それは『信頼して歩みを起こす』こと、『たしかさに心を向ける』こと、そして『人を大切にする』こと、この三つです。このうちもっとも偉大なものは、『人を大切にする』ということです」と訳しています。参加者はおおむね「人を大切にする」ということなら、「愛しなさい」と言われて、愛せない自分に佇むことからすると、取り組んでいけそうな感じがするという意見でした。

 さて今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(74、復刻版)」を掲載します。

          黙想と祈りの夕べ  (通信 74[-22] 2001・2・25発行)

 先日40歳という男の方が、朝早く来られ、面談を希望されました。まだ私は朝食中でしたので、10時に約束し、約一時間位彼の話を聞きました。彼は両親と同居していて、これ以上両親には負担をかけられないので、もう自分で何とか仕事を見つけて働かないと、路上生活するしかないと、追い詰められた様子で、自分の状況を訴えるように話しました。私が求められたのは、彼の話を聞くことでしたが、二つほど気づいたことを彼に話しました。一つは、彼が現在の自分の欠け、たとえば普通なら自分の年であれば、結婚していて子どももいてもおかしくないのにというようなことを、いくつか挙げて気にしていましたので、今の自分を認めてこれからどうするかを考えるようにした方かよいのではないかということです。もう一つは、余りにも肩に力が入った様子でしたので、もう少し楽に考えたらとうことです。彼は、ハロ-ワ-クで紹介された会社のコピ-をもっていて、これから行くと言って、出ていきました。何とか道が拓かれますようにと、彼の背中を見ながら祈る思いでした。たまたまこの週には寿青年ゼミと寿地区センタ-委員会があり、私も出席しました。そこで、最近神奈川県が野宿者の実態把握ということで、県下のいくつかの市で調査をはじめているという報告があり、しかもその調査によれば、野宿者の数が相当増えているということでした。訪ねてきた彼のことと共に、野宿者の方々のことを考えさせられました。こういう現実があることを覚えていきたいと思います。

 上記の私の発言に続いて、一人の兄弟が発言しました。集団の中での個人の大切さと共に、自分を殺してでも人と接して行かなければならないという逆の面もあるように思う。集団の責任を引き受けることによって、その業を通して、深く人との繋がりがもてればと思う。ボンヘッファ-の『交わりの生活』の中に、「一人でいることができなければ、交わりに入ることはできず、交わりに生きている者でなければ、ひとりでいることはできない」というようなことが言われていたように思う。自立ということが言われるが、心や体の病をもっている人に、自立を言っても酷なように思う。Mのような大きな教会にはそのような弱さをもつ方が少ないが、自分がかつて出席した小さな教会には比較的そのような弱さをもつ方がおられた。弱さをもつ方は小さな交わりの中で支えられるように思うので、この集いのような小さな交わりが教会に欠けがちな面を補充していくのではないかと思う。

 また一人の姉妹は、この集いに来る前に「よ-こそ先輩」というテレビ番組を観ての感想を話されました。今日は、編集者の仕事をしている人が、子どもたちに編集の仕事はどういうものなのかを教えるというものだった。子どもたちに感動という題で作文を書かせ、一人の子の作文を叩き台にして新たなものを作り上げて行くのである。作者と編集者は「はらわたをこすりつける」関係でなければ、よいものはできないと言う。子どもたちに対して、この編集者は本音で関わり、子どもたちは涙を流して作り上げて行く。心と心が動く。傷ができ血が流れる。そのとき新しい繋がりができる。自分は人との繋がりの中で傷つけないということを考えてしまうが、それでは深い交わりはできない。心と心が動いた時に、傷つけ血が流れることになるが、その中から信頼関係がうまれ、その時の喜びも大きいのでは。神との関係も、人と人との関係も、そのような深い関係を築きたいと思わされた。