なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(90、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(90、復刻版)」を掲載します。

 私はひとりの人の人生には膨大な体験がつまっていて、それを文字にすることができたら何十冊の本が書けるのではないかと思っています。そういう意味で、その人生を終えたひとりの人に対して私は畏敬の念を抱かざるを得ません。下記に記しましたHさんについては、生前一度もお会いしたことがありませんでしたが、教会の方に頼まれて葬儀の司式をさせてもらいました。もう10年以上も前のことになりますが、この葬儀が契機となって、Hさんの次男ご夫妻が紅葉坂教会のクリスマス礼拝に一年一回ですが、私の在任中には出席するようになりました。

             黙想と祈りの夕べ(通信 90[-38] 2001・6・17発行)

 6月5日、6日と教会とは直接関わりはありませんでしたが、藤沢で一人の兄弟Hさんの葬儀の司式をいたしました。Hさんは祖父が熱心なクリスチャンでその影響を受け、若い時に洗礼を受けたようでありますが、教会との繋がりはもちませんでした。内村鑑三の著作をよく読み、聖書や讃美歌も大切にして、ご本人も信仰をもってその生涯を貫いたように思われます。周りの人をよく助け、親身になっていろいろな方々との交わりを大切にされたようです。そのHさんの一つのエピソ-ドとして、こんな話をご家族の方からお聞きしました。Hさんには戦争体験としてシベリア抑留の経験があります。そのお話を小学生のお孫さんのクラスでしたことがあったそうです。すると、そのクラスの子どもたちから感想文がHさんのところに送られてきたそうです。それに対して、Hさんはクラスの集合写真を送ってもらい、一人一人の子どもの似顔絵をデッサンして子どもたちに贈ったそうです。小さな子どもたちへの気遣いが伝わってくるお話でした。Hさんのいろいろなお話をご家族の方からお聞きして、自分は損をしても、困った人が助かればという思いをもって生き抜かれたHさんには、教会生活はしませんでしたが、自分なりに信仰を大切にして一生を過ごされたところがあるように思えました。4人の子どもさんがHさんを心から尊敬していることが分かりました。5日の夜に自宅で棺前祈祷会を行ないましたが、司式している私のそばで、長男の方が慟哭するようにして涙を流している姿が印象的でした。そのような形で父親への思いを息子が抱いていることに、私は感動させられました。こういうHさんのような方がいらっしゃったということを報告させてもらいました。

 上記の私の発言に続いて、一人の姉妹から以下のような発言がありました。

 昨日(9日)川崎教会で「女性と男性の共生の集い」があり、講師からイエスが育った環境世界についてお話を聞いた。それによれば、現在の考古学的な発掘調査などにより、かなり正確にイエスの育ったガリラヤの状況が分かるようになったと言う。たとえば、子どもがどれくらい生まれ、どれくらい育つか、イエスは極貧の家庭に生まれ育ったこと、ガリラヤの古代農村社会では男女の差別は余りなかったことなどである。そのお話を聞きながら、イエスが大変身近に感じられた。たまたまテレビで飛鳥村の発掘により、飛鳥村が水の都であるという番組を見ていたので、講師の話が余計身近に感じられた。ともすると、イエスは神の子として、二千年の間に私たちからは遠い存在になっているが、講師の話を聞いて、歴史の中のイエスのイメ-ジが膨らんだように思う。イエスは頭でっかちで闘おうとしたのではなく、自然体で生きられたように思われた。科学の進歩により過去の状況を正確に知ることができるようになれば、もっともっとイエスの実像がはっきりして、イエスを身近に感じられるようになるのではないだろうか。イエスの実像がはきりすれば、それによって私たちキリスト者の生き方も、今までとは違ったものになるのでは、という光のようなものを見た気がしたと。

 この日は途中から「黙想と祈りの夕べ」に参加された遺伝子の病気をもっておられる兄弟から、大阪の小学生殺傷事件との関わりで教会はアッピ-ルを社会に向って発信しなければならないのではないかという問題提起がありました。彼の問題提起をそのものとしては受けとめられませんでしたが、お茶をいただきながら、彼の話は聞くことができました。