なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(91、復刻版)

 「黙想と祈りの夕べ通信(91、復刻版)」を掲載します。

 下記の中に出て来る横浜市中区役所のパン券・ドヤ券は、最近打ち切られることが決まったようです。以前 羽仁五郎の『都市の論理』だったか、ルネッサンス期のイタリア、フレンツェでは町の中の一番立派な建物が孤児院だったという記述を読んだことがあります。一番困難な状況に置かれている者にこそ、一番手厚い保護が与えられるべきであるという思想の現われです。ルネッサンス期の人間観の素晴らしさを感じました。寿の学童に来ている子どもたちにも、子供の自立を助ける手厚い保護が与えられてしかるべきだし、生活に困窮している人びとに自立を助ける手厚い保護が与えられてしかるべきではないかと思いつつ、そうではない今の行政のあり方に疑問を感じています。
  
            黙想と祈りの夕べ(通信 91[-39] 2001・6・24発行)

 今日のロ-ズンゲンの聖書箇所の一つ、ルカ福音書16章19以下の「金持ちとラザロ」の物語について、思い出すことがあります。それは、私の名古屋時代のことですが、一緒に教職として働いていました若い伝道師が、このテキストで行った説教のことです。その説教の内容はほとんど忘れてしまいましたが、ひとつだけ、金持ちの過ちについて語ったところだけは今でも覚えています。それは、金持ちはいつも彼の家の玄関前で物乞いしていた貧しいラザロの助けを求める視線を受けながら、そのラザロの視線をキャッチする感性を全く持ち合わせていなかったということです。金持ちの過ち、問題点はそこにあるというのです。私は、この他者である貧しいラザロの視線を受けとめられない金持ちの姿が、私たち自身の中にもあるのではないかと思えてなりませんでした。どうでしょうか。身近な者の視線に含まれているサインを受けとめられる者でありたいと思います。

 上記の私の発言に続いて、一人の姉妹が、その日の礼拝後に行なわれた全体懇談会「寿に学ぶ」に出席して、自分と寿との関わりを以下のように語られました。

 寿と自分との関わりは、たった一つである。それは寿の学童の夏のキャンプの手伝いである。主に食事作りをしている。寿の学童では夏に逗子に一泊二日のキャンプに行く。数年前から頼まれて自分も参加するようになった。その寿の学童のキャンプは何もかもが整い過ぎているように、自分には思えた。以前名古屋でやはり学童にパ-トで働いていたときにも、夏にキャンプに行ったことがある。その学童のキャンプはサバイバルキャンプだった。何でも子どもたちでするのである。それとは対照的に寿の学童のキャンプは、はじめ過保護だと思った。けれども、続けているうちに、単なる過保護ではないことに気づかされた。

 たとえば、寿の学童には在日の子どもがきている。学童から出すキャンプの案内は、字が読めないために、家でキャンプの準備ができないということもあるのだろう。その他いろいろな事情が子どもたちの家庭にあるのだろう。学童の側で十分な準備がなされている。寿の学童は市の学童であって、民間の学童と違って経済的にもそれができるのだろうが。

 名古屋の学童の場合、普段満たされているので、キャンプはわざわざサバイバルにするのだが、寿の学童のキャンプはそれとは対照的である。指導員の配慮の中で、ゆるやかな形で寿の学童のキャンプは行なわれている。今日の「寿に学ぶ」で話を聞きながら、家庭をもたないで一人で生活する人たちの不安や恐怖を知らされた。そのような人たちには、寿の学童が子どもたちに対するような手厚い配慮が必要とされている。

 中区に野宿者が集まると言う。それは、一つにはパン券やドヤ券が中区の福祉事務所から出るからだと言う。その支給は中区に野宿している人が対象である。税金が高くなっても、そういう手厚さが必要であろう。自分が寿の学童を過保護に思ってしまったように、中には怠惰を排するために厳しくという意見もあるが、社会的な弱者には手厚い配慮が行き届く社会であるように願っている。

 別の姉妹は、昨日土曜日の午後に小学生時代の友人から電話があったことを話された。彼女とは学徒動員で一緒に寮生活をしたこともある親友である。彼女は5月から一ヵ月位入院して、退院したばかりだったので、元気がなく、老後のことを考えているかとか、夜寝られるかとか、電話で自分に聞いたきた。そして元気そうね、と言って電話が切れた。力になってあげられたらと願う。