なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(81、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(81、復刻版)」を掲載します。

          黙想と祈りの夕べ (通信 81[-29] 2001・4・15発行)

 4月の祈祷会でS兄は、教会のメンバ-がもつ、たとえば生真面目さというものが、教会の一つの枠組みとなって、そうでない者を来にくくさせている面があるのではないか。そして、現在の青年たちが教会に来ない原因の一つに、教会を構成している私たちのもつエ-トス(習俗・慣習・道徳)がその壁になってはいないか。そういう枠組みに囚われずに、ありのままの人間が受け容れられるようでありたいという主旨の発言をされた。人間の集まりである教会には、そういう排他性がないとは言えないと私も思います。以前私が最初に赴任した教会で働いていたときに、私は近くのセツルメントで「バタヤ」さんの集会の責任も持っていました。その集会のクリスマス会がありました。セツルメントの職員数名と私たち家族と「バタヤ」さんたちの20名程の集まりでした。その時の写真がありますが、その写真は、それぞれの歩んできた人生の重さが一人一人の強烈な個性となって、それぞれの顔が集合写真の中には納まり切れずに突出しているかのようです。何でもあり、という迫力が伝わって来ます。私は、この時の経験から、福音はすべてを包括すると確信しました。すべてを包括する福音によって、私たちのもつ枠組みも相対化され、私たち自身が自分のもつ枠組みからも解放されますように。

 上記の私の発言に続いて、一人の兄弟が、ここ一ヵ月程の自分の職場での厳しさと重ねて、イエスの受難の厳しさについて語りました。十字架に向ってエルサレム入城されたイエスは、大変な恐ろしさの中にいたのではないだろうか。ヨハネ福音書にはゲッセマネの祈りの記事はないが、イエスはこの祈りを苦しみの只中で、苦い杯を取り除けてくれとギリギリのところで祈ったのではないか。先程教会がいつの間にか枠組みを作って、その枠組みに入れない人が来れないところになり易いという指摘があったが、初代教会は男も女も、大人も子どもの、奴隷も自由人も愛餐において受け容れられていたのではないか。教会の原点はそういういろいろな人が受け容れられるところにあるのではないか。

 また、別の姉妹が、自分もイエスの苦しみについて考えさせられている。今日の(4月8日)の『ルタ-による日々のみことば』(通信参照)には、一言言いたいところがある。イエスが十字架上で息を引き取るまで、「わたしたちに代わって、永遠の死とさばきを味わわれた」のだろうか。かつて自分もこの「わたしたちに代わって」イエスは苦しんで下さり、それによって私たちが贖われたという信仰をそのまま受け入れられた。最近は違っている。生身のイエスの苦しみを思い、自分がイエスをそのように苦しめてしまっているいるのではないかと思うようになった。イエスの苦しみ痛みを徹底して知ることが大切ではないか。私の母は末期ガンで苦しみながら死んでいった。その母を看病していたときに、母は自分が激しい苦しみを経験してはじめて、イエスの苦しみが分かったと言って死んでいった。とことん苦しまなければ、イエスの苦しみは分からない。想像力を働かせてこのイエスの苦しみをもっともっと深くしりたいと思っていると。

 また、もう一人の姉妹は、自分の故郷にも近い千葉の館山に建っている「虹の家」の周辺が、以前のキリスト教への無理解から、今は近くに移り住んだ人の中にもクリスチャンがいたり、伝道所もできたりして一変していることに触れ、神さまの御業を思うと言われました。