なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(70)

 昨日は新藤兼人監督作品「一枚のハガキ」の自主上映会が相鉄線いずみ中央駅前にある泉区民文化センター・テアトルフォンテでありました。薦められて切符を買っていましたので、4回の上映の最後の時間19:00~21:00に行きました。新藤兼人監督99歳の作品ということですから、この監督の遺言のような作品ではないかと思います。場面はほとんど二人の戦死者を出した一家族、特に大竹しのぶが演ずるその家族の長男の妻に焦点が当てられています。この上映会で配られたチラシには、「戦争がすべてを奪った。戦争が人生を狂わせた。それでも命ある限り、人は強く生きていく。」と書かれています。また、チラシには、映画の最後の場面で彼女は亡くなった夫の戦友と一緒に生きていくことになりますが、その二人の横に、「皆のぶんまで生きていこう」と書かれています。私はこの映画を観終わって、3・11による大地震と東電福島第一原発事故による被災者の状況も同じではないかと思えてなりませんでした。人為的な戦争も自然災害も甚大な被害を人にもたらします。沢山の人々が殺されたり亡くなったりします。家屋など生きる手立ても奪われます。それでも残された者は生きていかなければなりません。この映画では大竹しのぶが演ずるひとりの女性の生き方の迫力がすごかったです。

 今日は「父北村雨垂とその作品(70)」を掲載します。

              
              父北村雨垂とその作品(70)

   死児 治美を憶う

 老の掌に 萩 遊ばせて 悔多き

   
   武玉川 七集発表作品

 あぶらに泣いて おどる ぼうふら
 (漢字にルビ「ぼうふら」とあるが、漢字の変換ができませんでした。)
 
 たらいの中の風景が 踊ている 歴史
 
 太陽も タンカーも 孤獨なり 暮れる

 おにあざみ あわれ 大地の性器より

 紫陽花の風や 老婆の口籠もる

 雲を沈(しず)めた 富士の あけぼの

 柳も 花も 笑え 見ろとも 見るなとも

 雑草の中で 居直る おにあざみ

 埋立地の葦は 産毛です 眞理です

 ワグナーに 角兵ヱ獅子の足袋にも泥土

 ふるさとの口唇(くち)から 智恵が とつ おいつ

 開けた目に 孩(わら)へ 孩(わら)えと 智恵の芽を

 風雪や いまも 無門の 道祖神

   
   にんげん 藍 五號 1977年7月

 はらむ火の 私は 黒い 風時計

 天門を発(た)つ ばらの花 けしの花

 認識の風は 無明の戸を たたく

 明神の河童 涙を 笹笛に

 ひまわりの 昼夜を走(はし)る 西また西

 未完 夏 胡蝶の谷の 迷い水

 山門の尺(シャク)護(トリ) 尺とり 蛙の遠近法

 砂漠の鈴は 獅子と羊の力学に


   にんげん 藍四號 1977年4月

 ころばせて 起たせ 羞痴を 掌に 遊ぶ

 視(み)えぬ目に 瀕死(ひんし)のQは陽を浴びに

 神を吐きだす カチオンの オスとメス

 来る歳の いのちは 北風に 爪(つめ)を立て

 光 なく 影なき 家の 砂時計

 「夕べ」があって 猿に 拘置所が在る

 Cogito ergo sum さ 尾骶(ビテイ)骨(コツ)も あるよ

 天国の嫁に 地獄は 火を 産みに